アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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小津の『戸田家の兄妹』(1941年)アリアドネ・アーカイブスより

小津の『戸田家の兄妹』(1941年)
2013-09-06 17:18:47
テーマ:映画と演劇




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 1941年のこの古い映画を見て意外に感じるのは戦前のブルジョワ家庭の近代性である。文化や生活習慣などは階級的ヒエラルキーに沿って高きから低きへと流れるものだが、その見本を見るようでもある。彼らの人間関係が生み出す細々とした感情までが手に取るように理解できる。文化や芸術と言うものが、庶民の感覚よりも少しだけ先駆的な位置にあるというのは本当だろう。

 二番目に感心したのは、戦前のこの段階で後年の小津調とでも云える映像文体は確立していたことだろう。父親に先立たれた母親が、たくさんの子供に長寿を祝われてこの上ない幸せを自分自身の身の上に感じるのだが、やはり子供達にとっては現下の自分達の生活が大事で、母親と婚期に恵まれない末娘の処遇については冷淡であった、と言うお話、戦後の東京物語を髣髴させる物語である。

 違うのは、佐分利信演じる次男が胸のすくような快男子で、子供達の間を盥回しにされた母と娘を引き取って、一家の没落後は自身が勤めている天津と言う外地で共に暮らすことを提案する、と言う内容である。
 一周忌が滞りなく終わり、その後に一堂が会する宴席で、下女や使用人たちに席払いをさせて、いきなり目上の兄や姉たち家族を罵倒する場面は秀逸である。しかし、自身の信念の想うままに生きて容赦のない生き方をしてきた男が、最後は妹に友人を縁談の相手に推されて、しかもそれが昔から知っていてまんざらでもないと感じていた相手であっただけに、照れてしまって、当人に紹介される段になると怖くなって近くの海岸に逃げてしまう、と言う映画である。ほのぼのと一家に射し始めた幸せの予感を描いて、全てを描ききれずに未然のままカメラを置いた終わりかが実に良い。

 この映画を見て三番目に感じた感想は、戦後のブルジョワや貴族階級の家庭のありようだった。映画を見る限り、その内容においても戦後の小津のストーリーと少しも違わないのに、何かが違う、その違いは、戦後には姿を消した有産階級の家族の風景なのである。
 小津の東京物語や、成瀬の『娘・妻・母』などに大変似ているのに、何気ない家族間の人間感情の何かが違う。その違いは映画を見ていても、誰が兄弟姉妹で、誰が他家から入籍した嫁で、また姉妹と結婚した相手なのかが長く見ていないと分からないのである。通常小津の映画は表現が巧みだから、実際の兄弟とそうでないものの描き分けは瞬時に分かるような描き方がされている、――例えば、言葉遣いなどにも。ところがこの映画では、自宅でも個室のドアを三度もノックするよなバカ丁寧さで、リヴィングを「お居間」と呼ぶような生活習慣なのであるから、言葉遣いも丁寧さを飛び越して、他人行儀で、家族なのかどうかが戦後の価値観を持つものからは一見しては判然としないのである。
 こうした、近代的な家族関係とは違った時間の中に成立した小津の世界である、と言うのがこの映画の一番の特徴ではなかったかと思う。

 母と末娘は長男と長女の家を盥回しにされて、次女の家では流石に無力感に突き動かされて、あばら家じみた鵠沼の別荘の方が気兼ねがなくてよい、と言わざるをえなくなる。世間態を気にする一族の気風からは不自然な設定だが、子供達の家庭が営む気風とは根本的な違和感があったということだろうか。
 もともとヨーロッパにおいてもそうだと聞くが、ブルジョワや貴族階級においては育児は乳母の手でなされるという。もっと上級の大貴族の場合は里子に出されたり首都の社交界を遠く離れた郷里の城館で傅かれて養育されることもあったという。
 こうした、戦後の日本社会からは失われた上流階級の気風を念頭においてこの映画を観るとき、確かに兄弟とはこうしたものであっただろうし、母子の関係といえども戦後のメディアが熱心に推奨するものとはよほど違っていたのかも知れない。この違い方は、映画の冒頭場面にある、城館のよな建物を背景に一族が記念写真を撮影する場面に象徴的に現れている。
 しかし、戦前の貴族性大家族といえども、兄弟姉妹たちも下の方になればなるほど、その恋愛や婚姻関係においても、外交辞令的な恋愛や政略結婚的ない意味合いは少なくなり、戦後の庶民の感情にに近い兄弟姉妹の感情もありえたのではないのか、それが一番末の妹と次男の親密さを軸として描いた「戸田家の兄妹」なのである。

 いまはない、戦前の上流階級の家族観や価値観、生活風習を描いた記録と言う意味でも、貴重である。