アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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不在の言葉の座に対面して マルグリット・デュラス 言語と精神病理の狭間で アリアドネ・アーカイブスより

不在の言葉の座に対面して マルグリット・デュラス 言語と精神病理の狭間で アリアドネアーカイブスより
2012-12-17 17:49:15
テーマ:精神病理と現象学

・ 通常わたしたち人間は、自らの行動と人格を一致させる。個性とは、自らを外部化して見ると云う事であり、対象化すると云う姿勢の中には、何よりもまた言葉と呼ばれたものの介在を前提している。世界と言葉の発生は同時であり、言語は世界を意味分節化する。ヴィトゲンシュタインが言うように世界と言語の果ては等しい。
 マルグリット・デュラスの物語は、たったひとつの言葉の喪失をめぐる物語である。不在である言語の座を訪ねる物語である。

 言葉が初めにあった。言葉とともに世界は始まる。もし、言葉がなかったら、世界が、溶解して見えるかもしれない。「言葉」によって打ち建てられた道程標、その標識を越えて広がる向こう側の世界、それは聖書によって禁じられた領域であったはずである。そこに生きるものは、人以前のもの、荒野に呼ばう者である。

 『モデラート・カンタービレ』のアンヌ・デバレードは、原-風景に出合ったときに、まるで一枚の宿命的な絵に出会ったときのように、食い入るように立ちつくす。
 彼女は、原-風景の「目撃者」となる。なぜなら、言葉が存在しない世界では、世界は言葉以外のなにものかによって支えられなければならないからだ。ここに世界の三項関係、――デュラスの言う「欲望三段論法の三概念」(『語る女たち』)が成立する。

 アンヌ・デバレードは、原-風景に立ち会って、言葉を失う。ロル・V・シュタインは自らのフィアンセを奪い去られると云う自らの極限的な経験を通じて、以後十年間に渡って精神は世界との間に取り結んだバランスを失い痴呆化する。
 こうしてデュラスの多くの物語は、唯一の言葉を求める「待機する人々」の物語となり、他方では、言語成立以前の世界を言語以前の手法を用いて描出仕様とする途方もない生の過剰、生の浪費となる。
 言葉を失った世界を、言語を用いて表現しようとするから難解になる。

 アンヌ・デバレードは「言語」を失い「事件」の前で立ち尽くす。「事件」は受難パッションとデュラスの文法と言語規則では用いられている。
 事件と彼女を結ぶ三項関係が物語の外殻を、「事件」を「外側から語った」(デュラス)とき、「事件」と彼女の関係は「憑依」として「密告者」ショーバンの存在を必要とするし、二人の関係が「事件」をなぞり始めるとき、二人の関係は「剽窃」(偽物)としてしか完結しない。
 「剽窃」を見守るのは、この場合、カフェに集まる不特定の公衆であり、受難劇として完結するためには公然と演じられる必要があるのだ。公共の場であからさまに演じることで、額に印を受けたものとして彼らは社会から追放されるであろう。

 『ヒロシマモナムール二十四時間の情事)』においては、「事件」と「剽窃」の関係は、女を飲みこみ始めた「憑依」の行為を、女の頬を平手打ちにすると云う行為に於いて、「現実性」を獲得する。二人を現実の世界に引き戻すのは原爆後の破壊されたヒロシマの現実である。あるいは広島で出会った男が東洋の男であるからで、非西洋人ではないことも関係していよう。この間の経緯は『愛人』によって初めて明らかにされる。

 『モデラート・・・』は、かくて人格と人格、過去と現在が溶解する言語以前の非道徳を描くことになった。『ヒロシマ・・・』では、どのような痛切な経験であろうとも、丸剃りした頭部の髪の毛が伸びてくるように、人は忘れ得ること、忘れて別の人格として生き得ることを示した。
 『ヒロシマ・・・』の女は、決して、ただひとつの言葉を見出さないだろう。

 『モデラート・・・』のデバレード夫人は「剽窃」と汚辱の中の自らの死を死ぬ。「もう死んでいるわ」(『モデラート・・・』)
 彼女もまた、「事件」パッションと「剽窃」の間に引き裂かれて、言葉を見出すことはないだろう。

 『ロル・V・シュタイン』のロルは、ローラ・ヴァレリーと云う自らの名前を思い出すことによって十年前の「事件」の消滅を確認する。彼女は、唯一の言葉を見出しただろうか。
 受難パッションが成立するためには三項関係、デュラスの「三段論法の三概念」を必要とする。タチアナと「私」の密会の場所として≪森のホテル≫に「俳優」タチアナは現れるだろうか。彼女は現れないだろう。ドラマはとんだ茶番と化すのだろうか。ロルは貪るように無意味な眠りを眠る。
 言語は放棄されたままである。

 S・タラの海岸の風景と、メコンの潮風が交わることはまだない。