アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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言葉を喪ったものの悲劇――小津の『東京暮色』(1957年)をめぐって アリアドネ・アーカイブスより

言葉を喪ったものの悲劇――小津の『東京暮色』(1957年)をめぐって
2013-09-20 09:19:28
テーマ:映画と演劇

 

 

 


・ 意外にみなさんが言わないことですが、――例えば『東京物語』の小津の家庭の描き方にみる虚構性、――本当の親子ならあんな客観視した描き方はしないでしょうし、実際に家庭を持ったことのない人の見方ですね、「親の心子知らず」とは、それゆえにこそ、親の眼差しは執拗に子供たちの表情を舐めるように執拗に付き纏うのですが、薄情な子は薄情ゆえに出来の悪い子は無能であるがゆえに可愛いのであって――決して笠智が原節子に言う、「実の子より、なんぼあんたの方が親切にしてくれたかわからない」と云ったような「もの」ではないのである。こんなことを間に受けてはならない。小津の虚構性が見破れないのは、結局は篠田や吉田といった小津の弟子なり信奉者たちが、有名女優に寄りかかって女性を映画の手段としか見なさない人たちであったがために、本当の家庭生活と云うものについてのリアルな観察と感性を欠いたまま、観念的な論議に明け暮れがちであったことによる。
 とは言え、家族映画として観念的、理念的であることが『東京物語』の欠点であるかと云えばそうではなくて、例えばウィリアム・シェイクスピアの『リア王』がリアリスムの作品で無いことが何らの欠点にはならないように、ある種の類型的なものを通しての典型、と云うものを描いているのだ。つまりリアルな世界を通り越して見える永遠性と云ったもの、――例えば原節子の悲哀の表情にみるような、日常を超えた永遠なるものの輝きを刻印しえているのである。小津映画を山田洋次のように、ほのぼの路線の昭和の家族映画などと思ったら大間違いである。そう云う映画が好きな人は『三丁目の夕日』などを観たほうがよいのである。

 『晩春』のところで何度も何度もくどいほど言ったことだが、性懲りもなく自説を繰り返せば――「晩春」の家の原節子は「死の家」の巫女である。巫女だから結婚出来ないのである。茶の間や書斎にはさり気なく仏画や仏像が配されているように、死者たちの家であることは間違いないのだが、仏壇があからさまに描かれないように、また、近-過去の死者たちへの弔いが表現手段としては避けられているように、死者たちの家であるにはあるにしても、その死者たちとは弔われることのない、つまり成仏することなおない死者たちなのである。小津は、死者たちの影を表面的には絵が無いことによって、死の刻印をより強く観客に刻みこむのである。この点は最近の若い人たちには解り難いのかもしれないが、これらの映画が造られた1950年代の前半と云う時代には誰しも、説明はしなくても庶民のレベルで自然に納得された出来事なのである。何度も言うが原節子が結婚できないでいるのは、「死の家」の巫女であるからなのだ。しかも慰霊されることのない戦没者と云い靖国の御魂と云う!
 ついでに言っておくと、『晩春』と『麦秋』は陰陽のペアとなった作品、二枚鏡の作品であって、前者が「死の家」の巫女を描いたのに対して、後者は「愛の家」の女神の物語なのである。戦後の日本人が如何にして過去の死の影を払拭して生き直したかの、再生の物語なのである。

 さて、小津の映画には性懲りもなく描かれる類型性、――縁談と婚姻話があるのだが、これも子細に検討すると二つの系列がある。一つは許婚者がスクリーンに姿を見せない場合①と、そうでない場合②である。後者の映画がヒロインの花嫁の将来の幸せを保証するような映画であるのに対して、前者は必ずしもそうではない。例えば先記『晩春』は①の例であって、縁談話を鶴ヶ岡八幡宮の境内で拾った財布の幸運とごちゃまぜにして語ると云う乱雑さ、無神経さである。
 人生における最も大事な出来事を拾った財布の幸運――しかも警察に届け出た形跡なし!――と同列に語ると云うなどと云う暴挙が許されて良いのであろうか?
この映画では結婚を渋る娘を何とか説き伏せて父親は娘を京都の旅に生涯の旅として誘うのだが、その最後の夜、しみじみとした情感の中で原節子演じる娘が過ぎし越し方の時間を語るとき父親は鼾を立てて寝てしまうのである。つまり至福の経験と云うものは、決して人生においては、親子のような親密な間柄においても共有される事はないと云う苦い認識を小津は語っているのである。

 『晩春』をこのように見れないから小津の弟子や信奉者たちのように、最期の林檎の皮むきの場面を誤読してしまうのである。この場面は何度でも云うが、娘を他家に嫁がせた父親の孤独を描いたものではない。女の幸せは結婚することが一番だと信じた古い世代の価値観が揺らぎの中から見る、近-未来の、必ずしも結婚が娘を幸せにするとは限らない、暗い予感を秘めた場面なのである。父親は不安に抗うように、娘に幸あれと祈るのである!日本人には神がいないから、死者たちに祈るのである!

 そして、その結果がどうなったか、それが、――例えば『東京暮色』である。

 『東京暮色』についての解説をくだくだとは書くまい。
 主要な登場人物は原節子有馬稲子の演ずる姉妹と笠智が演ずる父親の3人、それから遠い昔に出奔した山田五十鈴演じる過去の母親の4人である。
 この4人の配列が実によい。まるで沈痛なベートーヴェン弦楽四重奏を聴くような趣きである。

 まず筆頭は何と云っても、有馬稲子、――最期は自殺だか何だかわからない不思議な踏切事故で命を落とすのだが、少年のような有馬の中性的な美しさは、開花しきれなかった女の哀れさを滲むように演じている。人工流産させた胎児とは、そのまま生きる事の叶わなかった彼女の生涯の象徴なのであろう。この不良少女の優しさは恨みがましいことは一言も言わずに”生きたかった、生きたかった”とだけ言うのである。過ちを言語化せずに全てを自らの責任において死ぬ!その思いが原節子によって演じられる姉の最期の決意へと変貌するのである。

 この映画は、死者の依託、と云う言葉を理解しないと分からない。小津の映画は、「死者」と云うファクターを用いない限り小津のパズルは解けない。
 彼女はこの後戦後的地平を生きるとき生き直すとき、妹の影を、妹の代わりに共に生きていることを感じなかっただろうか。父親の元から帰っていく夫のいる家庭は地獄のようなものであろうとも、死者に支えられた彼女の決意が揺らぐことはないのである。

 大学での妹とともに高等教育を受けたと思われる原節子の倫理的教条主義者ぶりが実によい。妹を亡くした後喪服を着て母親のいる麻雀屋に出かける場面は、原節子山田五十鈴の対決と云う意味でも、震えるような名場面である。
 プチブル教条主義的道徳家の原の冷徹さが実によい。
 この映画には、言語と知識(教養)をめぐる構図があって、銀行の役員をしていると云う父親と二人の娘たちは知識の恩恵を受けた世界の住民である。母親は山田の演技から察すると、ひと階級違う身分の出自のようでもある。例えば銀行家の父親が若き日に取り結んだ過ちのようなもの、それがやがては妻の出奔と云う事態に繋がると云う発想は通像的だろうか。
 姉も妹も、自分たちを捨てた母親を、「知識(言語)」ゆえに許すことが出来ない。つまり彼女たちは、「知識」の実を食べたアダムとイヴの末裔なのである。

 父親もまた、男手ひとつで娘を高等教育を受けさせるまでに育てながら、自身の苦労については一言も語らずに、何故か遠慮がちである。母親がいないがゆえに子供たちに甘すぎたと云うことは無かったのだろうか。しかも育児の甘さが、明治の男としての厳格さゆえにちぐはぐに甘かったり厳しかったり、時には峻厳であることもあり、欠陥家族の一貫性の無さが子供たちを情緒不安に陥れている、と云ういことは無かったのだろうか、あるいは成年したのちも娘を女性として遇することが不得手であった、と云うことは無かったのだろうか。
 母親の出奔について非難がましいことは言わないこの父親は何か不可解な負い目のようなものが、恋愛感情において何か後ろめたいことがあるかのようでもある。
 笠智の演ずる父親は、戦後の去勢された父親像を象徴しているようにみえる。

 戦後の社会と云うものは、現天皇の皇太子時代のパレードにみるように、恋愛を基本に置いた核家族的なプチブルジョワの倫理観に基づいた家庭像であった。この家庭像にアメリカ型の家族像が後押ししたことは否定できないだろう。この時期アメリカはハリウッド映画やTVのホームドラマを通じてかかるメッセージを潤沢に垂れ流した。このイデオロギーが意味するものは――恋愛を基本に置かない男女関係は不純なのである、家庭の至上価値を疑うものは村八分に会うべきものなのである!

 父親の後ろめたさとは、まず第一にはかかる戦後の価値観である。
 父親は、恋愛感情を抜きにして性的な関係だけで過去に元妻と結婚したのかもしれない、その過去がいまや戦後のイデオロギーと娘たちの眼差しによって裁かれているのかもしれない。
 父親は、いままた、結婚生活に破れて子連れで里帰りしてきた娘を目の当たりにして、必ずしも気が進まない結婚を強いた自分たちの価値観を悔いているのかもしれない。

 こうした父親を中心に置いた親子3人の陣形配置が、教育を受けたもの、言語によって意思を表現できるものたちの集団とするならば、山田五十鈴が演じる麻雀屋の哀れな代理女将が演じる役割は、庶民と云う、「言語」を奪われたものの哀しみなのである。
 彼女は、自分の過去を悔いはしない、自分が過去に取った行為がどのように子供たちを傷つけたかを「言語としては」意識することが出来ない。「言語」と「ことば」は違うものだと分かってはいても、長女から自らの不行跡を悪しさまに叱責されても「言語」で抗う術を知らない。娘に叱られても何が起きているのかもり理解できずに戸惑うばかりなのである。事態を正確に「言語」によって把握できていないから、弔問に訪れても菊の花束を持って虚しい後ろ姿を見せるほかはないし、北国に去る上野の停車場の車窓に虚しく娘の影を追い求めるほかはないのである。山田五十鈴の演技には、「言語」を奪われたものの、庶民の哀れさが滲み出ている。
 山田はインテリ――高等教育を受けたと云う意味ではない――なのに、なにゆえ庶民を演じることが出来たか、絵画には「画格」と云うものがあるけれども、演技の風格の高さ、というものだろうか。

 この映画は、一面から云うと、庶民が、戦後のイデオロギーによって、言語によって裁かれる物語なのである。

 この映画は、第二に、小津の家族論について次のことが云える。
 『東京物語』には、虚構としての家族と云う嘘があるけれども、映画としては優れている。ありそうに見えて、不自然な家族なのである。
 『東京暮色』は、今日からみると、いまでも日本のどこかに何軒かはあるような気がする日本の家族の風景なのである。何処か気弱で遠慮がちだがナイーヴさと云うものには程遠い日本の父親、母親の自由放任主義的なあり方ゆえに厳格になってしまった長女、そして欠陥を持った家族の中で最も弱い立場にある次女が傷ついてしまう、というお話しである。個人の欠点とは、人間の関係性が造り上げてしまうのである。――「なぜなの、お母さん、なぜなの、お父さん!」という問いかけは永遠に彼らの耳には届かないのである。「おまえは、うちの子ではない!」と云われて如何に子供が傷つくか、大人になった昔の子供は忘れてしまうのである。
 唯一長女だけが、彼女が死んでみて初めて、彼女のために、彼女の死の影を背負って、生きなければ!と思うのである。

 『東京暮色』は小津にとっては一つの画期ではなかったかと思う。この作品の興行上の失敗は小津に根底的なダメージを与えたのではないかと思う。次回作『彼岸花』をみれば分かるだろう。オールキャスト風の華やかさ、そして苦みを欠いた小津調が復活するのをみれば分かるだろう。しかし、小津的なイロニーは払拭出来た訳ではなくて、最晩年の『秋刀魚の味』や『小早川家の秋』などの仄かな苦みを終末の煙のように低く揺曳させている。