(参)サン=マルタンとは?――フランス啓蒙期の神秘主義思想家 アリアドネ・アーカイブスより
(参)サン=マルタンとは?――フランス啓蒙期の神秘主義思想家
2013-04-24 10:58:20
テーマ:宗教と哲学
下記のネットから借用しました。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/magic/sanmarutam.htm
サン・マルタンの思想の信望者達を「マルティニスト」と呼ぶ。だが、これは彼の名から取られたものではない。彼の師、マルティニス・ド・パスカリから取った名称である。
マルティニス・ド・パスカリ(1715?~1779)の生涯については、詳しいことは分かっていない。ただ、カソリックに改宗したフランス在住のスファルディ・ユダヤ人であること、「エリュ・コーエン(elu cohen)」なる秘教結社のリーダーだったということが分かっているだけである。この「エリュ・コーエン」とは「選ばれた僧侶」と言う意味である。これは1760年頃にフランスのボルドーに設立された。
フリーメーソン系の結社で、メーソン風の位階制とイニシエーションが行われていた。また、カソリック風のミサや、コルネリウス・アグリッパの魔術儀式も実践されていた。特にパスカリは、精霊を召喚する魔術に強い関心を示していた。
サン・マルタンは、この「エリュ・コーエン」に1768年に入団し、パスカリからイニシエーションを受ける。
パスカリはその4年後に没するが、サン・マルタンは彼の教えを受け継ぎ、それを独自に発展させてゆくのである。
サン・マルタンはパスカリの唱える一種の象徴的な創世神話を受け継いでいる。
それは聖書の「創世記」のさらに昔の時代、神は自由意志を備えた霊的存在を「流出」する。これらの存在物は「第二原因」として活動することを定められていたにも関わらず慢心し、自分は神と同等の能力を持つと錯覚し、自分も神の真似をして霊的な存在を自分から流出させて、それを支配下に置こうとした。これこそが「悪」の源となった「背反」である。これに対して神は物質的世界を創造して牢となし、この「背反」した霊たちを閉じ込めた。ここにおいて、神は人間アダムを流出し、霊達の悔悛を促すために働く使命を与える。この時アダムは輝ける肉体を纏い、宇宙全体を従える巨大な力を備えた「神=人」であった。しかし、先の「背反」した霊達の誘惑を受け、アダムもまた慢心し、創造主の真似をしようとする。これで神の怒りにふれ、アダムは失墜。かつての不滅の肉体を失い、滅ぶべき物質の肉体に閉じ込められ、かつての強大な力も失ってしまう。全ての可能性を持っていた両性具有も失い、男と女、アダムとイブに分離してしまう。そして、かつて支配していた霊的存在から逆に支配され影響を受ける存在におちてしまう。
この悲惨な状態が、現在の「人間」であるという。そして、今の宇宙も共に変質し病んでいる。
しかし、真に「霊的な渇望」を持つ人間は、自己の再生努力とキリストの手助けによって、かつての巨大なアダムの「神=人」の地位を回復できる。その時、宇宙も本来の状態を取り戻すであろう。
これが万物の回復ないし再統合であるという。
パスカリは、カバラを奉じていた。この神話も、かなり変形してはいるが、カバラやグノーシスの影響も少なからず散見される。
マルチネスは、この人間の救済の手段として、アグリッパの著書を参考にした降霊術を用いた。そうすることによって、超自然的な次元の存在と接触したのである。
しかし、サン・マルタンは、これに賛同しない。彼は先の創世神話を信じたが、救済の手段として、「再生を目指す人間の内面的努力」によって、これを成し遂げようとした。サン・マルタンは人間と霊との交流は、否定はしなかったが、マルチネスと異なり、儀式魔術よりも思弁的、神秘主義的瞑想によって、これを実現しようとしたのである。
やがて、サン・マルタンは、かの錬金術的キリスト教神秘主義者のヤコブ・ベーメの著書と運命的出会いを果たす。
ここにおいて、サン・マルタンは、マルチネス思想とベーメ思想の「素晴らしき結婚」を提唱する。
すなわち、人間が再生を果たすために必要なものとは、内なる「祈り」であると共に自らの霊的な性質・力についての認識・覚醒である、と説いた。
万物、特に人間は神のしるしであり、象徴であり、鏡である。無生物から植物、動物、人間、天使を経て神に至る連鎖は区切りのついた連続性で繋がっている。物質と人間の精神の間には深い溝があるが、両者の間には同時に象徴関係を成り立たせているアナロジー、類縁性も存在する。そこで、こうした象徴を通して、断絶しているかのように見える関係に「照応」を見出すことによって、神と人間と宇宙との統一認識を見出すのである。
こうしたヤコブ・ベーメ式の錬金術思想を採用し、先の「渇望」から来る「祈り」によって、人間の再生を目指した。
この思想は言い換えるなら、かつての偉大なアダムの座から失墜した後も、人間の内部には「神性」が残っている。この自己の内に潜んでいる「神性」を、渇望から来る祈りによって発見し、確認すること。これによって、再生が成し遂げられるというわけだ。
サン・マルタンのこの思想の信望者達は、かつての「エリュ・コーエン」の周辺の人間に多かった。そのため。この秘教結社の創立者の名を取って、マルティニストとよばれたのである。
この思想は、やがてロシアの神秘主義、神智学運動などにも、思想を形成する素材の一つとして取りれられ、発展してゆくのである。
サン・マルタンは、カソリック教徒を自称していた。事実、彼の著書はカソリックの強い影響下にある。
しかし、彼は「教会」や「聖職者」の存在は否定した。あらゆる人間は司祭であり(まるでルターだ)、預言者と成り得る存在であり、第二のキリストにすらなり得る存在だという。
なのに、どうして聖職者のような特権階級などが必要であろうか?
こうして、サン・マルタンは教会を破壊し、聖職者を廃止することを支持すらした。
だが、サン・マルタンが教会以上に敵視したのは、当時の哲学であり、啓蒙思想であった。唯物論、無神論を唱える当時の啓蒙思想は、サン・マルタンにとっては、教会以上に有害な存在と写ったのである。
こうした、反教会・反啓蒙思想的なサン・マルタンの信望者達をイリュミニストと呼ぶ。
ただ、ここで強調すべきは、このイリュミニスト達は、啓蒙主義者達と常に敵対していたわけではない。両者は、反教会、反聖職者、迷信の打破と言う点では意見が一致した。そのため、共闘することもしばしばだった。事実、イリュミニスト達は、フランス革命を熱烈に支持した。
ルイ・クロード・サン・マルタンは1743年、フランスのアンボワーズに生まれた。
田舎の小貴族の息子として生まれる。幼いうちに実母に死なれたが、愛情ある継母に実子と等しい愛情を受けて育ち、信仰深い継母の影響を受け、神学や哲学に興味を持つ学問好きの青年に育つ。若い頃から新プラトン主義の神秘主義思想の本を読み漁っていたらしい。
父の薦めで法学を学び検事になるも、性格的に向いてないと判断し職を辞す。そのまま軍隊に入隊。
軍隊のボルドーの駐屯地に赴任して間もなく、かのマルティニス・ド・パスカリと運命的出会いをなし、「エリュ・コーエン」へ入団。これをきっかけに軍隊を辞し、団の指導者となり、神秘主義の研究に熱中する。
しかし、「エリュ・コーエン」の儀式魔術に疑問を持った彼は、団とは距離を置くようなり、やがて退団する。
その後、パスカリの思想とベーメの思想を合体させた独自の神秘主義思想を築き上げてゆくのである。
彼は、夥しい著述を成す。代表作は「誤びょうと心理」、「タブローナチュラル」、「渇望する人」、「自然の解読」、「この人を見よ」、「新しき人間」など多数。
フランス革命の混乱時には、危うくギロチン送りにもされかけた。周囲は亡命を進めたが、彼はフランス革命を一種の「神意の現われ」と見なしており、経緯を見届けるために国内に残った。幸い、彼は無事に、この混乱期を乗り切った。
1803年、パリ郊外の自宅にて弟子達に囲まれながら永眠。60歳であった。