アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ふたつの戦後イタリア映画についてなど アリアドネ・アーカイブスより

ふたつの戦後イタリア映画についてなど
2012-11-28 12:24:29
テーマ:映画と演劇

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・ たまたま戦後の古いイタリア映画を見る機会を得ました。26日NHK・BSの『鉄道員』と、27日”あじびホール”日伊協会主催の『ドイツ零年』、それぞれに感慨深いものがあった。

 『鉄道員』はある時期から姿を消したように感じるのは私だけだろうか。戦後のある時期まで繰り返し、あの哀調を帯びたメロディとともにその映像がメディアを飾っていたと云う記憶を持っているだけでなく、そう感じる。
 しかし『自転車泥棒』が今なお、回顧される度に離散的にではあれ幾度かは放映されているのと比べて、若干の違いを感じる。それとも私自身の個人的な感想に過ぎないのだろうか。

 それは、当時に於いてすら自覚的に仮装された”お伽噺”としての側面を『鉄道員』が持つからだろうか。威厳がありすぎるピエトロ・ジェルミ自らが演じる父親像、シルバ・コシナの、描かれるべき環境を超越したような現実離れした美しさなど、現実社会との乖離感は当時に於いてよりもいっそう広がったようである。

 もう一つ、この映画には思い出がある。敬愛する須賀敦子がエッセーの中でリッカ家で決して話題にならない映画としてこの映画のことを書いていたのだが、リッカ家もミラノの鉄道員で、一家の秘められた辛さと云うものがこの映画が思い出させると云うのである。そんなつもりはなくて、長いこと須賀さんの科白が気になっていたのだが、最後にクリスマスパーティの家族の一夜を描く『鉄道員』の室内の風景は華やかで、須賀さんが『ミラノ 霧の風景』・『コルシア書店の仲間たち』とは随分違うように感じた。むしろ同じミラノの戦後を描いたヴィスコンティの『若者のすべて』のアパルトメンの風景に近いものを感じた。
 今年もクリスマスが近づいた。NHK・BSの放映も季節と無関係ではないのだろう。

 続いて日伊協会の『ドイツ零年』であるが、敗戦直後のベルリンのロケが凄まじい!瓦礫!瓦礫の山、ベルリンの都市攻防戦が如何に陰惨を極めたか、そして一方ではヒトラーと愛人エヴァ・ブラウンの死体を焼いた現地での記念撮影風景を映像は留める。
 この映画も、『鉄道員』や『自転車泥棒』とともに、子供の視点から戦後を捉える。極限化の状況の中では、弱いものから死んでいく。適者生存の理、と云ってしまっては身も蓋もない。母親が不在の家庭、父親は今は不治の病で病床に就いている。長女と長男がいるが定職もなく収入もない。長男はベルリンの市街戦を最後まで闘った部隊に属していたので、戦争犯罪を追及されるのが怖くて、行政庁に登録できない。登録しない結果その分配給も受けることが出来ない。
 こうした貧困の家族の風景が、歳の離れた二男の視点から描かれる。
 子供は生きようとして、子供なりに非合法の手段に出て何がしかのパンや物品を得ようとする。年齢を偽って墓掘人夫にまで応募する。盗みに近いこともやる。しかしこの善良な家族は闇市や盗みと云う手段までにはいきつけなくて、娘にしたところで米軍相手に煙草をねだる程度が関の山である。それ以上の関係を求められても、周囲から勧められても決断できない。
 こうした貧困に向かう家族の風景の中で繰り返されるのは、ベッドに寝た切りの父親のことである。父親思いの家族にとっては心の中ではそう思っていても「父親の不在」と云うことは口にできない。
 ある日、少年は昔の小学校教師と出会う。その教師はいまはアメリカ軍相手にヒトラーの演説を記録したレコードや戦利品を売買して生活をしている。この教師は戦前・戦中は愛国心溢れる教師として、戦後は巧みにヒトラーたちの遺品を売りさばいて貧困を切り抜けている、と云う設定である。また、教師の今の上司である軍関係者が、密かに少年愛の持ち主であることも暗示的に描かれている。決して悪人ではない、善人ではあるけれども時代と同化する過剰親和性が、腐敗臭すら感じさせる背徳として描き出す元教師の造りこみは優れている。単なる類型性に陥りやすい反戦映画をここまでの普遍的な人間像にまで高めていることが、同じロッセリーニの映画でも『無防備都市』の英雄性、人間の尊厳を描くタッチとの鮮やかな対比をみせる。

 少年を最終的に死に追い込むのは、さり気ない元教師の会話である。弱い者は淘汰されても仕方がない、と云うのである。何かのはずみで言っただけで、元教師はこの言説を信条としているわけではない。つまり、つい昨日の癖が、教師根性が出てしまった、と云うユーモラスな場面なのである。
 くだくだしく、ナチの優生原理とまで言わずとも、この原理は今日に於いてすら益々威勢を高めつつある原理なのである。むしろベッドの父親を前に繰り返される家族悲嘆の風景が、潜在的な殺意として少年の脳裏に刷り込まれて、と云ってもいいのかもしれない。
 少年は明日の退院を控えた父親を病院に見舞いに行ったついでに毒薬の瓶を手に入れる。さて、退院して家に帰って来た父親自身に食べさせる食物は何もない。子供は紅茶と偽って薬を入れた飲み物を父親に薦める。
 こうして父親は無くなり、誰からも疑いは生じない。あるいはそれは潜在的に皆が望んでいたことかも知れないのだから。
 何日間かベランダに放置された父親の死体を市の回収車が引き取りに来た時、駈けつけた家族のだれもが間に合わない。今わの際の離別の風景に立ち会わせようと少年の名を呼ぶ家族たちの声を遠くで聴きながら、少年は廃墟のビルから身を投げる。
 短い13年間の生涯であった。

 さて、連合軍各国割拠の統治下にあった敗戦直後のベルリンと云う、特殊で極限的な状況が生んだ悲劇を描いた、ドキュメンタリータッチの、ネオリアリスモと呼ばれる手法で造られた傑作である。
 映画の最後の方で、廃墟の通りで石けりをする子供たちを描いた風景がる。少年は仲間に入れてもらおうとするのだが、上手くいかない。少年期と青年期のどちらにも行けない中間期の年頃、それと自らの手で父親を殺害すると云う意識があらゆる仲間たちとの連帯意識を引き裂く。
 この場面の映像としての牧歌性は、それでも少年に残っていた子供らしさを描いた場面として尊いと日伊協会の解説者からコメントが入ったが、そうではないだろう。少年の死の前のヘンデルの”オンブラマイフ”を演奏する教会の風景が挿入するが、この世にもあの世にも居場所が無くなった寂寥、不在感を描いているのだ。

 さて、弱いものから順に亡くなっていく原理、――実はヒトラーが大好きな原理のひとつであったのだが――は今日に於いてもまた、変わってはいない。