アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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映画『二十四の瞳』アリアドネ・アーカイブスより

映画『二十四の瞳
2013-06-24 16:11:23
テーマ:映画と演劇

 

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・ もはや戦後の伝説と化した観のある名作・『二十四の瞳』について今頃、わたしごときが何事を言ってもせんないと云う気はするのだが、偉大なる映画監督と云うものは主観的な意図を超えてある永遠的なものを映像に焼きつける。いきなり大仰な言い方をしたのだが、数多い名場面が連続する中でも注目したいのは、実にこの映画の中で最も小さくてささやかなシーンなのである。
 それは遊覧船の船員をしている夫の出征を明日に控えた夜の家族風景である。高峰秀子演じる夫妻と、その祖母と、三人の子供たちの何げない茶の間の風景である。徴兵に応じて明日からはこの村を去ると云う以外は何処と言って変わったことのない戦前の日本の家族の風景がそこにある。
 画面を見ると卓袱台を中心に左手に高峰が幼い娘を抱いている。右手には夫が、そして離れて祖母が声だけになって、ちらりと画面に出たり隠れたりしている。
 画面の奥の方では襖が一枚開け放たれて、上の男の子たちが戦争ごっこをして遊んでいる。気が起っているいる高峰は子供たちを叱る。子供たちなりに明日のことで興奮しているのである。夫は妻の神経的な高ぶりを諭すように立ち上がって、隣室で静かにしている男の子たちに戦争ごっこの続きを促すのである。
 教師役の高峰は、この映画では何回か反戦思想の持ち主――正確には厭戦思想の持ち主として描かれている。日本の母親たちは本心では戦争協力には反対だった、と云う設定である。それで戦後に造られたこの映画では原作の壷井栄イデオロギーはともかく、高峰は木下の代弁者として戦争と云う事態には批判的であったことが語られる。つまり制作側の意図と映像の造り方は正確な一致を見せている。しかしわたしが感心したのはイデオロギーを超えた夫の優しさであった。生死も解らない戦地に行くこと、しかも船員と云う特殊技術を持った者ならばその命運は大方予想できる。その夫が反戦思想を云々する以前に極限状況下に於いては、何事をなすべきであるかの見本を演じているのである。つまり反戦なり厭戦なりの言説を超えた映像を、結果としての描かれた作品としての映像に於いては必ずしも制作者側の意図に忠実ではなかったのである。プロバガンダ映画を除いて何故こうしたことが起きるかと云えば、正確な描写とは監督の脳みその中から生じるのではなくて、置かれた状況が差し出したままのものを、それを素直に受け止めることのできる感受性があれば足りるからである。

 実は木下恵介と云う男は、無思想、無理念のように見えて良く物事が見えていて、わたしは成り行きで木下が無意識のうちに表現したかのように書いたのだが、実際にはかなり意識的に映像を拵えているきらいがある。つまり自然なのである。自然な表現であるがゆえに、何処までが木下の意図された表現で、何処からが言外の無意識化された表現であったかを腑わけすることは困難なのである。
 本編にはそう云う意味での名場面や小道具の有意味的な使用、象徴的な表現に満ちている。有名なのは最初に女教師が颯爽と登場する自転車と洋装の用い方であろう。師範学校出たての溌剌とした感じが旧態然とした離島の農村社会の色調と鮮やかな対比をみせている。この自転車が最後は、夫と祖母を失い、加えて食糧不足の不慮の事故から末の娘を失い親子三人の頼りない母子家庭の孤独な母親が、経済的な理由から19年前の再び岬の分校に職務復帰することになって、教え子から送られた自転車を雨の日に故意で行く曇天の風景が、雨合羽を被った灰色のシルエットが右から左へ、左から右へと横切って、多難な戦後と云う時代の出立を暗示して余韻深く終わっている。
 自転車の他にも村のバスが象徴的に用いられていて、教え子が待つ岬の分校に行くのにバスにも乗らず親子三人で歩いて行く場面がある。つまりバスに乗るのも剣訳しなければならない、一家を襲った戦後の零落した姿を暗示しているのである。それが分からないと、教え子たちの好意に思わず落類する意味が分からない。つまり18年前、その貧しい子供たちの境遇に落類した教師は立場が逆転しているのである。つまり憐れまれ同情されるのは自分の方なのである。それが戦争が彼らに齎したものなのである。
 遊覧船もまたこの映画では有意味な象徴性を持っている。たぶん航海士とはこの時代、取り立てて給料取りと云う身分が希少である村落社会に於いては輝かしいものがあったのかもしれない。それで四国の栗林公園や金毘羅さんに向かう生徒たちを乗せた遊覧船が、ちょうど逆方向から来る遊覧船とすれ違う場面はこの映画の中で最も華麗な場面ではないかと思う。つまり定期便だからどの時刻の何処で二つの船がすれ違うと云うことは自明であり、それで夫は舟を歓迎の旗で飾り立て、同僚の船員たちは楽隊を編成して歓迎の演奏で修学旅行の一行を――実は引率の教師である妻を送る場面である。
 話が名場面の解説に逸れてしまったが、この遊覧船が数年後は出征兵士を送る艀では一回りもふたまわりも小さな船舶に姿を変えている。つまり遊覧船は廃止になり、軍部に徴用されて他の用途に用いられているのであろう。ここでも艀と舟の甲板では送迎の挨拶が交歓されている。
 木下はアイテムの同一と異同を巧みに用いて、実は時の経過を描いている。時の経過は親しき人々の欠落を、二十四の瞳の欠損について語る。

 『二十四の瞳』は、モノクロ映像の三時間に迫る大作である。昭和3年から終戦の翌年の昭和21年までの18年間を語る。
 最後に語られなければならないのは高峰が演じた非力な教師像だろう。岬の分校に入学してきた時の純真な二十四の瞳が欠けたり曇りそうになると、心を痛めた教師は静かに寄り添う。彼女に出来ることは助言することではなく、共に泣くことでしかない。なぜなら極限化の状況下に於いては言葉は意味を失うからであり、戦時下の言説としては言葉は危険視され、言葉の軽さとして貶められたからである。言葉は非力であり偉大な行動の前には一歩も二歩も控えているべきだと云わなかっただろうか。それでこの映画では言葉なき言語として、記念写真が、そして音楽が――主として小学校唱歌が効果的に用いられているのである。
 映画の最後で、戦災未亡人となって職場復帰した元教師の歓迎の席で、いまは盲目となった青年が昔小学校の時に撮った二十四の瞳が映った記念写真を手でなぞる様に、そしてまるで目が見えるかのように記念写真の詳細を解説してみせる場面は有名だが、ここでも特徴的なのは言葉に代わるものとしての、マイムなのである。このあと宴席に連なった同級生たちは”いつか浜辺に”を唱和するのだが、もともとこの映画自体が全編、ミュージカル映画と思えるほど歌に満ち満ちている。
 マイム、そして歌の力なのである。

 戦後と云う時代は言葉が復権する前に、まずはマイムと歌うと云うことに於いて復興されなければならなかったとでも云わんばかりである。これは個人としての木下の音楽好きや芸術への造詣の深さと云う意味を超えて、彼が戦後の何に対して照準を合わせていたかを語っている。木下のほかに誰が、映画を、芸術を、文化政策として語った映画監督が居たであろうか。
 
 木下恵介と云う映画監督のその後の軌跡を語ることは、その後の日本映画の退潮の歴史を語ることでもある。
 木下映画は映画産業の没落とともに人々の口の端に膾炙されることが極端に少なくなった。二十四の瞳の若き教師が校長から赤い思想の持ち主であると嫌疑を受けて叱責される場面が数度あるが、教師であることの実存としてあれほど望んだ言葉が後継者たちによって復興されることはなかったようだ。むしろ70年代以降の時代に起きた映画界の出来事とは、東映の任侠路線のように、あるいは松竹の寅さんのシリーズのように、語らないこと、寡黙であることが推奨されるような社会の出現なのであった。