アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『麦秋』――小津安二郎の紀子三部作・その2 アリアドネ・アーカイブスより

麦秋』――小津安二郎の紀子三部作・その2
2013-08-16 16:13:53
テーマ:映画と演劇

 


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・ 『麦秋』もまた、婚期の遅れた娘の物語である。最終的には、小津調の調性に乗って婚約に至るのだが、さて、当該の婚約者の映像として現れる方の映画かそうでない方の映画かと云う設問を立てて観ると、この映画は前者の映画である。つまり乱暴な言い方をすれば、結婚生活の幸せを確信して良いほうの映画である。

 まず、舞台装置の方から注目すると、映画のパンフレットにも使われた一族が整列した記念写真が全ての違いを物語る。この家庭では両親が健在であるだけでなく、長男の家族も同居している三世代の混合家族?である。この時代には珍しくないので、わざわざ断わる方もないほどである。

 

 この映画の味わい方のポイントは、全てに於いて控えめで従順であると思われた娘が最後は周囲の危惧や反対を押し切って、あろうことか、子持ちのやや人生に疲れた感じのする田舎の病院に出向を命じられた子持ち男の妻になりたいと云うのである。
 これには妹の嫁入り先を堪えず心配していた長男も、また年老いたりとは言え未だ常識的判断は十分に出来る老夫婦を困惑させるものがあった。ただ、時代は戦後、昔風の人間ではあっても娘の婚約は親が決めるものだとは云い切れない。長男も不承不承従うほかはないのである。老母が言う次の台詞が家族の最大公約数的なものであろう。――ぜんぶ、自分の力で大きくなったと思っている、そう云って家族全員で溜息を付く場面は、そこはかとないペーソスとともに滑稽感すら漂わせている。

 紀子の唯一の話し相手で理解者の親友が言う台詞は次のようなものである。――あんたは緑の芝生があってプールサイドには真っ白い椅子があるような家に嫁に行くものだとばかり思っていた、と。正確な引用ではないけれども概略はこう云う。

 この映画で好きな場面を三つ、挙げておく。
 一つは、北鎌倉のプラットホームで電車を待つ紀子が同じく東京方面に通勤している子持ちの男に日常座談風な会話を交わす場面。男がホームの柵の際で本を読んでおり、彼らの日常の関係から読んでいる本が何であるかを知っている、それで『チボー家の人々』の第何巻目まで読んだか、と聴くのである。これに類する会話が過去にも幾度かは繰り返されたことを予感させる場面である。人生の美しい時間は、こんな風に過ぎていくものだとしみじみと思う。
 私も実際に北鎌倉のプラットホームに立って見て、そこいらを歩いてみて実感を感じとることが出来たことは幸せな経験の一つであった。

 二番目の場面は子持ち男の地方への赴任が決まって、東京都の別れを惜しむようにお茶の水の喫茶店で戦争で亡くなった、紀子にとっては兄であり子持ち男にとっては親友であった共通の死者の面影を語り合う場面である。死者の遺品と云うのは何時もそうであるのかどうか確信が持てないのであるが、それを請けるのに相応しい人と場合と云うものがあるものだ。男が言うには最期に戦地から貰った手紙に添えられていた麦の穂を――それが麦秋の由来である――紀子さんに残していきたいと云うのである。私はこの場面に来る度毎に、もしかしてこの映画の最高に美しい人物はこの亡くなった兄のことではないかと思えてしまうほどである。
 この場面は、麦秋の黄金の穂の揺らぎと輝きゆえに天上の物語であるほどにも美しい!

 三番目は、云わずと知れた杉村春子の名演技の独壇場と化した感じのある、紀子が思いがけずも婚約を子持ち男の母親から請ける場面である。
 結局、小津の映像を通して解るのは、この世では起りえない出来事が起きた、と云うことである。母親が言うには、もしも仮にと云う前提で云うのだが、――怒らないで聴いてほしいのだが、紀子さんのような人が奥さんになっていただいたらどんなに良いだろうと考えてみたことがあった、本気で云う訳ではないのだけれども。
 しかしこれに応えた原節子の微笑は、この問いとは別次元の輝きと云うものに照り輝いていた。好きとか嫌いとかそういう感情ではなく、その場に置かれた人間がそうせざるを得ないような必然性、そうせざるを得ないような啓示のような宗教的な感覚に捕らわれる、と云うことはあるのだろう。そうした生涯に何度もあるとは云えない、稀有の瞬間を小津の映像は留めているのである。
 私は、微笑と云うものがこれほどの豪華さを持つものだとは知らなかった。それは人間であることを超えた女神の微笑に近いものだった。死の家の巫女が如何にして愛の女神に変貌するかの次第を描いたのが『麦秋』と云う映画であると思う。
 『麦秋』は『晩春』の紀子を請けて、死の家の巫女が如何にして愛の女神として再生(ルネサンス)したかの次第を描いた物語である。つまりつまりこの作品は、戦禍で疲弊した戦後の日本人に向けられた小津の励ましともとれると思うのだが、いかがであろうか。

 最後に、小津の細かい演出法についても言っておこう。
 一つは通常、小津の映画では画面の人物配置は「雁行配置」と云って、登場人物は対面することなく同一の方向を向いての、遠い近いに応じた大小の雁行型となる。これには例外があって、婚約が成就する二人の場合や身内とも云える親友と会話する場合は対面に配置される。この映画では、二人は北鎌倉の登りホームで対面して会話する。お茶の水の喫茶店ではテーブルをはさんで向かい合い、窓からはニコライ聖堂の特徴あるドームが顔をのぞかせている。紀子は親友を迎える場面や反対に相手方を訪ねる場面では、対面してあれこれと自由な四方山話に興ずる。
 つまり、親和性が無防備な場面では、対面した舞台の構図となる。