アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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小津雑感――吉田喜重の小津論など アリアドネ・アーカイブスより

小津雑感――吉田喜重の小津論など
2013-08-23 10:15:33
テーマ:映画と演劇

 

 

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  もう随分むかし、NHKの番組で小津安二郎を語る吉田喜重の小津論の語りを聴いたものだ。当時、私もまた小津はもっともっと評価されて良いと感じていたので、彼の熱い語り口に感動したものだ。それは直弟子が直弟子であることの矜持をかけて語る、と云う語り口であった。
 ところが先日ある温泉宿に付属している喫茶店の書棚に映画関係の本が数冊あったので、その中で薦められるままに手に取った本を読むうちに昔の記憶がおぼろげながら甦って来た。映像として語りを聴くのと、本を読むとでは感じも違う。読書と云う能作的態度は、人を理知的に分析的にし、見解の相違を広げてしまう傾向がある。それにしても、である、ここまで拡がってしまうと小津の許容性、解釈の多様性と云うことでは済まなくなってくる。伝記的作者にありがちなことだが、語ろうとする対象が近すぎても対象がぶれてしまうことがあるが、些事に拘り、解釈のための解釈と云う悪循環に捉われて、素直に映画を鑑賞すると云う態度が失われてしまうのだ。

 一つは、フロイド風の性解釈をあらゆる芸術に適用する最近の批評的態度全般に対することの是非である。確かに、疑似フロイト派の云うように、この世の些事から森羅万象まで性的な比喩に満ちている。だから性的な解釈は普遍的であるかと云えば、例えばそれは金田一の事件簿に出て来る警部のようなもので、――日本人と癌との因果関係を発見した!それは米食である、と云うようなもので、何も言わないのに等しいのである。
 吉田の本は最初から些事に関わって、『東京物語』の最初に出て来る老夫婦の空気枕をめぐるユーモラスな会話を取り上げて、事物(空気枕)から見た眼差しなどと殊更に云う。実を言うと、私も吉田の云うことは良く分かるのである。小津映画の「語り」の最大の特徴は、カメラを覗いているものは誰なのか、と云う疑問を論じることに、わくわくするようなミステリアスな楽しみがあることを否定しはしない。しかしだからと云って、小津が夫婦の老いを観客向けに解りやすく描いている平凡と云ってもいいような場面を取り上げて、まるで拡大鏡をみるかのようにして賢しらに語ると云うのは大人げないのである。大人げないと云うよりは、都会人である小津の眼差しを借りて云うならば、スマートな映画論ではないのである。小津の直弟子と云うことで気負いもあるだろうし、小津ほどのものであれば様々に云い尽されたと云う事情もあるかもしれないが、小津風のダンディーさを裏切るものであると思う。
 
 かかる類似の解釈は『晩春』の京都旅行の折の旅の宿の出窓に飾られたひょうたん型の壺を論じるところでも、盛んに性的な隠喩を読みこもうとしている。壺が心理学で女性の特殊な器官を意味することは自明すぎるので、白けた感じになるのである。しかもあろうことか、著者はここから近親相姦のモチーフを論じて、寝入る父親の寝入りを狸寝入りである可能性について言及し、そこから反転して、おぞましい性的な隠喩の妄想からの浄化を、土器の清浄な立ち姿に籠められていると云うのである。読み方としては面白いし傾聴にも価するが、――こうした解釈の自由度を許すのが小津の芸術だと思うので紹介しているのだが、私などは娘が戦後の新しい女性として生まれ変わるために最も話題が佳境に近づいたときに男社会の示す論理の無関心さ、と捉えているので、――どちらが正しいと云うのではなく――ここまで極端に乖離した二通りの鑑賞が可能なのかと、いまさらながらに小津の偉大さの前に脱帽する想いである。

 こうした吉田の深読みは『東京物語』の紀子を論じる場面で典型的に露呈する。小津描くところの紀子は誰の眼に見ても出来過ぎの感がある嫁である。人間の老いとともに戦災未亡人である嫁の中に理想化された女性像を読みこむことが『東京物語』の主要なモチーフであると思うのだが、その嫁について『東京物語』は最期の場面で老母の葬儀が済んで帰ろうとする嫁を相手に老人がしみじみと、肉親の子供たちより他人のあんたの方がよっぽど良くしてくれた、と感謝の言葉を述べるのである。
 たぶんこの場面は映画のクライマックスの一つであると思う。しかし吉田はこの場面や、もう一つの重要な場面――やがて亡くなる老母が紀子の貧相なアパートに初めて止めて貰うあの場面を取り上げて、所詮、肉親の風は演じても所詮他人でしかない老夫婦と嫁の関係を描いたものだと云うのである。その証拠に、別れの間際にお金を渡すではないか、と。親子ならこうはならないだろうし、また他人であるならこんな失礼な行為はない、と。
 
 吉田の云うことはその通りだし、云われてみて傾聴に値すると私も思う。しかし小津の映画は、実際に起きていること、五感で傾聴可能な領域を超えて、リアリズムの次元で起きている事象を超えて、ある不可視の対象に到達しなければ何にもならない。
 ここで考えなければならないのは、紀子の人間としての類まれな美質が何ゆえこの段階では老母にだけ見えたか、と云うふうに問われなければならない。それは老母がやがて死に逝く対象、この世に別れを告げる人間であるからである。この世を限りあるもの、つまり末期のめで還り見たとき、貧相なアパートに住む嫁は老母の心眼の中で見えざる不可視の神秘的な女神に変貌したのである。他人でありながら、僅かの小遣い銭を渡す嫁の行為が失礼にならないのは、彼女が女神であるからなのである。
 
 同様のことは映画の最期で舅の前で嫁が顔を覆って泣く場面でも同様である。この出来すぎた嫁は戦災未亡人としての自分をわざと舅の前で卑下してみせる。この謙遜は死者の慰霊の前にしてなされている行為であると思うのだが、直弟子の吉田の目には紀子もまた普通の人間であることを告白した場面でしかない、としか読めないのである。紀子が出来すぎた人間に描かれたのは、所詮彼女が家族にとっては他人でしかなかったのことの照明なのであり、そうした遂に交りあう事のない人間の孤独を描いたもの、と云うことになるらしい。要するに誰もかれもが人間で、天皇だって実は人間だった、と云う訳である。
 葬儀果てた後の茶の間で、遺産分けの話や帰宅を急ぐ事情を語り合う遺族と、他人である嫁でしかない紀子の示した対応の鮮やかな対比も過剰な意味を読みこんではならないと云う。要するにリアリズムではこのようにしか読めないのである。
 私などより遥かに年長の吉田に言うには甚だ失礼な表現になるが、吉田には人を看とり、人を送ると云う、本当の意味での経験がなかったのではなかろうか。『東京物語』の最期の数シーンは死者の霊前で演じられていると云うことを忘れてはならない。死者の霊前では、喩え女神?であろうとも、自己を卑下し謙虚にならざるをえなかった、と云うことではないのか。

 ついでに云えば、老人の目にも紀子の背後に女神の存在が見えるようになったのは死者の霊前で、死者の目を通して感受したからである。末娘の目に見えたのは無駄な人生経験のない無垢さが感応しやすかったからである。
 紀子は教師をしている義妹を前に、何時かは自分も自分の一番大切だと思っている経験を、時間を、忘れるだろうと云う。容易に抗いうなべ得ない妹を相手に、人生を生きるとはそういうことだと諭す。つまり人生の真の悲劇とは、人は肝心なことを忘れると云うことにある、肝心なことに限って人は忘れてしまうのである。時の悲劇とは、喜怒哀楽の諸感情の強弱や諸事件の事実としての過酷さにあるのではなく、生きるとは真の自分を失うこと、人生の詩と真実を失いつづ行けることだ、と紀子は密かに言外に云うのである。
 言外に語られるマイムとしての言語の不可視の意味を聴きとれるかどうかは、その人の芸術的経験の差と云うよりも、人生に対する観照的態度の違いなのである。

 

 ”ありがとうよ、紀さん、ありがとう!”
(『東京物語』より)