アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ジェイムズの『モーヴ夫人』アリアドネ・アーカイブスより

ジェイムズの『モーヴ夫人』
2013-06-23 14:15:01
テーマ:文学と思想

 

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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ≪花咲く樹・モーヴの思い出≫1888年


・   追憶の対象へと化した人への思いがこれほどまでにも晴れやかであると云うのも納得でしそうな気がする。ヴァン・ゴッホのことは余り知らない。ジェイムズが描く本作品はパリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レと云う田舎町だが、田舎の別荘地のようでもあり、19世紀後半はアルジャントゥイユなどと並んで、印象派の画家たちが屋外にキャンバスを据えたところであろうか。美術に造詣の深いジェイムズであれば小説の中から様々な絵画に関する情報を引き出すことは可能だろう。事実、ジェイムズの描写の基調が印象派的であるのは間違いないし、後期の代表作『大使たち』のクライマックスでは印象派そのままの映像が額縁に入ったままの風景として大きな役割を果たす。と云う意味は、ドラマの急展開を告げる風景が、主人公が視線を凝らす東屋の中から見られた風景として、それが額縁を通して見られた絵画であるかのような効果を発揮しているからであって、小説内における絵画的知識の廻覧といってもたまさかの小道具としての言及ではなく、ジェイムズの文学の場合は本質的なのである。特に現実の出来事とロマンティシズムを同時に神話的手法を駆使して語る中期以降の二元的幻想的リアリズムに於いてはバロック絵画の起用は、それなしには彼の文学がなかっただろうと思われるほど本質的なのである。ともあれ、かかる傾向は1874年の初期の本作に於いても変わらぬものとして見出される。
 わたしのジェイムズの読書法は、漱石のように後期の三部作から初めて、挫折することなく徐々に時代をさかのぼり、遂に大河を源流近くまで放浪したことになる。ジェイムズの文学は、手強く難解で、神秘的で、気高く、そして偉大な人間であった、と云うのがここ1ヶ月半ほどの感想である。

 『モーヴ夫人』は、19世紀のアメリカの上流階級では子供の教育をヨーロッパで受けさせると云うのが一分で流行っていたようで、ヒロインもまた少女時代から主として貴族の娘たちが通う修道院で教育を受け、そこで同級生たちの日常から垣間見られた貴族階級への憧れのままに、モーヴ氏と結婚する。最初の内は現実と幻想は折り合いよく同居していたが、やがて旧大陸の貴族階級の堕落した風習と慣習に直面することになる。堕落した風習とは具体的に何かを言うことは困難だが、あえてその中から代表的なものを取り上げれば紳士の浮気が公認された社会であった、と云うことだろうか。一方、その当時アメリカの上流階級を育てた風土とは東海岸の飛ばれる地方、特にニューイングランド気質が濃厚な風土であったから、一夫一妻性を神に認められた最も崇高な制度とする気質とは鋭い対象をみせた筈である。
 
 語り手のアメリカ人、ロングモアは見聞を広めるためにパリを訪れている青年だが、在パリのアメリカ人夫婦から、結婚を通じて貴族社会の中に入っていったとても不幸なアメリカ人夫人の話を聴いてとても興味をそそられる。
 紹介状も間に合わぬような状態でパリ郊外の件の村を訪れ、幸運にも夫人と巡り合う。意気投合した二人は交際を続けるうちに、夫妻の現状が将に事前に自分が想像したとおりであるのに驚くとともに、同情と共感とが交叉するうちに何時しかそれは騎士的な愛へと変貌し、あろうことか夫とその策略好きの義妹からはヨーロッパ式のアヴァンチュールを唆されるに至り、最後はモーヴ夫人の気高い示唆を受けて一人アメリカ大陸に帰っていく、と云うものである。

 何と云うことはないのだが、見どころは二つある。
 一つは、慕情の思いに堪えかねたロングモアが最後に、一線を守ろうと保ちつづけていた静観的な態度を放棄して、一転して、愛の告白に至ろうとする場面である。それは村の宿で絵を描くカップルの弾けるような若々しさに輝いた愛の風景に感化を受けたせいでもあった。緩やかにカーブする河やそれを取り巻くうねるような居―ル・ド・フランスの風景は、ジェイムズが印象派の絵画に影響を受けたものであろう。ここでは印象派と同じような自然への賛歌、ヨーロッパの新しき時代の思潮への共感を語っている。
 しかし夫人の前に出るとロングモアは何も言えなくなる。夫人はロングモアに愛の言葉に類するものを何事も語らせず、不幸であること、不運であることを感受する。ロングモアへの別離を促し、自身はこの後サン・ジェルマンよりももっとパリからは離れたオーヴェルニュの別邸に隠棲するのだと云う。つまり社会的身分としては死者になることを選択すると云うのである。
 かかる人生の選択をする上で重要な役割を果たすのが先に言及したニュー・イングランド気質とでも言えそうな立場、人間のあり方である。モーヴ夫人の特色は、日本人から見れば異様に頑固であること、人の云うことに耳を貸さないと云う点だろう。不幸な人生をやり直すようにと云うロングモアその他の人々の助言を悉く覆したうえで彼女は言う。――不幸であることが自分以外の原因で生じたことであれば他者の助言は有効だろう、と。つまり自分の主体的決断で生じた出来事については自分で責任をとるほかはない、と云うのである。
 ロングモアはアメリカ人として価値観を同じくするものである筈だが、ここまで物事を過激に考える訓練は受けていない。それでも彼女の信念の強さに押されるように納得してしまう。別れの言葉を述べる前に彼女がロングモアへの餞として降した言葉は次のようなものであった。

「お友達について、悪い意見でなく、良い意見を持つことで不幸になる筈がありません。」(P94)

 この物語は二通りに読める。自らの奉じる価値観ゆえに幸福になる道を自ら閉ざしてしまう意固地な気高い貴婦人の物語である。
 いま一つは、表面上の読者に読んでもらうためにジェイムズが工夫しているお話し、――例のジェイムズ文学の常套的な読み方、アメリカ人の無垢さ、純粋さと、ヨーロッパの精神的道徳的な堕落との二元論的対立と云う構図である。
 一番目の読み方を可能にする理由は、モーヴ氏やその妹を必ずしも単純に堕落した、腐敗した人間とはジェイムズが描いてない点であろう。なぜならモーヴ氏は少なくとも慣れ染めと晩年のころは夫人のヨーロッパにはない稀有な高貴さの前に跪き、人からモーヴ氏は変わったと言われたほどだったのである。最後は夫人の前に自らの非を悔いて跪き、それが受け入れられなかったがために彼は悲観してピストル自殺する。単なる堕落した人間と評価するにはその立場は余りにも狭隘に過ぎよう。むしろ夫人の道徳的潔癖と仮借のなさに冷たくぞっとするものを感じるほどである。
 義妹のマダム・ド・モーヴの助言にしても、建前はともかく現世に生きて、人が幸せであるためには、妥協すると云うのではないが、その社会の慣習や風習に対する敬意を持って接すると云うことも必要なことなのだ、と云う尤もな助言なのであるが。これに対するモーヴ夫人の態度は頑なで、まるで未開の地に入りこんだ宣教師の潔癖さを思わせるものがあるのだ。こう云う風にキリスト教は世界中を伝道して廻ったのだろうか、その結果には唖然とするものがある。

 ジェイムズが、原作者として、個人としてどのような思想を持ちどのようなメッセージをこの作品に籠めたかは確かに自明であろう。しかし結果として、形象化された作品としては、登場人物のあれこれは作者の一面的な評価を受け付けずに、膨らみのある多元的な評価を裏づける結果となっている。そのため今日に於いてもこの作品は多様な読者の前に、多様な読み方を可能にしているのである。
 文学研究の醍醐味は、表面に現れた作家の顕在化された意図を読み取る事だけで十分ではない。作者の意図を超えて、作家の潜在化された意図を同時に汲みとって、人生を豊かなものであると感じることにあるのだろう。
#小説