アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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イェジー・カヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』(1961年)アリアドネ・アーカイブスより

イェジー・カヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』(1961年)
2013-08-30 17:40:58
テーマ:映画と演劇

 

 

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・ 時は17世紀、ポーランドの辺境のある寒村の外れにある修道尼院を舞台に、悪魔に魅入られた尼院長と修道女たちの悪魔払いに関する物語である。主人公は悪魔払いを任ぜられた若き神父、彼が村の宿に辿りつくと村人の噂は数年前、神父と同じように派遣され、挙句は悪魔に意翻弄されて火刑台の炎と化した選任者の司祭の死にざまであり、現実にその燃え尽きた式台の跡は、黒こげの心柱とともに村と修道院を隔てる道の中間に不気味な姿を晒している。しかも不幸な顛末を遂げた司祭たちは一人ではなく、過去に五人ほどもいたと云う。気が如何にも弱そうな神父はそれを聴いただけで自信をなくしつつある自分をどうすることも出来ない。


 
 こうしてかれはただ一人悪魔に魅入られたと云う修道院へと向かう。しかし広間で迎えてくれた尼院長は「噂通り」清純で貞淑な妻のようでもある。しかし異変は直ぐに起きて、去りゆく後ろ姿の方が揺れてそれが忍び笑いから哄笑へと変わっていく。不自然な蜘蛛のような姿勢で壁沿いに走り悪魔であることを名乗る。去り際に会堂の壁に血手形を残して去る。
 一人では太刀打ちできないと悟った神父は、上級の四人の司祭たちの援助を願い、ここに大掛かりな悪魔払いの儀式が施行される。聖水を受けて逃げ回る修道女たち、苦しさにのたうちまわる修道女たち、やがて力尽きた彼女たちは会堂の床にうつぶせに祈りの形で倒れ伏す。倒れてはいても悪魔が退散したわけではないので、修道尼院長のみ切り離して、太い蔦で編んだ牢の中に閉じ込める。

 

 

 神父の方にも心境の変化が訪れて、美しい尼院長を救うのが自分の使命であると感ずるようになる。二人は洗濯物の物干し場の向こうとこちら側で、白い修道女たちの僧衣の幾重ものカーテンに遮られて互いに悔悛の鞭打ちを自らの手で行う。視界が閉ざされているとはいえ、白い肌の幻想と鞭が肉を引きちぎる音はおぞましいものがあったと推察される。
 男女が同じ志の元に同じ呼吸で同じ所作を行うとは、行為や間の取り方、激しい息遣いに一つ一つが、いわば精神の奇形的同型性を生みだしてしまう。つまり神父の心の中に、普遍的な愛なのか男女の愛なのか区別できない不思議な感情が成立してしまうのである。

 


 自らの行為に自信を無くした神父は、ユダヤ教のラビの元に助言を求めに行く。ここで、善とは何か悪とは何かが激しく議論される。悪は何ゆえこの世に存在するのか。悪魔がいるのではなく、私たちの心の中に神を光明と観ずる時に、不可避的にその反対物である存在の影を、悪魔として擬人的に投影してしまうのではないのか、映画の中でここまで詳細に語られるわけではないけれども、概略このようなことをユダヤ教のラビは云うのである。キリスト教と信徒は、何でも知りたがり、何でも解ろうとしたがる、と。ユダヤ教の伝統は何千年に渡る経験と民族の歴史の蓄積であり、自ずからあらしめる在り方が喩え不可解と思われようとも受けとめ、それを運命と感じて今日までその多難な時代を生き延びてきた。ユダヤ教はそこから容易に結論など導きはしなかった。知ろうとするキリスト教の在り方が、物事の中に分裂を持ちこみ、神と悪魔の神話を生んだのではなかったか。こう語ってラビはホロコーストディアスポラの記憶について言及するのである。(この場面では神父とユダヤ教ラビを同一の人物が演じ、それが自問自答にも似た不気味さを演出している)
 ユダヤ教のラビに論破され更に自信を喪失した神父は、キリスト教の愛と自己犠牲の教説に縋ろうとする。あるいはそのような結果に追い込まれたと云うべきか。もはや相手のことを想うことが自分の事のようでもあり、自分への自己憐憫がそのまま相手への憐れみへと変化する事象、すなわち恋愛に似た感情に支配された二人は牢獄の格子ごとに切なく指をからめて接吻を交わす。その瞬間、神父の身体は吹き飛び、階段を転げ落ち、悪魔が尼僧から神父へと鞍替えしたのが明瞭になる。
 このあと、村の宿屋に戻った神父は鏡を見ながら対面し、悪魔を自らの肉体により強固に縛り付けるために、悪魔が命ずるままに村の若者二人を斧で撲殺する。こうして神父は悪魔に魅入られたものとして火刑台への道を暗示し、他方では清純な乙女に復帰した修道尼院長の涙の滴を写しながら映画は終わりとなる。しかしこの終わり方が特異なのは、映画の初めから特徴的に鳴り響いていた教会の鐘の音が、最後の場面では音を失って首振りの振動する形姿のみを大写しで写してエンドマークもなく終わりとなる。

 さて考えてみたいのは、修道院と宿があるだけのポーランド辺境の閉ざされた森と荒地の空間の中で、修道院の中で過去十数年間に渡り悪魔による憑依と云う感染症状に支配される中で、ただ一人感染しない修道女が描かれていた。彼女は素行の悪い女であり、時折は修道院を抜けて気晴らしに村を訪れるような女である。そお彼女が、悪魔には誑かされなかったが、色男には誑かされて最期は捨てられると云うのだから、皮肉である。彼女にとって悪魔よりも色男の方が悪質だったのである。最期は涙にくれる尼院長を彼女が訪れて互いに涙を流し合うと云うのだから、厳粛な場面の中にからかいの要素を入れるのを忘れていないのは流石である。

 もう一つは、最期に神父によって斧で撲殺される二人の青年たちである。映画の中で浅ましい修道院と比肩するような形でその俗っぽさを描かれた村の宿屋の十人の中で、唯一、この二人は寝る前に自分と母親を殴る父親を呪いながらも、却ってその父親のために祈りを捧げて眠りにつくような純真で敬虔なキリスト教との青年たちなのである。神父の信仰の斧と称した凶器で切り倒されるのが二本の若木であると云うのが喩えようもなく哀れである。結果的には修道尼院長を救うために犠牲として選ばれたと云うことなのだろう。なぜならキリスト教の供犠においては犠牲者は子羊のように無垢であらねばならないのであるから。

 この映画を観終わってカタルシスがないのは、神は何処にいるのかと云う問いが陰々と鳴り響いているからである。
 例えばの話であるが、修道院のような人工的な社会なり共同体が営まれ、そこでは清潔無比の建前のみがものを言い、人間の自然な情慾は「悪」として聖別から外され、悪は神からではなく、人間の内面的な事情がら不可避的に生みだされることになる。(1950年代のポーランドで制作されたこの映画が、キリスト教修道院に形を借りて本当に描きたかったのは、スターリニズムと云う精緻な人工物であり、ナチズムと云う史上最も明解な殺人の論理であったことは明らかである。カヴァレロヴィッチの意図がキリスト教批判には無かったことは明らかである。しかし、時を振り経てみれば、キリスト教を含む様々の組織の論理の問題性を明らかにしたもの、に見えてしまうのはやむを得ないことである。)
 ユダヤ教のラビが言おうとしていたのは、自然の中に人工を持ちこむことに対していささかも懐疑の気持を持たない心の中から、悪は遠く淵源しているのではないのか、と云う人類史上最もスキャンダラスな事象なのである。
 キリスト教がそうだと云うのではなく、そう云う傾向を多少は持った諸宗教や諸宗派の教団が、修道組織のような人工性の極致のような社会なり共同体を生んだ時、言説や建前の前に抑圧された欲望や自由を願う気持ちは容易に悪魔のレッテルを貼られ、善悪の二元論の、無限の核融合核分裂心理的経緯を生んでしまうと云うことなのである。
 また、この映画では自覚的な形では言及されていないけれども、愛による殺人、自己犠牲としての殺人についての根源的な問いも存在する。同じ時期に映画製作に携わったスウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンアはこの点に寄り自覚的であり、特に『処女の泉』において、旅芸人の一行に娘を凌辱された上に殺された村の男が復讐の神に願い、神意によって冷静に集団殺人を履行するのである。この場合、欲望のままに行われた殺人と、神意を受けて計算し尽くされた冷静さの元に、一人も逃すことなく行われた殺人劇の、どちらがより罪深いと云い得るのだろうか。

この映画は、モノクロの鋭い映像感覚を無機性と、内面を描かない突き放した即物性ゆえに特有の映像効果を挙げている。しかし、この映画優れた作品であるのかどうかは確信を持てない。

 

 

 

 

・ (あとがき)
 この映画を制作したイエジー・カヴァレロヴィッチは、1980年代の東欧社会の自由化やワレサ委員長の意趣管理組合「連帯」の運動を抑圧した権力側と必ずしも疎遠と云うだけでなく親和的であったとすらされる伝聞も伝えられるように、その屈折した経歴からも解るように、この映画を単に自由抑圧からの解放と云う意味に過剰に評価してはならない。
 贔屓して言うならば、単なる抑圧からの解放と云うよりも、人類の歴史における根源的な悪の誕生についてのよりミステリアスでもあれば、スキャンダラスな謎への興味の方に関心が注がれていた、と云うべきか。その問題意識は原作にはないユダヤ教ラビと対話する場面を付けくわえた点にもうかがえよう。またホラーや唯美主義的な観点は、その猟奇性と云い神秘性と云い、同時代を生きたロマン・ポランスキーとも共通するものがあるようである。ポーランドと云う、抑圧された民族性から来る屈折した共通項だろうか。