アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

木下恵介の『笛吹川』(1960年)アリアドネ・アーカイブスより

木下恵介の『笛吹川』(1960年)
2013-09-02 23:10:49
テーマ:映画と演劇

http://ecx.images-amazon.com/images/I/21VKKF9QYNL._SL500_AA300_.jpg
・ 笛吹川を渡る長い橋の袂にある一軒家が終始この物語の舞台である。この家族の四代に渡る興亡史を武田家の滅亡に絡めて描いている。
 まず第一に特筆すべきは、笛吹川雄大に流れる風光の美しさである。現在でも河に沿ってJRが通っているようで、ある新聞の日曜版に、駅名は忘れたがそこを通過するとき車窓に映画のロケ地と同じ風景を見ることが出来るのだと云う。

 この映画の主人公は時間である。時間の中で翻弄される個人と一家の生きざまと云っても良いし、歴史の中を精一杯駆け抜けた人々の物語であると云っても良い。
この映画を見ながら、庶民や農民と云った人々の思想の複雑さを思い知らされた。例えば一家は一人を除いて武田家に殉じて死ぬのだが、祖先伝来の恩恵と云うことを口にしながら死出の道を選択するのだが、決して武田家に特別に目を掛けられていたわけではない。否、むしろ冒頭に出て来る爺さんは孫の戦場での手柄に夢中であり、その無防備さがある手違いが原因で手打ちにされてしまう。同様の理由で賓農の身から立身を果たした親族が、成り上がり過ぎたために白眼視され、一族もろとも滅亡されてしまう、と云う悲劇も起きる。爺さんが死んだ後、息子はびっこの嫁を貰い遅産の挙句に四人の子供を産むが、ふた親の反戦の思いも叶わずに武田に仕官し、娘までも後室付きの上臈として仕官してしまう。
 後半は、これでもかという仕打ちに一家はめぐりあう。兄弟姉妹のうち、長男次男と長女までをも武田家に取られた両親はただ一人残った三男に希望を託す。しかし三男の縁談が破れたから落ち目の武田家を見限って帰農するように説得するために旅立つ。懸命の捜索の果てに遭遇した兄弟姉妹たちは武田家滅亡のシナリオにすっかり乗せられており、何時しか三男までも退却に退却を重ねる武田の隊列の中にいた。それを聴いた母親は居てもたってもおられずに、チンバをひきながら一行を追う。母親の説得もむなしく武田の残党は多くの裏切り者を出した揚句に、恵林寺にこもり、一家の次男三男、そして長女、更には一行を追った母親と長男の幼児を含んだ全員が自滅してしまう、と云う物語である。

 それで思いだしたのは江戸幕府と戦前の日本の滅び型の類似性についてであった。
 江戸幕府は旗本何千旗と云いながら最期は上野の山に五百人ほどが結集しただけであったと云う。むしろ果敢に最期まで闘ったのは、多摩近郊の郷士たち、――すなわち中途採用新撰組の人々なのであることは良く知られていることです。
 沖縄の地上戦においても、本土並みではない沖縄の人々が忠誠心を強制されて死んでいきました。本土の士官たちはさっさと衣類食料を携えて安全なところに引っ越すか既に内地に帰還していたでしょう。
 通常戦国時代と云うと群雄割拠して、英雄たちの活躍ばかりに目が行きとどくものですが、この手の映画や小説をいくら読んでも戦国時代について何が分かる、と云う訳でもないのです。戦国時代を通じて武士団はどのようにして組織されていたのか、また領有性の中の武士と百姓の関係はどのようになっていたのだろうか、そうした疑問について少しは応えてくれる内容になっていたと思う。

 戦国絵巻を、名族武田家の滅亡を軸に、一家離散と滅亡の物語を、過ぎ逝く時を流れる笛吹川の流れのように無常観の内に捉えた抒情あるれる叙事詩である。
 それにしても、一家離散と滅亡を語る語りと交互交互に出て来る戦闘場面の大規模なロケーションには驚かされる。おそらく数百人のエキストラが出演したと思われる。どちらかと云うと女性ものと云うイメージが定着した感じがある戦後の木下恵介にして、これだけの大規模にして雄大叙事詩を描き得たと云うことは、率直に言って驚きである。