アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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トマス・ハーディ『テス――清純な女』・下巻 アリアドネ・アーカイブスより

トマス・ハーディ『テス――清純な女』・下巻
2019-02-21 23:20:58
テーマ:文学と思想

 

 


下巻の目次は次の通り。

 局面 第五 女は償う
 局面 第六 改宗者
 局面 第七 完遂

 第五巻「女は償う」は、テストクレアの間に引かれた鉄の障壁を前にした、男の意地とテスの嘆きが描かれる。自らを見舞った責任の問えない過失故にそれを消すことのできない「事件」として秘匿し、その秘密ゆえにこそエンジェル・クレアの愛を受け入れることができず、逡巡を繰り返し、かかる愛の遅延ともどかしさが、二人の双方に於いて愛の純化を極め、手が届かないほどの高みにまで引き上げられてしまったのであった。テスにおける無償性は疑いえなく、またクレアの身勝手さも、男の規範的な道徳観やリゴリズムのみばかりとは言えない。クレアの決断に身勝手さを指摘する現代の批評家の読みは、現代の価値観を持ち込んで判断しているに過ぎない。クレアにおいても愛の純化はあったのであり、愛の純粋さと現実に起きた過去の出来事との落差の大きさをまだうら若い青年は調停できなかったのである。
 第六感「改宗者」に於いては、かっての悪役アレックス・ダーバヴィルが一転して村から村をめぐる改悛した説教者として現れる。偶然に村の集会所で彼に遭遇したテスはその落差に戸惑うが、テスに再会したアレックスの内では邪な恋の焔が再度燃え上がる。彼の改悛とはその程度だったのかとの思いは作者にも共通する想いなのだが、彼のひとつ一つの行動を見てみると、必ずしも作者の言うことが当たっているとはいいがたい。彼のテスへの思いは性愛であるよりも、彼女が現在置かれた境遇への憐憫と愛情に根差しているようにも、あるいは見える。ここのところは作者の賛同を得ていないので何とも言えない。
 この章では、もう一つ、エンジェル・クレアの「その後」の経緯が描かれる。向こう見ずにイギリスを出奔しブラジルに甘い夢を描いて渡った彼だったが、惨々たる結果が描かれる。人生の波にもまれて単なる道徳律が指し示すものよりも生身の現実が意味しているものを理解するまでにある意味で成長を遂げた彼は、病人のように痩せ衰えた体でテスの前に現れる。しかしその時は彼女は村を出て行かざるを得なくなっていた家族を救うためにアレックスの経済力に頼らなければならない立場に身を落としていた。つまり思いものになっていたのである。
 第七巻「完遂」においては、失意のこころを抱いたまま町を去っていくクレアと、彼を追いかけてようやく二人の誤解が解けて行く「道行き」が描かれる。クレアの失意とテスの「道行き」の間には、ダーバヴィル家の古代の血の疼きとも噴出とも思える、テスによるアレックスの殺傷事件が、まるで白日夢のように横たわっている。つまり憎きアレックスを刺殺すると云う「行為」を境に、この小説は「伝説」の領域に入り込むのである。つまりこの小説は近代小説ではないのである。
 であるから、二人が広大なニューフォレストの杜を彷徨い、無人の広大な別荘に忍び込んで至福とも云える数日間を過ごしたのちに、巨大な古代の巨石が林立するストーンヘンジで執拗に追跡してきた官憲の手で逮捕される場面は象徴的である。つまりテスとは、19世紀近代イギリスの産業革命後の時代を生きた自然主義レアリズムの手法で描かれた近代人であると同時に、古代世界の祭儀に奉げられた生贄の如き歴史を締めくくる最後の人物でもあったのである。だから語りを終えるべく末尾を締めくくる作者の嘆きもまた荘重であり、アイスキュロスギリシア悲劇を踏襲した、――

「八時の鐘が鳴って数分経つと、ゆっくりと、何かがその竿をのぼってゆき、風に吹かれてひろがった、黒っぽい旗であった。
《正しい裁き》がなされ、アイスキュロスの言葉をかりて言えば、《神々の司》はテスに対する戯れを終えたのだった。」

 なんと含蓄の深い言葉であろうか。われわれはハムレットの死を弔う号砲の響の遥かなる残響を聴かないであろうか。トマス・ハーディがここで哀悼の詞を奉げているのは、あるいは運命に逆らって滅びの道を駆け下りた英雄と古代の女神たちの末裔のことだったのである。周知のようにギリシア悲劇に於いては運命に立ち向かい滅びの道を典型的に歩むのは必ずしも人間たちではない。古代ギリシア悲劇の世界に於いては神々の世界と人間界の間に英雄の世界が設けられていて、運命に闘いを挑んで滅びの道を辿るのは人間ではなく第一に英雄と女神たちだったのである。そういう意味でテス・ダーバヴィルの死とは、近代の世の中に出現した古代英雄の死であり、女神たちの死であり、古典的叙事詩の死だったのである。
 ダーバヴィル家のテスが女の身でありながら、如何なる不運と運命に翻弄されようとも弱音を吐くことなく、常に気高く振舞えたのは、彼女は近代文学の登場人物であると同時にギリシア悲劇以降の英雄の系譜に連なる者であり、気高き女神たちの由縁を伝えるものたちであったからである。
 『ダーバヴィル家のテス』は、近代レアリズムの小説であると同時に、由緒正しい歴史的且つ古典的様式を基調に持つ叙事詩でもあったと云う意味に於いて、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の先駆をなしているのである。