アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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 民族詩『イムジン川』の半世紀 NHKアナザーストーリーズより

 民族詩『イムジン川』の半世紀 NHKアナザーストーリーズより
NEW!2020-02-25 10:49:19
テーマ:音楽と歌劇

 昨今のNHK民法との違いが分からなくて、有料放送であることの根拠がますます曖昧なのであるが、ドキュメンタリー部門に限っては良い番組を作っていると思う。

 昨夜も、寝る前にコロナウイルス関係のニュースを見たいと思ってスイッチを入れたら、午前理事も過ぎた段階ではどこも遣っていなくて、たままた題名に魅かれてこのドキュメンタリーを最後まで見てしまった。最初から見れなかったのが残念なほどの出来栄えであった。

 話しは戦後の遠いむかしで、六十年代にフォーククルセーダーズと云うフォク―ソングのグループがいて、彼らが取り上げた「イムジン川」が当時の深夜放送の電波で流れ、ほどなく放送中止になって私たちの音楽環境から消えたことは記憶にあった。美しいメロディーであったことは記憶していたが、申し合わせたような沈黙の仕方の迅速さに、疑問符を持つゆとりすらなかった。当時はこの他にも、グループサウンズ反戦フォークなど、従来型とは異なったアウトサイドの音楽の全盛期にあったからである。
 疑念は半世紀以上も私の脳裏からは消え去っていた。

 かいつまんで言うとこう云うことである。
 六十年代の遥か昔にあるフォークのグループが朝鮮半島に伝わる「イムジン川」と云う民謡に日本語の歌詞を付けて歌うことになった。ところが放送されて暇もなく北朝鮮系の機関から注文がついた。朝鮮半島ではすでに有名なこの歌に作曲家も作詞家の名前も書かれていなかったのが理由であると云う。当時著作権の概念も曖昧で、当然成すべきこと、手続き上の手順も知らなかったのだろう。日本側もフォーククルセーダーズも事が厄介になるのを怖れてあっさりと取り下げたのだろう。それ以降、この音曲に関わる情報は途絶えた。
 ところが京都の朝鮮人学校でこの歌はある音楽教師の元で歌い継がれていたと云うのである。

 日本のフォークグループが取り上げた契機が、一方ではある朝鮮人学校の教師の営為をとおして多くの同行の生徒たちに受け継がれる。音楽教師はこの歌を通じて、歌に込められた南北に分断された祖国の願いを感じ取ったのだと云う。
 しかしこの歌が持つ不孝さはその歌詞にあった。歌の根底には北朝鮮国家の賛美が通底していたからと云う。
 この音楽教師にも転機が訪れる。当時京都市交響楽団北朝鮮は文化的に友好関係にあり、首都ピョンヤンともう一つの東部の港湾都市で開かれることになる。ここで京都市交響楽団は歌詞なしのオーケストラバージョンをアンコール用として用意し、朝鮮人朝鮮人であることの由縁を秘めたこの曲に示す反応に興味を持ったという。しかしその反応は驚くべきものだった。行進曲ような元気のよい音楽を聴きなれているここの国民は、この曲を何処の国の音楽なのだろうと、奇異の念を持って対面したという。つまり、在日の朝鮮人音楽教師の耳には分断された民族の哀愁を秘めた音曲とメロディーを感受する感性そのものまでが失われたいた、と云うのである。
 つまり、ピョンヤンに代表される北陽線の民衆はこの音曲の存在を忘れただけでなく、この種の音楽を受容すると云う感性そのものを失っていた、と云うのである。

 しかし意外な事情は次の公演会場、東部のある港湾都市で起きた。
 その町は、戦後在日の方々やその日本人妻たちが渡り、当時もなお多くが住んでいる町で起きたのである。
 在日の方々と日本人妻の人たちはこの歌に分断された半島の現実だけでなく、いまは帰れなくなってしまった、住み慣れた日本への郷愁を籠めてこの曲を聴いたと云うのである。
 つまり本国では失われた音曲とそれを受容する感性が、在日の方々のなかに、より強く受け継がれていたのである、と云う。

 八十年代になると日本においてもこの音曲をめぐる環境には変化があった。
 活動の場を日本にも留めて来日していたキムヨンジャによってこの曲は注目を浴びることになる。朝鮮人である彼女にとってもこの曲は分断された祖国を想う特別な曲となった。彼女はこの音曲に意を尽くしたいと願った。

 やがて活動の場を求めて祖国に戻ったキムヨンジャにとってもその後の音曲を廻る経緯は順調ではなかった。
 すでに韓国においてももはや演歌的な歌唱法は過去のものとなりつつあった。
 すでに歌手としての彼女の存在そのものすら過去のものとなりつつあったのである。
 
 しかし、そんな忘れられかかっていた彼女も世紀が明けるとこの音曲ゆえに復活する。
 彼女は北朝鮮金正日に招かれて熱唱する。
 その音曲をラジオ電波のなかで聴いていた一人に拉致被害者の一人である蓮池薫もいたという。
 祖国復帰を願う拉致被害者の心が、イムジン川への民族的哀感に重なったのである。

 世紀が開けて二十年が経った現代においても朝鮮半島においては南北統一の夢は果たされていない。
 しかし復活したキムヨンジャが歌う歌は、歌の原詞ともクルセーダーズが付けた歌詞とも違っている。日本語の歌詞と朝鮮の歌詞による二つの言語を交えたキムヨンジャy固有の歌詞なのである。それがこの音曲が閲した半世紀の、過酷な歴史なのであった。

 キムヨンジャは日本に住むことによって、在日と云う、日本人でもない、それと云って韓国人でもない複雑な事情を理解する特殊な存在となった。リムジン川が隔てるものは、南北に分断された祖国の歴史であるとともに、韓国、北朝鮮、そして日本と云う三国が経て来た不幸な歴史でもあった。
 「リムジン川」とは、国境線を流れる川であると同時に、在日と、北朝鮮への帰還者を含めて、それ以外の見捨てられた一部の日本人の郷愁をも歌った音曲であったわけですね。

 リムジン川とは、同時に玄界灘でもあり日本海でもあったわけです。
 少なくともキムヨンジャの絶唱はそう言う思いを籠めて歌われたのです。彼女は、さながらに歌の力と云うものを申しました。歌は偉大です!
 私は今日において、彼女の歌の活動において関心を払ってこなかったことをお詫びいたします。

 こうして再び歴史は六十年代のフォークを歌った日本の若い世代、いまはもう失われた日本人の若い世代の郷愁とでも言うべき思いへと回帰するのです。

 韓国、北朝鮮、そして在日の方々、それから見捨てられた一部の日本人の思いを籠めてこの拙い感想文を奉げます。