アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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なお揺曳するデュラスの影 最後の風景 アリアドネ・アーカイブスより

なお揺曳するデュラスの影 最後の風景 アリアドネアーカイブスより
2012-12-29 13:34:55
テーマ:文学と思想

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なお揺曳しているデュラスの影、デュラスの総決算的な意味での――デュラス文学のと云う意味ではない――『愛人/北の愛人』1984-91以降のデュラスがどうなったか、と思って『エミリー・L』1987を読んでみた。この本は「終末の恐怖は日本から、破滅は韓国から」と云う唐突な書き込みがあって、それが変な方向で注目をされたのだが、3・11以降を鑑みると、予言的である。

 それはさておき、セーヌ川河口の、対岸にサルトルの『嘔吐』などで有名になったルアーブルを眺める、こちらは人も寄り付かぬローカルな廃港のような感じがある渡し船のある港と、ベランダのあるホテル、この設定は、定説のメコンデルタの渡船の風景よりも、映画『モデラート・カンタービレ』1958を思わせて意外である。ピーター・ブルックは傾いた夏の陽光が射す原作とは異なった、陰鬱な大西洋に面するジロンド河口を舞台にして描いたのだが、例のデュラスとブルックの確執もあって、映画の荒涼とした北フランドル派風の風景はデュラスの承認を得ない、映画に固有なものだと思いこんできた。しかしこの映画撮影のために大女優ジャンヌ・モローがジロンド河口の風景に馴染むために一軒の民家に間借りして、一月近くも住み込んでジロンドと愛の殺人事件の風光を求めて彷徨った、と云う記述をデュラス本人の口から聞くとなると(『アウトサイド』1980「ジャンヌ・モローの静かな日常」佐藤訳・晶文社1999)、原作と映画の関係についても、彼女の信念、不可抗力の自負、例の彼女の辛辣であからさまな口振りをそのまま聞くことの虚しさを覚える。

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 映画『モデラート・カンタービレ』の荒涼としたテレーズ・デスケルー風の心象風景は、ピーター・ブルックの独創ではなかったのである。それにはデュラスは勿論、デュラス女優とも云ってよいジャンヌ・モローも深く関わっていた三者三様の風景なのである。
 ジャンヌは言う。――

”『モデラート』のときには、死んだも同然でしたね、女主人公がそうだったように。『ジュールとジム』のときも同じでした。”

 これに続けてデュラスは言う。――

 ”わたしは『モデラート』が撮影されていたとき、毎日ジャンヌに会っていた。だから役を「自分のものにする」ために、彼女がいかなる知識、いかなる決意を込めるか知っている
 撮影の直前、彼女がわたしたちから離れざるを得ないその危機的な時期に、映画が撮影される予定のジロンド河口べりの小さな町ブレーに彼女は住み込んだ。そこは藺草の町で、鴨、チョウザメ、グラ―ヴ岬の赤ぶどうで知られている。
                  ・・・(中略)・・・
ある日わたしは彼女のためにアンヌの素性をでっちあげた。「あなたはリモージュの近郊で生まれたのよ。お父さんは公証人でした。三人の兄弟がいたの。あなたは孤独で夢見がちな少女時代を過ごしました。毎年秋に行っていたソローニュ地方で、ある日、猟をしていて、あなたはやがて夫になるデバレード氏に遭ったのです。二十歳の時でした。等々」ジャンヌは驚嘆していた。「そのとおりよ・・・・・まったく・・・・・。なぜもっと早く言ってくれなかったの?」わたしは彼女のために、彼女を助けるために、たったいまでっちあげたのだと白状した。”(『アウトサイド』p127-128 )

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 書かれてはいないけれども、それは映画『ジャンヌ・モローの思春期』1979に描かれた、慎ましく質素で、豊かな自然に抱かれたモロー自身だったのである。アンヌ・デバレードの、デュラスのブルジョワジーに対する反感を、ジャンヌにも認めなければならないだろう。自然に抱かれてあることの絶対的な信頼感、これはデュラスとは対照的なものではあるけれども。
 デュラスは、フランスを代表する大女優が名声を振り切ってここまで役造りに惚れこんでくれたことに感激したのだと思う。一方、豊かな自然との交歓の記憶を残した少女時代のままのジャンヌ・モローはその役柄とは異なって、社交界ブルジョワジーの世界と一致させそこに単純に住み続けることはできない自然児、辛うじて映画村と云う人工的な世界にだけ生きることを許されたもはや生け花のような存在だった。
 ジャンヌ・モローは、自分や自分が映画女優として遣って行けなくなる日が来ることは怖くないと云う。むしろ映画界の没落、映画芸術そのものの堕落する日があるとするなら、その日こそ生きていけないだろう、と。彼女にとって映画とは、狭義にはヌーヴェルバーグの時代であり、そこに生きた青春、そこに嵌め込まれた生きざまであり、生かされてある人工的な環境こそ、『ジブラルタルの水夫』1952のように、あるいは『エミリー・L』のキャプテンが操作するヨット船のように、命運を共にすべき帆柱に高く刻みつけられた女神の如きものだったのである。

 その舳先の誇り高き女神が、『エミリー・L』として甦る。エミリー・デッキンスンの神話、大聖堂に斜めから差し込む冬の光、神だけが空洞として現前し、愛する人たちが死に絶えた時間、そう言う時間にデュラスは行きついたのか。

 ”いかなる恋愛も、愛に代わることはできない”

 余りにも有名なデュラスの本質を語る如くに引用されてきたこの言葉この台詞、実はこの一行は『タルキニアの子馬』1953の中にあるのだが、いままでこの句だけが独立して論議され、まともに小説のコンテクストの中で論じられたことはない。
 
 ”いかなる恋愛も、愛に代わることはできない”

 『タルキニアの子馬』の中では、この台詞は主人公サラの夫であるジャツクの言葉として語られる。つまり最もこの台詞を語るに相応しくない人物の口から語られているのだ。世界中で一番手前勝手な男の言い訳として!

 ジャックは公然と妻妾同居のような不自然な生活を続けながら、手前勝手と云うか男の目線というか、サラが自分を見捨てようと知ると妻妾同居の現状を維持するために、相手の男の処に行ってまで執拗な説得を続ける、と云う政治的手腕の持ち主である。簡単に言えば、サラは結果的に根負けしてしまう、そんな話である。難しく言えば、愛とは幻影のようなもので、本当は細々とした日常茶飯事、生活のレシピの中にしか愛は存在しない、そんな当たり前の常識を愛する人たちの物語である。

 ともかく、その手前勝手な男の言う科白が、これなのである。
 つまりディアナとの関係は恋愛であり、サラとの関係こそ愛なのだと言いたいのだろうが、ジャックと云う男は、図太いと云うか鈍感と云うのか感受性が足らないと云うのか、かかる言説を抜け抜けと主張できるところにこのフランス男の凄さがあるのだろう。
 つまりディアナとは恋愛のような友情のような精神的な関係を結ぶけども、本妻は動かざる空母のようにあるいは商事会社の本店のように、不動の愛の象徴として君(サラ)はいて欲しい、と云うのであろうか。まあ、こう云う男が存在してもいいような気がするし、そんな男の妻になる女性がいてもいいような気もする。このへんの曖昧さの関係をみなさまはどのように判断されるでしょうか。

 デュラスの研究家たちが分かったようにこの台詞を引用し、愛と恋愛の関係を厳めしく語ったにしたところで虚しいのは、デュラスの文学の中に、愛や恋愛があると決めてかかる先入見にあるのではないのだろうか。

 デュラスは、愛を語ったか?恋愛を語ったか?

 むしろ『モデラート・カンタービレ』や『夏の夜の十時半』1960などの中期の作品を読むと、愛と云うよりは日本語の語感からすれば性愛と云うほうが相応しい。恋愛と云うよりも性欲、精神化された性愛である。
 『アンデスマ氏の午後』1962や『夏の夜の・・・』の人格を離れて浮遊する、執拗なため息のように纏いつく透明な粘膜質の空気の澱みは、どこか太古の人身御供にあった巫女の絡まりつく髪の毛のようで、身の毛もよだつほどのおぞましさに満ちている。何が愛の作家であろうか。

 『エミリー・L』にあるのは、そのように纏いつくようなデュラスの情念の炎が、さらに精神的な愛の炎によって青白く焼き尽くされて白骨の様に炭化した昇華した愛の姿として描かれている。昇華されたと云っても浄化されたわけではなく、愛する人々が死に絶えたと云うこと、神と云う名の空洞のほかは何も残されていない、生きもののいない午前零時の風景なのである。
 午前零時、白光を受けて鈍く照らし出されたアルゴスの高く聳える舳先の女神はギリシア神殿の女神たちのように頭部を欠き、あっても眼は虚ろな空洞で引き込まれそうに青く深い。空虚な眼差しは喜怒哀楽を映さず何も見てはいない。視線の光度が、対象を焼き尽くしたのである。

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 それにしても『愛人』1984の中で、始終めそめそと異様に泣き続ける男と女たちとは誰なのか。ジャワ島の影絵劇のように、永遠のラーマヤナのようにショーロンの簾の向こうで潜んでいる影なき人影は。
 デュラスによって、ショーロン地区の淫売、金目当ての「助平娘」と綽名される女と、かって『太平洋の防波堤』1950で、人間以下の猿か豹か爬虫類の水準にまでカルカチャイズされた珍竹林の東洋のチビ男の、この描き方の違いはどうか。ラーマーヤナの王族の姫と孫悟空との愛とは似ても似つかぬ最低の愛、人間以下の愛、爬虫類の愛、ガンジスの愛。
 二人は別れが近づいたとき、自分たちの関係はお金だけの関係だったと言おうとする。しかし、その日その時から不思議なことに男には女がもはや抱けなくなる。処世に関する一切のことには無能でも、お金の消費と性愛の技術だけには熟達していた男の中で、メコンの洪水が引いていくように欲情そのものが形を変え蒸発し霧散してしまうその日その時、しかし人間以下である彼らにはその言葉は名付けられることもなく語られることもないだろう。

 失語症の文学は癒されたのか。かくも長き言葉の不在!

 静かな時間の浄化作用の中で、記憶と追憶の霧の中で、意識薄明とアルコール中毒の朦朧態の中で語られるであろう、その唯一の言葉、生涯でただ一つの言葉を、”エリ・エリ・レマ・サバクタニ!”
 それは呪文のように、裏返された唯一の、語られざるマルグリット・デュラスにおける生涯にただ一度の言葉なのである。