アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『失われた時を求めて』のこころ響く場所――プルーストと音楽 アリアドネ・アーカイブスより

失われた時を求めて』のこころ響く場所――プルーストと音楽
2013-03-19 19:07:32
テーマ:文学と思想

・ 『失われた時を求めて』のなかで美しい場面は数々あると思うけれども、その哀切さにおいて、否、その解剖学的な冷徹とも云える硬質な美を描きえたと云う点で、第3巻「ゲルマントの方」の中の祖母の死を描いた場面こそは、互いに異なった異質のものを突き合わせる、――いはゆる音楽用語で云う”対位法”の巧緻を極めたと云う意味では随一のものと云っても良いだろう。こうした特質は19世紀心理小説の情緒纏綿とした叙述の対極にあると云う意味ではプルーストらしいと云える場面である。

”医者はモルヒネを注射し、それから呼吸を楽にするために酸素吸入のボンベを持ってこさせた。母と、ドクターと、看護のシスターが、それを手で支え、一つのボンベが終わるとすぐに次のボンベが渡されるのであった。私は少しの間病室から外に出ていたが、再び部屋に入ったとき、奇跡に立ち会うような気がした。たえまのないささやきの伴奏がごく低く響くにつれ、祖母は早口の美しい声で、長い幸福の歌を私たちに歌ってきかせており、それが部屋じゅうを満たしているように思われたのである。”

”けれどもやがて私は理解した、その歌は、少しの間聞こえていたぜいぜいという音と同じように無意識の、まったく機械的なものだったのである。おそらくその歌は、モルヒネのおかげでいくらか楽になった状態をかすかに反映していたのだろう。だがとりわけそれは、空気がもう以前とまったく同じようには気管支を通らなくなったので、呼吸の音域が変わった結果であった。酸素とモルヒネの二重の作用で楽になった祖母の息は、もう苦しそうにうめくこともなく、生き生きと軽やかに、まるでスケートをはいているように滑って、心地よい流れに近づいてゆくのだった”

”ことによるとこの歌のなかには、葦笛を通る風のようになんの感覚もない息に交じって、もっと人間らしい溜息がいくらか加えられていたのかもしれない。その溜息は死が迫るにつれて自由に解放され、もう病人は何も感じなくなっているのに、その病人が依然として苦しんだり喜んだりしているような印象を与えるのであるが、それが呼吸のリズムも変えずに、一段と音楽的な調子をその楽節に加えており、こうしてこの長い楽節は徐々に高まり、いっそう上まで登りつめたかと思うと、ついで落下し、それからまた酸素を求めて、軽くなった胸から再び飛びたってゆくのだった。それで非常な高みにまで到達し、そこで精一杯に引きのばされた歌は、官能の悦楽のなかで思わず哀願のささやきを混じえながら、息の水が涸れつきたように、ときには完全にそこで停止するごとくに思われた”

 今わの際の肉親の臨終の場面を描いて、死にゆくものの不規則な呼吸音を音楽に例えるなど、不謹慎の謗りをまぬがれかねない冷酷にして冷徹な描写である。間歇的に間遠くなっていく息の刻みをスケートの軽やかな滑走に例えるなど、前例を見ない描写法である。人格を持つものとしての肉親の祖母の死への感傷的な愛惜はなく、乾いた自然科学的な考察とも、純器楽的なとも云える音楽的な考察である。

 そして最後に、プルーストらしい死への哀悼と告別の辞が来る。
 今度は一転して、冷徹な客観描写ではない。死が祖母の顔面に齎した硬直を見据えながら、なんと時間の襞が長年月に刻んだ生涯の苦悩の痕跡を拭い去り、臨終の床をうら若き娘の新婚の床に比較すると云う、華麗とも絢爛豪華とも、反面グロテスクとも観えかねない、文学的表現の離れ業なのである。
 プルーストの”対位法”的な表現の最も極端な一例と云ってよいだろう。

”数時間後にフランソワーズは、祖母の美しい髪を、最後にもう一度だけ、痛い思いをさせることもなく、櫛でとかすことができた。この髪はやっと白くなりかかったくらいで、それまでは祖母の年齢よりも若く見えていたのである。けれども今では髪だけが老いの冠を押しつけているのであって、ふたたび若返った顔からは、皺や、引きつり、むくみや、こわばり、たるみといった、長年にわたって苦痛のつけ加えてきたものが消え去っていたのである。両親が夫を選んでくれた遠い昔のように、祖母は清らかさと服従によって描かれた繊細な顔立ちをしており、これまで歳月によって少しずつ破壊されてきた純潔な希望、幸福の夢、さらには無邪気な陽気さまでが、その頬を輝かせていた。去っていった生命が、人生への幻滅をも持ち去ってしまったのだ。祖母の唇の上には、微笑がおかれているように見えた。死は中世の彫刻家のように、祖母をうら若い娘の姿で、この臨終のベッドの上に横たえていたのである。”