アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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わが青春のフローレンス アリアドネ・アーカイブスより

わが青春のフローレンス
2013-03-05 09:42:26
テーマ:映画と演劇

 

 

 


 恒例の日伊協会による3月度の映写会は第151回目だそうで、会の今後の継続を誓い寿ぐ頌歌めいた高揚した解説から始まり、日本では聞き慣れない監督マウロ・ボロニーニと主演のマッシモ・ラニエリ、オッタヴィア・ピッコロの簡単な解説が入る。ラニエリは著名なカンツォーネ歌手、ピッコロは名子役の出身だそうである。このピッコロ、可愛い名前だけれども何処かでみたようなと思っていたら、『山猫』に出ているそうである。ボロニーニは現地では文芸映画の大家であるらしい。

 労働争議を描いたこの映画がなぜフィレンツェなのかは19世紀のイタリア独立運動の過程に果たした同町の役割を理解しなければならないと、日伊協会の解説者は言う。主人公が生まれた19世紀の後半はフィレンツェがイタリアの一国の首都でもあっア時代であった。正確には70年代にローマに遷都するのであるけれども、この時代のフィレンツェは今日に見るような英米人の保養地であったり観光地であるのではなく、イタリアを代表する手工業の町、つまり最も都市化した町の一つだったと云えるのである。

 映画の内容は、素人革命家二代にわたる波乱万丈の家族史なのであるが、ロケ地に選ばれた名もないフィレンツェの路地や広場のメルカートの風景、そして変わらぬアルノ川の佇まいは、五年前に旅の日に訪れた21世紀の今日に於いてもさほど変わらない。映画の内容よりも、旅の記憶と郷愁が胸を締めつけた。

 不思議なもので、旅の人生の大半を過ごした日本の京都や奈良ではなく何ゆえ縁も所縁もない、ふとした偶然からただ一度だけ訪れたイタリアの古都の方に”わが青春の思い出の地”の聖なるものの顕現を感じるのだろうか。京都や奈良は目を瞑っても歩けるくらいに日常に同化してしまったということもあるに違いない。それに京都や奈良は国内であり旅の異境感からは程遠い。郷愁を感じるには何か異質な隔絶感のようなものが必要なのだろうか。

 

 それは隔絶した異質感を感じるほどの”外国”であっても生じないだろう。そこに生きる国民性に自らの郷愁を逆投影させることが出来るほどの自在性がその風土になければならない。”観光”と云う名の透明な硝子によって、視覚的には良く見えるけれども当然のように断絶が前提される殺菌された無臭の空間でもあってはならないだろう。湿った爪先と、濡れそぼる三月の旅の日を、通常のバスを乗り継いで経廻った待ち時間の多い、イタリア的事情に翻弄された等身大の身体性からくる知覚の固有の偏りも関係していたのかもしれない。

 映画の舞台となった彼らのアパルトメンの風景までが、旅の日を過ごした安ホテルとそっくりなのであった。共同の玄関があって、ホールとも云えない小さな空間の、直ぐそこにある仄暗い廻り階段を登っていく感じ、最近はさすがに一人か二人がやっと乗れる程度の小さなエレベーターが設置されていることがあるけれども、湿ったあの固有な壁の匂いや襞までもが鮮明に記憶の底から浮かび上がって来る。静まりかえった玄関の暗がりに身を於いて背後でドアが閉まる音を振り返らずに聴く、旅の心細さが迫って来るあの感じ・・・。

 そんな映画とは関係のない事どもを考えながら観ていたら、古い20世紀初頭の労働争議の在り方や、紋切り型の資本家と労働者対立のイデオロギー的構図までが、過ぎ去った時間の経過を感じさせるようで、この文句なしに抒情的な映画にマッチしていた。
 同じ時期を、ジェイムス・アイヴォリーの、これも有名な『眺めのいい部屋』と対比するのも面白い。厳密には少し後の時代になるけれども、イギリスの上流階級ではイタリアで時を過ごすというのがステイタスシンボルになりつつある時代であった。アメリカ映画『旅愁』においても破局までの日々を人目を忍んで過ごす場所がフィレンツェ郊外の壮大なヴィラと云うことになっている。ゲーテ以来の古いタイプのヨーロッパ知識人はイタリアの風光に永遠と狂気の顕現を見る。そして世界史はこの後鮮やかな方法転換を行い、彼らが予想もしなかったような無機質的で手強い世界を現出させるのである。

 ゲーテを気取らずとも、わたしのような日本人にとってすらイタリアの風光は、日本の風土が決して与えることのできない啓示のようなものを与える。日本を遠く離れてイタリア的な時間とでも云うような時の流れに身を任せるとき、日本人であることのアイデンティティをなしていた形式性が微かに揺らいでいるのを感じる。日本人は、自らの感性に従って生きても良いのではあるまいか、品性を欠いた曲目はある特定の音域だけを摩耗させるように、全音域を合奏させるフォルテシモのようなものもあるのではないのか、木立を透かして遥かに見たイタリアの空の青さと緑の諧調にそれを感じた。

 映画とともに、エンリオ・モリコーネの音楽も素晴らしい。
 映画の中に幾度ともなく出て来る、路地の、石畳の道の両側の狭い、すれ違う時はどちらかが車道側に譲らなければならない舗道のあのごつごつした感触が、この映画では締めくくりのように、あるいはこの映画の象徴のように初めと終わりに使われていた、まるで決して安泰とばかりは言えない彼ら三人の今後のか細い道のりであるかのように。いまはその歩道のすぐ横を怖いとも感ぜず全速力の車やバスが走り抜けるのだが・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=ExTdCxLJypM

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http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=z51KkUhCHek&feature=endscreen

 

 

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