アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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中村登の『暖春』 アリアドネ・アーカイブスより

中村登の『暖春』
2013-09-28 16:57:41
テーマ:映画と演劇

 


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・ 自分が誰の子か解らない!――若いころ祇園の芸妓としていた母親に、同時の三人の京大学生の遊び仲間が居て、それが遊びなのか恋愛なのか解らない良くある花街界の流儀で、よくあることだが赤ん坊が生まれてしまう。三人のうち二人は躊躇し、一人は喜んで認知してくれる。良くしたもので人の良い人間ほど早死にしてしまうもので、認知元の父親は戦争で亡くなってしまう。
 戦後、母親は祇園の世界から足を洗い今は小料理屋のようなものをして一人娘を懸命に育てた。昔の遊び仲間の残った二人は、今は東京で一人は大学教授、もう一人は企業の専務をしている。二人の母子を思う気持は格別で、なにかれと親戚のおじさんのような後見役を任じて今日に至っている。
 一方、母親が経営する南禅寺の近くにある小料理屋には、娘を慕もう西陣の青年が通い詰め、好意を得たくて頼まれもしないのに店の手伝いをしている。好意はあり難いのだが、押しつけがましくて少々鬱陶しい。
 それで久し振りに大学教授の元父親の親友が京都に所用で来たのを口実に、娘は東京が見たくてついて行く。途中、箱根にもよって、そこでもう一人の元親友、企業の専務役と合流し、そこで娘はゴルフのお相手として専務の秘書役の好青年を紹介される。
 この世、宿で酒の酔いも手伝ったのか、昔を偲ぶ余り、戦死した父親への懐かしさが言葉余って、娘が誰の子か分からないこと、可能性は三人ともあり得ることなど、とんでもないことを漏らしてしまう。気丈な娘は、花街の娘らしく笑い飛ばしてしまうが、隠し通したい苦悩はこのあと東京で例の秘書の青年を引き連れて飲み歩く姿に表現されている。
 東京では、大学教授と専務の両方の家が娘の上京を心から喜んでくれているらしく、二つの家を渡り歩く。また、息抜きを求めて、上京している高校時代の友人の家を晴見に訪ねるが、それなりに家庭生活に安らぎを得ている姿を見せつけられて、婚期が遅れがちの自分の現状を淋しくも感じる。
 そこで、箱根以来の専務の秘書役の好青年を呼び出し夜の町に誘う。しかし呼び出しの電話に出た女性の声を聴いて、全てを悟ってしまう。後に娘が述懐するところでは、何時も自分は出遅れてしまうところがあると云うのだ。
 東京の生活を倦怠気味に感じ始めたとき西陣のボンから電話が入る。母親が兼ねてより気を付けていた心臓の病で寝込んでいると云うのだ。慌てて京の小料理屋に帰れば、布団を敷いて寝込んだ母親のやつれた表情の一方で、かいがいしく一切を采配する西陣の青年の姿があった。娘は母親のために青年と結婚しようと決意する。
 そして、その後に問題の場面が来る。――娘は何気ない風を装って、一体自分の父親は誰なのかと母親に問う。母親の答えは予想外のもので、自分にも解らないのだと云う。こうしたことは花街の論理について多少は知っている日本人なら何でもない会話のように聞き流すことも出来るのだが、西洋人の場合だったらかくも非倫理的な話題が、公然と、母と娘の間で交わされることに、驚きを禁じ得ないだろう。
 母親の理由と云うのは、こうだった。――懐妊の事実を告げたとき、心から喜んでくれた亡き父親こそ本当の父親だと想うことにした、と。めちゃくちゃな論理のようであるけれども、娘も納得し、そして泣き笑いのように互いに顔を覆って号泣したのであった。
 おそらく女であることの哀しみを、ここまで堪えに堪えて爆発させる中村登の力量には並々ならぬものがある。娘を演じた岩下志摩が、気丈な現代娘を表面上は演じてきただけに、この場面は余計に観客には応えるのである。
 このあとは、小津映画の忠実な弟子であるだけに、形通りの小津映画の配置となる。平安神宮の居室で花嫁衣装に整えた娘は、ちょうど姿を現した母親の前に謙って積年の礼を述べる。小津映画とは違って、母親は号泣して泣きやまない。それは小津映画の登場人物たちが中産階級出身の母親であるのに対して、中村の映画の母親は庶民であるからだ。庶民と云うより、花街と云う特殊な社会カーストに属する女性であるからだ。それが、小津の弟子として一から十まで忠実に師匠の跡を偲びながらも、この映画を一風違った風味の作品にしているのだ。

 この映画を見ながら思ったのは、例の小津の暗い作品、『東京暮色』である。小津の失敗作とも云われ、興行上も不振だったと云われるあの作品においても、最期は踏切で不可解な死を遂げる不運な次女が、何十年ぶりに再開した母親に、自分は誰の子かと問うところがあった。
 考えてみれば、この作品も小津の問題作に匹敵するような暗さを控えていながら、異なった作品として結実することになった。それは何度も言うが、小津映画の主人公たちが智恵の実を齧ったアダムとイブの末裔であるのに対して、中村の母娘はあくまで、「なぜ?なぜ}と問うことを知らない庶民であるからなのだ。
 しかし庶民と云えども悲しみはある。それが言語の形を取らないだけに、傍目も憚らない母娘の号泣と嘆きと云う様式を取らざるを得ないのである。これを生活儀礼上の過剰な演技などと思ってはならない。体は感情を表すのではなく、体全体が霊感に満たされたように自ら震えたのである。
 上品な小津の映画に対して、確かにこの映画は泥臭い!