アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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サガン『ある微笑』――インテリジェンスとしてのある愛のかたち アリアドネ・アーカイブスより

サガン『ある微笑』――インテリジェンスとしてのある愛のかたち
2013-04-23 15:16:38
テーマ:文学と思想

  
・ サガンって、風俗小説作家でしょう、と軽く考えられる方もいらっしゃるのかもしれません。これからお話しするのは、生涯を区切るような恋と云うのはそうざらにはないと思うのですが、それが思い出と云う名の回顧の対象と化したとき、音楽のワンフレーズをも満たすにも価しないものになっていたという、遠い遠い1950年代から60年代にかけての、サンジェルマン・デ・プレでのお話です。お話であって、お伽噺ではありません。サルトルボーボワール、それにカミユなどと云う白亜紀ジュラ紀の怪獣や肉食獣たちがたくさん生息していました、そのころのささやかな学生街の風景、気楽な茶飲み話し風のそのひとこまです。
 『悲しみよこんにちは』で華やかなデビューを果たした彼女が、実質的な意味での処女作で、みすぼらしくて地味な服を着た女子学生を主人公とした小説を書いて、地味なスタートをはかっていたと云うのがとっても意外なのです。


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・ 薄い文庫本、一冊程度の、ロマネスクと云うには余りに名ばかりの、アヴァンチュール、思い付きの域を出ないひと夏の出来事を囲んだ数カ月間を描いた他愛もないお話し、ソルボンヌのとある女学生が親しくつきい合っていた恋人の叔父さんと意気投合してしまい、半ば遊びから、半ば倦怠からの逃避から、そしてほんの少しばかりの奇妙な信心?ゆえに、かなり確信犯的に行ったコートダジュールへの恋の逃避行によって、いままでの人間関係も何もかも失ってしまうと云うお話し。その有意義な道徳的な教訓ゆえに、少しばかり昔話に似ているのだが、しかし違うのは、”悲しみは、みじめさとは違う”と云う点にある。すなわちこの作家はかって処女作に次の詩句を掲げて輝かしくも戦後のフランスにデビューしてきたのであった。――

悲しみよ さようなら
悲しみよ こんにちは
天井のすじの中にもお前は刻みこまれている
わたしの愛する目の中にもお前は刻みこまれている
お前はみじめさとはどこかちがう
なぜなら
いちばん まずしい唇さへも
ほほ笑みのなかに
お前を現わす

エリュアール『直接の生命』

 ひところ作者のペンネイム名をもじってサガネスクと云う造語が造られた。この作品には造語が一義的に含意するようなロマネスクの響きがあるのだろうか。ロマネスクとは偶像崇拝に過ぎないと云うのがこの小説のテーマではないのか。サガンと云えば『悲しみよ今日は』が有名だが、実質的な意味での処女作と云う意味ではこの作品の方を推したいと思う。第三作の『一年ののち』においても第四作『ブラームスはお好き』においても登場人物たちを背後から規定する故ない憂鬱感と憂愁は、古典的なロマネスクが失われたと云う感慨に基づく設定になっているはずだ。『一年ののち』の舞台女優ベアトリスにとっては、ロマネスクとは舞台の中に求めるほかない郷愁に等しい存在であり、『ブラームスはお好き』のシモンにとっては婚期を逸した中流のキャリアウーマンと云う設定が言外に語っている、『旅情』のキャサリーン・ヘッバーンのような物語はアメリカでしか起こりえないのである。

 この小説のテーマは一言で云えば、主人公が何度か口にするように”インテリジェンス”と云う言葉である。日本語には移し難しい言葉である。日本の社会には場所を得難い言葉である。サガンの二作目に当たるこの小説は、情熱的な愛や崇高な愛の観念についての形而上学的な考察があるわけではなく、だらだらとした、少しも盛り上がらない愛の四角関係がつずけられているだけなのに、何処がインテリジェンスなのだろうか、インテリジェンスだけでなく、恋愛に必須な熱情すらこの少女は欠いているようにさへ思われる。なぜなら読んで行くとこの少女は何箇所かで恋の情熱や激情と云う盲目のカーテンのようなものがあったならどんなに良かっただろうと嘆いているからである。つまり醒めているのではなく、恋のドラマの成り行きがどうであろうと、自分はそれを愛や恋の盲目性、つまり恋物語と云う名に固有の神話やお伽噺の類には加担しまい、そのことを今後一切云いわけには使うまい、とこの少女は云っているのである。愛の形而上学と神話性、お伽噺と云うことについてに自覚的であること、これがフランソワーズ・サガンの数多い著作の中でも際立つ本書の特徴である。

 この少女にはもう一つ少し特異なところがあって、それは現在と云う時制に特権的な役割を与えている点にある。その結果現在は過去や未来と云った一連の関係から切り離され、それだけの孤立した事象となる。その結果現在はその特権的な輝きゆえに、過ぎ去ると云う不在への情熱を巻きこんでしまうのである。それでこの少女は今の現在を生きているときも、現在進行形に重ねてそれを過去完了形において、二重の時制に於いて語ると云うスタイルをとらざるを得ないのである。冒頭を読んでみよう。――

”私たちはサン・ジャック街のキャフェで午後を過ごした。他の日とおなじような春のある午後を。私は内心すこし退屈していた。ベルトランがスピールの講義について議論しているあいだ、私はジューク・ボックスと窓との間をいったり来たりしていた。一時、私はジューク・ボックスによりかかって、レコードがゆっくりと持ちあがりながら、ちょうど頬のように、ほとんど優しいまでにサファイヤ針の方へ斜めに置かれるのをながめていたのを覚えている。そして、なぜだか知らないが、その時、はげしい幸福感と、あふれるような肉体的な直感におそわれたのだった。いつか死ぬのであって、このクロームのはしにのっている私の手も、私の目の中のこの太陽の光もなくなってしまうのだという直感を。”(同書の冒頭部分)

 つまり幸福とはこの少女にとって、ある種の自分自身の不在なのである。あの質問好きのデカルトの自我が不在であることを幸せと呼んでいるのである。幸せと云う概念に自分が与える定義がちょうど世間と呼ばれる「かれら」と無関係に、反対側にあると気付いたときに、それが社会と云うものとの別れになる。少女がソルボンヌの恋人と別れ、中年の悲しげな目つきをした叔父さんに魅かれるのは、それが恋とか愛とか云う以前の、何か人間の同型性のようなものを持っているからである。それゆえにこれは愛と云うよりも宿命に近い。

 一目ぼれと云う事態があるのだろうか。二人が対面した時、あたりは一瞬沈黙したかもしれない。その時二人は運命を予感した。二人はこれを愛とか恋とかとは思っていなかった。作中恋人と云う言葉は一言も使われずに、単に”アマン”とだけある。アマンとは”情人”と訳してある。この訳語は難しい。アバンチュールの進展に従い、後追い的に”恋”と云う言葉は追いかけてくる。追い抜かれそうになったとき初めて少女は”愛する”と云う言葉を語の正しい意味で使い始める。これは少女に苦しみを与える。言葉は受肉であるからだ。名指すことは名指された事態を宿命として受け入れ「パッション」受難として生きると云うことである。少女は苦しみの果てにボロボロになる。生きてはいけないと思う。彼女はそこにあるべき日常性の感覚を失う。その喪失感は、愛や恋人を失うと云うような<能作>の意味ではなくて、世界経験の喪失に近いのである。それは失恋のように何かを失うと云うようななことではなく、あれやこれやの個々の事象や実存を成り立たせていた物質的あるいは精神的な基層、実体的な経験の場そのものを失うと云う経験に近いのである。精神は熱情や情熱と云う情念に曇らされることのない明晰さの中でかかる孤独な実存の劇が遂行されるところに残酷さがある。曇りなき眼でものごとの行く末を見届ける。それほどの醒めた愛でありながら、逆に真剣なものであったと云うことがこの小説からは読み取れるのである。

 少女は最初に自らの禁じ手をかけておいた。それは恋の結末がいか様なものであれそれを熱情や愛の盲目性の所為にはすまい、と云うことである。極めて自覚的な態度である。これをフランス人の云うインテリジェンスと云うことの意味ではないかと思う。この覚悟の上にアバンチュールがあり、悔いることのない”不在としての幸福”と云うぬるま湯的な道徳観の拒否があった。それは自分自身の実存の発見と云うほどの意味である。それは少女にとって青春への別れと云う意味であった。何事も許される青春、無軌道さも反逆性も不良ぽさも含めて一切の”青春らしさ”、如何なる特権性からも離れてあること、それがサガンにとっての、50年代のパリと云う都市の青春だったのであろう。

 最後に、末尾の部分を読んでみよう。単に愛や恋を失うというのではなく、”彼”なしでは如何なる自分自身の在り方も想像できないと云うところまで追い込まれてしまうのだが(世界経験の喪失)、一月半ほどのち、ニューヨークの長期の旅行から帰って来た”彼”から待望の電話を受けたとき、二言三言お互いの健康状態の確認とお茶に誘われた以外の無感動な会話を終えて主人公が感じるのは、部屋で聴きかかけの音楽を聴き損ねて残念だと云う思いだった。あれほどの人生の主要なドラマ、特権的な出来事も時間がたてばモーツアルトの音楽のワンフレーズにも満たない、と云うのである。

”私は非常に用心ぶかく部屋に戻っていった。音楽は終わっていた。そして私は終わりをききそこねたことを残念に思った。私は不意に鏡の中の自分を眺めた。私は自分がほほえんでいるのを見つけた。私はほほえむことをやめることができなかった。私にはできなかった。あらためて、私は知ったのだ、自分がひとりだということを。私はこの言葉を自分自身に言ってみたかった。ひとり、ひとり。けれどもそれが一体なんだ?私は一人の男を愛した一人の女だった。それは単純な物語だった。何もしかめっ面をすることもないのだ”(同書の末尾)

 大人になること、思春期と青年期(成年期)の端境期を描いた重要な出来事を物語るのに、それがモーツアルトの音楽の一章にも価しない、と云うようなことはないだろう。愛や恋の経験が一カ月や数カ月で無害化されるわけではないだろう。そうではなくて、思い出とはガラクタだ、と云っているのである。『失われた時』は『求めて』も無駄だ、と云うことである。私たちの思い出の宝庫に保存されるのは決まって人生の主要な瞬間ではないであろう、それらの、時の瞬間的な煌めきは留める術もなく記憶と云う名の笊の網の目から留める術もなく逃れ去ってしまうのである。残るのは、どうでもいいこと、平板化された事件、三面記事化された思い出アルバム集、思い出とは今ある現在の自分自身を正当化する神話の集積に過ぎないのではあるまいか。知的な少女はそうした時の腐食作用を見越してこう書かざるを得なかったのである。知的な、インテリジェンスとしての愛とは、その首尾においてもこのような終わり方をしなければならないと云う、サガンマニフェスト宣言ででもあるかのように。