アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『ヨーロッパ人』とはどう云う小説か? アリアドネ・アーカイブスより

『ヨーロッパ人』とはどう云う小説か?
2013-06-11 11:45:14
テーマ:文学と思想

 

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・ ヘンリー・ジェイムズの初期の『ヨーロッパ人』は、難解だと云われるジェイムズの文学を理解するためには格好の、明晰とも精巧とも云える入門編の一つである。これからジェイムズの本を読んでみたいと思われる方にお薦めしたい。

 ジェイン・オースティンを思わせるこの典雅な作品は、まるで良質の室内楽かアカペラを聴く思いで、登場人物や場面を説明する光源が実に鮮やかである。場面ごとの転換が明瞭で、まるで廻り舞台をみているような不思議な陶酔感に誘われる。つまりこの世の出来事ではないのである。芸術だけがなしうる特権性と卓越とを、少しも驕ることなく平板で卑俗な日常の出来事に重ね合わせて語ると云う奇跡を、ジェイムズは成し得ている。
 しかも読後感はその時だけに終わらずに、決して彼を理解し尽くしたと云う気にさせない。読後の余韻を楽しむかのように、思い出し反芻しながら、幾つか思い当たる節々を反省しながら、こうでもあったしああでもあったのかもしれない、あるいはこうした解釈も可能かもしれないと、まるで英国のガーデンテラスで過ごす極上の茶会にでも招待されて、他愛もないおしゃべりごとを知的なイギリスの婦人に聴いてもらってでもいるような、まるで豊かで芳醇な感じなのである。

 この小説を短く要約するとどのようになるのだろうか。
 ヨーロッパの上流階級でごくつぶしの姉弟が不明朗な目的を持って、遥か昔に交流が途絶えた遠い親戚を、従妹に会うためと称して訪米することになる。場所はアメリカの中でも最もアメリカらしい場所、ニューイングランド。二人のアメリカに対する初印象は対照的だが、弟のフェリックスにとっては未だ人類が経験していない人間愛のプロトタイプのようなものを夢みさせ幻想させたようであり、姉はより醒めた目で、名ばかりの自分自身が持っている男爵夫人の称号が新大陸の新秩序に齎す効果の程を試してみたいと、内心面白がるやら冷やかしの気持ちが半々、思っている。
 
 ところで二人の姉弟の名前をユージニアとフェリックスと云うのですが、不思議な名前ですね。ユージニアとは、ユーロッパとヴァージニアの組み合わせのようでもあり、フェリックスはバルザックの有名な小説の登場人物ですね。

 二人の首尾は大変上首尾で、二人ともそれぞれに資産付きの、この上ない上質の結婚相手を選び出すことになる。ヘンリー・ジェイムズの凄いところは、その下卑て下品な二人ごくつぶしインテリの珍道中を、あたかも高貴な中世王族と大使の厳粛なる”表敬訪問劇”に仕立て上げている点である。ジェイムズは知らないふりをして、口では高尚なことを云う姉妹が、内に秘めている、あるいは本人たちの意識に決して赤裸々な形では上がってこない目論見や願望を語らない、と云う書き方をしている。つまりジェイムズの語り口は、近代文学の常道からすれば、作者が知るっている情報の肝心なところを語らないと云う意味で、極めて不誠実であるとの印象をわたしなどは受けるのである。
 しかし近代小説家としてのかかる不誠実さこそ、ジェイムズの文学の由縁なのであって、不誠実を不自然とはしないところに彼の文学の偉大さがある。

 さて、目論見通りのゴール達した二人はどうしたか。弟のフェリックスは多くの試行錯誤と心の逡巡を経て、娘に婚約を申し込むことになる。それを近代の恋愛小説のように、好きだからだとか愛しているだとか心の情熱だとかの理由によるのではない。プロポーズが単純でないのは資産がないからである。
 ここからがジェイムズの凄いところであるが、二人の組み合わせは、二人の婚約と云う儀式が、娘の閉ざされ秘められていた近代女性としての解放と完全なる人間になると云う願望を意味するとともに、二人の組み合わせが、ニューイングランド社会におけるウェントワース家と心理縁者関係の複雑な関係を過去の柵から解放させ、各々の人間関係の於いて新しく組み合わされることで、全ての人間が幸せになると云うカードゲームの再配列、夢のような組合せが、最後には実現するのである。

 一方姉のユージニアは、自分たちの目論見が余りにも巧くいきすぎたのを半ば悔みながら、社会的身分や資産、もしかしたら美貌や若さ、その他のあらゆる人間としての特性を保有してはいないか失ったかに見える自分たちに、この人たちのためにしてあげられることに対して、一泊一膳の恩義として、せめて手土産としても、消極的であってはならないとも感じている。
 さらに、彼女は自分に唯一残された長所であるところの明敏さ、知的であると同時に透徹し卓越した理解力を駆使して、最後は自分の金鍍金が剥げ落ちる前にアメリカを去った方が良い、と云う妥当な選択に至るのである。なぜなら彼女は自分を役者と考えられており、もはや語るべき台詞は無いとも感じているのである。
 人は、去り際は惜しまれて往く、と云う形にした方がよいのである。ユージニアの人間観照の寂寥を描く場面である。

 以上のシンプルなお話を、森と湖、牧場と雑木林を美しい夕日染めるニューイングランドの鄙びいた風土を背景に、典雅な、ロココ風疑似王朝風宮廷劇として描き終えている。

 ジェイムズのような作家に出会うと、偉大な人物に立ち会っている、と云う気がしますね。