アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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岩波ホールと映画『ハンナ・アーレント』アリアドネ・アーカイブスより

岩波ホールと映画『ハンナ・アーレント
2013-11-07 18:41:29
テーマ:映画と演劇

 


http://image.eiga.k-img.com/images/movie/77521/poster2/200.jpg?1380613967

・ 偶然立ち寄った東京での映画を観る事の予期できなかった僥倖もさる事ながら、地方人にとっては噂のみ遠くに聴く「岩波ホール」を一見すばやと云う憧憬の気持も駆りたてられて出かけることになった。地方と中央、こんな初な初心を忘れずに保ちうると云うのは、地方人の特権ではなかろうか、自虐の気持ちで云うのではない。60年代のATG(アートシアターギルド)以来、こうした気持ちを抱いたことはない。

 


一見だけで天下の岩波ホールの評価を下すのはどうかと思うが、初見の印象は役所かと思わせるような硬直した事務的な対応ぶりでがっかりである。会場の窓口ではない1階の馬券売り場のようなところに時間を切って並ばせる。こちらに並んでくれ、二列で並ぶようにとか矢鱈と指示が多い、長年やっているのだろうからとは思うのだが、対応ぶりが実にぎこちない。なぜ、このような事を書くかと云うと、これから見るハンナ・アーレントを描いたドイツ映画の内容が硬直した人間性を扱ったのもであるから、上演する映画の内容を踏まえた対応を興行方に期待したいのである。それが岩波が長年培った伝統と云うものではなかったか。係員の方々が、事前にこの映画を見ていればそれはマネージメントに滲み出ていただろうし、ましてや最上階の、足の踏み場もないほど狭いホール前の階段踊り場から下階に向かって蛇踊りのように並ばせステップを昇り降りさせる在り方は、皮肉ではなく、ユダヤ人を捌いた在り方をも連想させ、またこの映画の観に来た観客のほとんどが高齢者であることを思うと、興行側の配慮の無さと云うか、想像力の不足が、大変に残念な結果である。映画が始まるのは何もスクリーンの前で室内の照明が消える時ではない、観客や興行主が家で身づくろいをするときに既に始まっているのだ、こうしたことが分からなくて、何が岩波ホールの伝統であり文化だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・ しかし、映画の方は素晴らしいものであった。