アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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谷川健一『日本の地名』――旅と人生を堪能できる本です アリアドネ・アーカイブスより

谷川健一『日本の地名』――旅と人生を堪能できる本です
2018-02-24 19:47:21
テーマ:歴史と文学


 新書ながらなかなかに敷居が高い。末尾の沖縄やアイヌなどの境界域を扱った「固有地名と外来地名」を除けば、三つの部分からなる。
⑴ 「地名の旅――黒潮の流れに沿って」
⑵ 「地名と風土――中央構造線に沿って」
⑶ 「地名を推理する――白鳥伝説の足跡をたずねて」

 敷居が高くわたくしに感じられるのには、ひとつには通常の既成的な歴史的な知識が利用できないこと、言い換えれば一般に流布された表面の歴史からもれた「小さな歴史」を描こうとしているからだ。それは現代史的なアクチュアリティもあって、昨今の地名の恣意的な改変によって、歴史が、日本人のアイデンティティが侵されることに対する、著者の学者ならではの抵抗者としての姿勢が読み取れる。それは大文字で語れば、日本人単一民族説と云う名前で語られているナショナリズムへの傾斜である。かかる文化や伝統の問題では、右や左と云うことは問題とならない。

 二番目は、日本全国をほぼ縦断する広範で広域な地名の由来を訪ねる旅となっている。文字を解読するとは、歴史学に於いては、字面、音韻、現地に出向いての多角的評価を経て、そうにか「推測」を確定する、辛気な作業である。土地の名や地名は、何れも正史からは程遠いローカル的な位置にある。だからと言って、過去においてそれらの名前がローカルであると云う意味ではない。ローカルで「小さな名前」には、それなりの由来がある。それらの名前を掘り起こすとは、第一に歴史に埋もれた人が生きた証を再現すること、第二は「小さな名前」の由来と歴史を記録に残すことで、日本人のアイデンティティにいささかでも寄与すると云う、同時代史的歴史家の営為なのである。
 この書がわたくしには敷居が高く感じられるのは、それぞれのローカルな地名に馴染んでいないからである。調査の過程で著者が感じた臨場感を追体験することはできないが、土地の名前こそ歴史と文化の宝庫であることぐらいは分かる。

 この書の第三の特徴は、⑴ 黒潮に乗ってきた日本人、ここでは古代日本に黒潮に乗って来った海人族の消息が言葉に残された痕跡によって語られる。⑵ フォッサマグナ中央構造線にそった、後南朝と山の民の歴史である。正史の彼方に掻き消えた、かって柳田が『山の民』で書きかけた、問題意識としての、原日本人史の継承である。⑶ 著者の真面目とも云える「白鳥伝説」を語る人々による、日本を放浪したもの達の隠された歴史である。さらには、主として水銀の精錬に携わった人々の、今はなき山間僻地に伝わる名の痕跡を求める旅である。例えば近畿地方を中心に幾つか存在する丹生神社の名前は、往時は歴史を文化として規定し、鉱脈が尽きて後は水分の神として、水神として崇め奉られることになる。全国の霊山、名所旧跡に散在する、水源を求める旅は日本人の根源にかえる旅であるかと理解していたのだが、その前には鉱物を中心とした文化があった、わたくしたちは農業を基本に歴史や文化を理解しがちだが、わたくしたちに抜けていた観点をこの書は教える。この書の第三の特徴は、歴史を地理学にまで拡大して記述する、歴史観の壮大さである。正史と農業のみでは語れない、先‐歴史の民俗学的な構想の一端に連なる書である。
 
 また機会があれば谷川の本を訪れてみたい。代表作『白鳥伝説』は随分前に読んだが、記憶が失われてしまった。めったに学者などには憧れを感じないものだが、この小さな新書版の背後に、生涯の大半を旅に過ごし旅に暮らした著者の、真っ白な手拭いで滴る汗を拭きながら、重畳する山から谷へと渡る、山頭火もどきの旅の日の在りし日の一齣を彷彿と想像して、羨望の情やむことを得なかった。