アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

高橋たか子・哀悼――『空の果てまで』と『怒りの子』アリアドネ・アーカイブスより

高橋たか子・哀悼――『空の果てまで』と『怒りの子』
2013-07-20 16:31:54
テーマ:文学と思想


・ 時間の構造にはミステリアスと云うか薄気味悪いところがあって、――有名人の場合だが、あの人はどうしているだろうなどとと考えていると、その人の訃報が伝えられたりする。何度かあるので気にも留めないのだが、考えてみれば、自分の年齢が死者と交信し交感するに相応しくなっている、ということを説明していると云う風に考えれば、何もミステリアスなことはないのである。
 先日、モーリアックとカソリックのことを少し書いていて想いが尽きず、つい、彼女のことに触れてしまったら、その翌日の12日に彼女はみまかっていたと後に聴いた。

 

 

http://ec2.images-amazon.com/images/I/411W99A096L._SL500_AA300_.jpg


・ 1973年の『空の果てまで』は、ミステリアスな良くできた本である。高橋たか子
本意は自己嫌悪と云うよりももっと激しい、自分の周囲を憎悪と怨嗟の無限循環過程に呼び込んで地獄の劫火によって焼き滅ぼしてしまうと云うヒロインが登場するが、初期の作品のこの主人公もそうである。
 高橋は、清貧で可憐な、いわゆる聖女型の人物の存在が許せない。それで、親しいと云う訳でもない、ニ三度戦時中の女子挺身隊の工場勤務の中で接触があっただけの落合雪江の乳飲み子を奪ってしまい、その子に対する虐待を通じて思いっきり奇形な子供を育てようと決意する。その試みは、戦後雪江と偶然から出会い、出会いの中で彼女の「完全犯罪」は秘匿されたまま、両家の子供同士の交情によって、一部救いとられ、それが彼女に「地の果てまでも歩みつくした」と云う実感に支えられ、自分の最後の作品である娘を、初めて憎悪とは異なった観点に達することで挫折するのだが。彼女の自分の周りで近づこうとする者に対する憎悪と復讐の凄まじさは、大阪空襲下で夫との間に出来た長男を家の中に置き忘れ、夫から子供の安否を尋ねられると逆上して、炎の中に指示し、夫ともども焼死させる非常さにも現れている。
 しかし、カソリックの作家としての高橋はこう書く。――「本当に残酷でない人が、本当にやさしくありえようか。」(第5章)

 高橋たか子の文学にある「存在の病」とも云うべきものは何なのだろうか。
 一つは、戦前の女が環境とは隔絶するような形の教養をもってしまった、と云う点である。戦前・戦中の話と云うと神秘めかして語られることが多いが、ここには平凡な女子学生の醒めた認識が描かれていて、戦後とはそれほど大きな断絶があったのではないことが描かれている。忠君愛国や滅私奉公の理念のイデオロギー性や欺瞞性は普通のこととして語られているが、この「普通」さが、逆に彼女とその周囲の環境的社会との隔絶感を理由づけているのである。
 二つ目は、空疎な学問、――つまり大学で教えられているような「もの」として教えられる学問的体系性の嫌悪である。高橋の嫌悪観は体制のイデオロギーに向けられているだけでなく、反体制運動の観念性にも向けられている。観念性への懐疑が学問へと向けられる場合、それは男たちによって操作される学問と云うことであるようだ。この場合の最大のイロニーは、かかる「男たちによって操作される学問」なるものを一世を風靡しつつ象徴していたのが夫君の和己であった点だろう。「男たちによって操作される学問」とは、その射程に関して言うならば、戦前・戦中にあっては忠君愛国の思想であったろうし、戦後に於いては平和と民主主義の思想であったのかもしれない。つまりたか子には、戦前・戦中・戦後を通じて一時と云えども闘いの鉾を納めるときはなかった、という点である。永久革命者と云う概念が別にあるけれども、高橋たか子もまた形而上学的な永久革命者的修道僧であった、と云うことだろう。
 高橋たか子の生涯は、女と云う身体性に根差した学問、――そうした学問があるとしての話だが、女である事から来る批判性と云う点を、刀折れ矢尽きるまでの極限態に於いて生き、聖性と魔界との狭間に討ち死にした、極めて顕著な特性として感じさせる生き方であったと思える。冥福を祈る!