アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『プルーストと絵画』・『プルーストの世界を読む』アリアドネ・アーカイブスより

プルーストと絵画』・『プルーストの世界を読む』
2013-01-27 19:49:05
テーマ:文学と思想

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・ 吉川一義の『プルーストと絵画』・『プルーストの世界を読む』は、――何と言っていいか、特異な本と言ってい言い。前者は『失われた時を求めて』と西洋絵画史との関係を裏付けたものと言ってい言い。後者は岩波市民セミナーでの講座の記録である。つまり前者が実証的、やや専門的な学術的な書物であり、後者は一般の読者向けの解説、それも第一巻『スワン家の方へ』に焦点を絞った読解である。特に後者は、プルーストの奇妙な伝奇的な奇癖、ソドムとゴモラ(性倒錯)についての記述がないだけに、プルーストの解説書と言えば難解なものが多い中で、身構えることなく読むことが出来る良書である。(・・・だと思う)

 前者の方から言うと今さらながらに失われた時はかくも多くの絵画的な知識を踏まえて執筆されたのかと云う、わたしの側の嘆息と云うか、驚きの念のほうが強かった。ざっと書いても既に言及されることの多いフェルメールとモネは別として、レンブラントシャルダン、マンティ-ニャ、ダヴィンチ、アングルとダヴィッド、ドラクロワ、マネ、カルパッチョドガ、ホイッスラー、ターナー、である。認知度の低いものとしては、エルー、ジェルヴェクス、ティソ、ブランシュラ・ガンダラ、ベローなどが紹介されている。後者の画家たちは、何れも失われた時を読む場合の、同時の貴族やブルジョワ階級におけるパリの風俗がどう云うものであったかを得るための視覚的なイメージを与える。
他に、フランドル・プリミチフ派からは、ファン・デル・ウェイデン、メムリンク、フランス・ハルス、である。失われた時には直截的な影響は少ないが、プルーストはハルスの「養老院の女性理事たち」が好きだったようだ。


フランス・ハルス 「養老院の理事たち」

 こちらが絵画的知識に疎遠で、またそれほどプルーストを読みこんでいると云う自信もないのでこの広範な研究書を要約することは困難であるが、マルセルの芸術観をしばしば代弁したと思われている作中の画家エルスチールが実在の画家の誰によって造形されたかと云う点を考える場合に、実は様々な西洋絵画史を彩る様々な画家から抽出された複合的な像であり、その中からとりわけ誰を選ぶかと言えば、モネは別としてターナーの影響が大きかった、と云うのである。

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ターナー 「曳かれていく戦艦テメレール」

 失われた時の中でしばしば引用されるエルスチールの絵画論、つまり港町を描くのに、”海を描くのに町の町の用語だけを用い、街を描くのに海の用語だけを用いる”と云う絵画論が、実は”天地創造に於いて神は言葉を事物に名付けたが、芸術家の(再)創造に於いては、一旦得られた慣用的な言葉を捨て去らなければならない”、つまりプルーストの芸術論を要約すれば、それは相互的換喩的表現に他ならない、と云うのが本書の結論である。

 これもまた有名なプルーストの慣用句であるが、”知っている通りにではなく、見えた通りに表現する”、つまり印象、印象主義とはそういうものだったのかと初めて納得がいった。画家が描く表現は誇張ともとれるのだが、例えそれが錯覚であったににしても歪んだ印象のままに表現する、その歪んだ映像は写真判定的な認知上の誤りなどではなく、習慣や慣習的な認識構造が見落としていた現実性の厚みと云うものを与えるのである。
絵画史に限らず、インテリアや建築、音楽や文学と云った広く文化史的なプルーストの博学が利用される意味は、失われた時の場合は単なる作者の教養主義的な見識を示すものであったり衒学的な作用ではなく、広い意味での”引用”、流行りの言葉を使えばインターテクスチュア―性を示している点である。つまり文化史的な事象や歴史的な事象を”引用”することで、登場人物の性格や小説内の場面について客観的かつ内面的な記述になりえているのである。もちろん、直接ドラマと関係するドレフェス事件や第一次世界大戦は、”引用”等を超えて遥かに超えて本質的、宿命的であるが。
 失われた時を求めては、世紀末から20世紀初頭と云った、キリストが生きた広い意味での古代的な世界の崩壊に比肩するような、19世紀末から20世紀初頭と云う、それまでに人類史が経験したことのない”現実”を前にして、没落へと大きく傾斜を深めた西洋文明をその総体として総括し、総力を挙げて対峙しようと云う壮大な試み、小説と批評と詩の合体としての”全体小説”の試みであったことがわかるのである。それは別の意味で言えば、散文の機能を全開することであり、言語に固有のメタファー、変容の力を用いて人間を描くこと、人間を描くことを通じて”巨人族”の終焉を描くことだったのである。
 巨人族の物語とは、ギリシア神話におけるクロノスの時代以前の英雄的な時代、時に抗った者たちの歴史であり物語の発掘であり、プルーストの場合は巨人族とは毀誉褒貶としてのスノビズムに等しいのである。

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ジョルジョ・ヴァザーリ 「クロノスとウーラノス」

 誤解してはならないのは、こういいうことなら、つまり客観に対する主観の優位と云うことだけなら今までにも沢山の芸術家や研究家たちが言ってきたことである。プルーストの特異さは、それを客観的世界と云うものをまず認めた上で、それに上書きするような形で主観や印象の優位を述べたのではない点だろう。この点は現代人には解り難いのだが、プルーストには古代人のようなアミニスムの感覚の古層があって、近代認識論でいう主観でも客観でもない第三項、魂の領域を信じていた点である。有名なマドレーヌとお茶の奇跡についても過去が保存されたそのままの形で無意識的回想力の力で再現するのではなくて、わたしたちの自我の中に内在する本質的な感覚や印象と云えるものは、本人の死後も存続すると云う、なにやら霊魂不滅に似た考え方をプルーストは持っていたらしいのである。
 この点は、今後もプルーストを考える上で気を付けて読んで行きたい。

 『プルーストの世界を読む』は、わたしの個人的な印象だが、なぜこのような本に早く出会えなかっただろうかと云う良き解説書の一つである。著者の考えを述べるだけではなく、原文からの引用が大半を占め、まだプルーストを読んでいない人にも、どんなだか解るような仕組みになっている。しかも吉川は新規参入の読者に過大な負荷を求めようとはしない。膨大な失われた時の全巻を読まなくても、第一巻の『スワンの家の方へ』だけで、とりあえずはよいと言ってくれるのである。なぜなら、このさわりとも云える第1巻は序曲でああるだけでなく、その後の全巻に於いて展開する失われた時の登場人物が何らかの形で紹介されているからである。しかも有名な母の接吻を願う眠れない夜をめぐる場面や、前記のプチットマドレーヌの挿話など有名な挿話の全ては、この巻に含まれている。全巻を書棚に並べて及び腰になる前に、古川のこの書をまずは読むべきである。わたしはこの書をしばしば挫折しがちであるプルースト読解への励ましと感じた。

 なお、『プルーストと絵画』には姉妹編とも云うべき前篇『プルースト美術館』があって、この機会にそちらの方も目を通して見たいものだ。
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