アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

『プルーストの部屋』を読む・Ⅰ アリアドネ・アーカイブスより

プルーストの部屋』を読む・Ⅰ
2013-01-16 19:57:02
テーマ:文学と思想

http://ec2.images-amazon.com/images/I/41Q1SEM0TWL._SL500_AA300_.jpghttp://ec2.images-amazon.com/images/I/41KGK6EH61L._SL500_AA300_.jpg

 

・ 年末から年始にかけてこの二三年、プルーストのことが気にかかる。小説を全巻読みなおすのは体力的に自信がなく、部分的に読むと云うのもしっくりとしない。プルーストの専門書はごまんとあるが、その多くはプルースト学の領域の広さに比例して専門的なものが多く、全容を概括しやすいものは少ない。それで記憶に残っているもののうちから海野弘のこの書を選ぶことにした。

 パリの地下鉄

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Tassel_House_stairway.JPG/300px-Tassel_House_stairway.JPG V/オルタ「タッセル邸」 ベルギー1893

http://www.le-noble.com/g_jpgs/199996000140/199996000140_l.jpg ル・ガレのスタンド


 この書は、意外なことに女性雑誌『マリ・クレール』に複数年に渡って連されたものらしい。この書の特徴は、世紀末からプルーストが没した20世紀初頭に至る、美術様式史、とりわけインテリアやファッションについての言及が多い点である。これは女性ファッション誌への連載と云う要請もあったのだろうけれども、文学以外の、建築、美術、音楽、工業デザインとファッション、それからプルーストお得意のサロンとホテルの興亡史、そして古典演劇とボードビルと、単発的な文学研究家や専門家の及ばない広大な学識の蘊蓄を展開してるように見えた。
 それにしても、『マリ・クレール』の大版雑誌から文庫本になる過程で、多くのグラフィックカラーの図版写真が割愛された、と云う。何時の日か、マリ・クレール版の豪華本の復刻を望む。

 アールヌーヴォー様式の家

 

 この本を読みながら、つくづくと、プルーストのうねうねと続く息の長い文体にちりばめられた世相史の細々とした詳細が、人間描写とその心理的な説明になっているらしいことに改めて気づかされた。プルーストは、人間造形に於いて、多くは、従来の心理描写に代えて、エッセー的哲学的省察と、外面的な様式や儀礼的儀式のミクロコスモス的な記述、描写に代えているのである。

 バーン・ジョーンズ「黄金の階段」 時の流れの中に不連続な切断像を示す多様                   な人間像、それは将に「時の遠近法」の大家としてのプルーストの文法のようだ。
                   「・・・歳月の中に投げ込まれた巨人たちとして、隔たった様々な時期に、同時に触                   れるのだから・・・――時のなかに」(『見出された時』より、最終句)                       
                    

 この本を書いた海野弘によれば、ディレクトワール様式、アンピール様式についての理解が不可欠であると云う。絵画についてはイギリスのラファエル前派が、フランスでは印象派が、そして当然ながらフェルメールの『デルフトの風景』についてはい言うまでもないことだろう。


 ディレクトワール様式とは、ルイ16世時代の様式(≒ロココ様式?)に続くフランス革命期の様式であり、アンピールとはナポレオン様式のことである。複雑なのはアンピールには第一期と二期があって、ナポレオンとその甥の二つの帝政時代に各々が対応している。なぜこの点が大事かと云うと、『失われた時を求めて』の重要な人物、シャルル・スワンとその妻のオデットが生きた時代が、この第二アンピールに該当するからである。つまり、フランスの様式史について最低程度の知識があるならば、アンピールと聴いて、同時にディレクトワール以降の様々な様式史が織りなす複雑な文様を思い出すわけであり、登場人物のそれぞれが、こうした美術史、様式史、世相史の刻印を受けて再登場する、といった趣きらしいのである。その中心にアールヌーヴォーがあり、海を隔てたイギリスのラファエル前派が対応している、と云う訳である。
 海野弘を読んで、今さらながらに自身のこの領域での知識の不足を実感させられた。

 


                                  ダヴィッド「レカミエ夫人」 
                             「見出された時」を読むと、サロンではこのような姿勢で客を迎えたと云う

 プルーストの小説には、所謂19世紀的な意味での魅力的な人物は一人として登場してこない。普通の小説では、作者が登場人物を読者の前に立ち会わせる場合に、阿吽の呼吸と云うか、それなりの「保証」が予知される。主人公が一見人好きのしない悪人である場合でも、内面の心理的脈絡を追って行ける点では、「裏切り」はない。プルーストの小説が独特なのは、作者の「保証」があてにならない点であり、「時」の刻印によって人格は裏切られるのである。むしろ「裏切り」と云う小説的経験に遭遇することに於いて、現実とは異なった超越的な視座が初めて与えられる、とも云える。
 一例を挙げるならば、シャルル・スワンはパリ社交界の寵児である。しかも株式の仲買人に過ぎない彼が貴族社会に受け入れられると云うことも異常ならば、それ以上にユダヤ人である彼が出自をものともしないと云う点も、荒唐無稽と云う以上の例外的な設定である。しかもイギリス皇太子の朝食会にも招待されたことがある彼が小説のいっとう初めでコンブレの少年時代の「私」に紹介される場面では、遠慮がちに裏木戸の呼び鈴をおずおずと鳴らして入って来る田舎の客人に過ぎない。つまり一人の人物が、金太郎飴とは正反対に切断面ごとに異なった人格として「再登場」してくる。スワンの最後は、ココット(売笑婦・オデット)と結婚したために、貴族階級からもブルジョワ階級のサロンからも招かれざる客となった姿であり、遂にはオデットからも見放されレストランのウェイトレスを口説く「変なおじさん」であり、最終巻「見出された時」においては、家系の系譜上も、その痕跡すら抹消されてしまう運命にある。その彼とオデットの経緯――とても「恋」とは云えない――を描いたのが第一巻「スワンの恋」なのである。

http://art.pro.tok2.com/I/Ingres/ing03%5b1%5d1.jpg
                    アングル「ドーソンビル伯爵夫人の肖像」
                                       最終巻「見出された時」のクライマックス――
                                       祖母-娘-孫の三代に渡る「時」の刻印を超えた
                                       少女――「(彼女は)私が失ってしまった年月そ                                        のものから形づくられている、――彼女はわたし                                   の青春に似ていた」 (『失われた時を求めて                                   』・「見出された時」より)

 それではなぜプルーストは従来の心理描写に代えて、外面的な世相や風俗描写、微細な美術様式の記述を用いたのだろうか。それは栄枯盛衰の理にもあるように、人の一生は時の腐食には抗う術がないからである。人は死に、季節と様式は変遷を繰り返しながらも、甦る。「失われた時」を求める秘跡とは、近代主義的な意味での人格と人間に代えて、変遷と変化の中に同一性を保つ様式美についての言説を完成させることにあったのである。

 この点、わが国の谷崎潤一郎が、同様に近代主義への人間観に反発し、関西の京阪神に僅かに痕跡を留める上方の様式美に代えたのと著しい対象をなしている。『細雪』においては近代主義的な人物造形に代えて描かれるのは、種々の季節感を織り込んだ風物詩なのである。知識人や卓越した芸術家が描かれることはなく、世間知らずの上流階級に属する娘たちと、世渡りに無知な良家のボンボンである。平凡な人間模様ではあるが、そこに絵巻物のような日本的儀礼の「お見合い」の場面が和様取り混ぜて鏤められ、その文様はまるで王朝絵巻のようである。しかし遠く微かに軍靴の音が不気味に響いており、日本の落日を描いた日本近代終焉の叙事詩であることがわかる。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Pari_Opera_outside.jpg/300px-Pari_Opera_outside.jpg ガルニエ「パリ・オペラ座
                                       マルセル少年は憧れのゲルマント侯爵夫人を                                         桟敷の照明の中に初めて認める。自らには禁じ                                       られた世界を、プルーストは水族館に例えている


 プルーストの人間描写に於いては、全能なる作者による説明はない。つまり「作者」のような「神の視座」の如きものに変わって、「時」と云うプリズムを経由された人間の切断面が示される。時が人々に及ぼした影響を表現するのに、神のごとき視座から顔に皺が増え髪が白くなり、性格も若いころの精悍さが影を潜めている、と書かずに、時の変容を単に、仮面劇のようだ、と簡潔に表現する。オデットを描くのに数十年前と変わらないと書かずに、娘のジルベルトと間違っていた、と書く。そして若い娘を紹介されて、それがジルベルトの娘であることを知ることに先立って、自分の方に来たり歩んで来る時の歩みの中で、まさに「時」は沈黙の大聖堂の鐘楼のように鳴り響くのである。
 つまりプルーストの描出法に於いては、近代主義的小説作法による「既知」の人間像について「作者」が「報告」したり「説明」するのではなく、時間の中で生きられた通りに生きられたままに、勘違いは勘違いのままで正誤を「知識」によって訂正することなく、近くのものは大きく遠くあるものは小さく、陰になるところは遠近法的に見えにくくなると云う、「観念」を経由することなく、観念的な価値判断は度外視して、見えることを見え方によって見えるがままに、等身大の身体感覚の中で記述されて行く、という特色を持っている。つまり三次元の幾何学と等質に流れる時計時間としての現代文明の文法に従っていないのである。

 言い換えれば、プルーストの人間像は、我々が通常抱くところのタイプ論に基ずかない。何となれば我々がある特定の人物に抱く第一印象とは、「印象」そのものではなく、「知識」や「観念」を経由したものであることが多いからだ。プルーストは「観念」なり「知識」のゆがみの構造を、正誤は別として、そのままに描く。だから近代主義的な、よく「整理された」大河小説からすればその人物造形がいっけん理解しにくい面があるようだ。
 「時」は、生きられた世界の全体を超えることはできない。生きられた世界の全体とと言語のことでもある。言語を超えて人を、そして「時」を表現することはできない。生きられるままを、生きられた限りに於いて、時による歪みを歪んだまま、その切断面に於いて不連続に描くことが出来るにすぎぬ。マルセル・プルーストに学ぶとは、こう云うことかもしれない。