アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ジェイムズの『大使たち』 アリアドネ・アーカイブスより

ジェイムズの『大使たち』
2013-05-20 11:49:32
テーマ:文学と思想

 

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・ ヘンリー・ジェイズムの『鳩の翼』もすっかり考え込ませてしまったのだが、これが本書となると、運命的なと云うよりももっとナイーヴな感じ、自分を辛抱強く回廊で待っていてくれた本と云う気がした。読書を続けていると年齢を超えた経験がいまだにあって、なぜいままで読まなかったのだろうと反省やら悔悟やら溜息が出る本はあるけれども、いままで読まないでいたことを感謝する本と云うのは数多くはない。大ブリテン島の西海岸に大西洋を渡って到着した心細いヨーロッパ大陸上陸の日から生じた標準時計の時の刻みと空間の変容を、マライア・ゴストリーと呼ばれる案内役の女性に連れられてホテルの庭園やチェスターと云う古い城壁と教会とある街を彷徨いいくうちに、次第に自分自身が東海岸の日常とは少しづつずれて云って、最終的にはニューイングランドの郷里の人々だけでなく、パリの周辺の人たちからすら、”おかしく”なっていく道筋を主人公のストレイザーは物語の半ば近くになるまで意識することが出来ない。

 企業の上位役員ストレイザ―のヨーロッパ派遣、彼の使命とは、オーナーである寡婦の社長ニューサム夫人の命を受けて、パリで放蕩の限りを尽くしていると思われる跡取り息子をアメリカに首輪を架けても連れ帰ると云う特命である。その絶大な権限付与のためやがては、――と云うことは特命の成功の暁には寡婦のオーナー社長との間に縁組が約束されている、と云うことが本を読み進むと少しづつ明らかになる。

 しかしストレイザーはパリに滞在しながら、精力的に跡取り息子チャドのまわりで生じた出来事、人間関係を理解しようとするのだが、まるでカフカの小説のように結果的には空回りするばかりで何事をも成し得ぬまま、成し得ぬばかりでなく何一つ正確な情報を得たと云う確信も持てぬまま、驚くべきことに、パリに到着して以来ヨーロッパが自分自身に微笑みかけていたことを理解するに至るのである。

 遂にストレイザ―を派遣した人々は、必ずしも万が一と云う遠謀故に同行させていたのではないビジネス上の友人ウェイマーシュをして、本国に密告させるに至る。ストレイザ―が変わってしまった、と。こうして”大使”ストレイザ―に代わるべく寡婦ニューサム夫人腹心の娘夫婦を新たにパリに派遣すると云う事態を予告して前編(大一部~七部)は終わっている。

 第七部に至って、われらがともストレイザーは、久し振りに会ったマライア・ゴストリーを通じて、”あなたは一人で歩いていた”という指摘を受ける。つまりストレイザーはいままでどんなにか彼女の保護の元にヨーロッパを経験したか、そして一人で歩けるようになった――もちろん象徴的な表現だが――ゆえに彼女との別れが来ていることを知るのである。

 隠れキリシタンの用語に、”立ち上がる”と云う表現がある。いったん棄教したクリスチャンが信仰を取り戻すことを云う。ジェイムズはそうした大袈裟な表現は好まないけれども、青春と云う回帰する言葉の意味を求める物語なのである。