アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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アイヒマンとはだれか?――ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』を読んで アリアドネ・アーカイブスより

アイヒマンとはだれか?――ハンナ・アーレントイェルサレムアイヒマン』を読んで
2013-12-04 21:54:22
テーマ:歴史と文学




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                                   みすず書房・1994年新装版を使用


・ 最近、東京の岩波ホールを皮切りに公開された映画『ハンナ・アーレント』が好評であるそうである。「悪の陳腐さについて」と云う良く知られたキャッチフレーズはやはり誤解を招きやすいようだ。先日の朝日の高橋源一郎などの書評でも、陳腐さ、試行しないことの罪について!、ハンナ・アーレントの映画が言ったままを文字通り解説していた。作者が言っているのだから嘘だとは言わないけれども、アーレントが言わんとすることを言い換えれば、思考しないのではなく、感じない、思考能力でも感性能力でもない、他人になり代わって物事を想像できる能力の不得手な人間の事を言っているようなのだ。

 なんだ、そんなことか、日本にもそんなのは沢山いるじゃないか、と云われるかも知れないが、その通りなのである。誰れもがアイヒマンになりうるのである、凡庸である限りにおいて。そういう意味では「悪の陳腐さについて」と云う日本語訳は誰かが意訳していたように「悪の凡庸さについて」とすべきだったろう。「陳腐さ」ではなく「凡庸であること」に拘る理由はおいおい書いていくことになるだろう。
 とはいえ、誰もがアイヒマン的な要素を持つ、と云う事にまで普遍化してしまうと事の本質を見失わせてしまう面がある。最悪の場合は人はそういう理由づけで忘却の力を借りてすべてを許してしまうのである。事は一般倫理学の問題ではないのである。今から70年ほども前、600万人もの人間がいま日本で話題のスプリンクラーのボタンの操作一つで地上から消滅する殺人工場があったのである。その謎を誰もが疑問に思い解こうとつとめた。しかし論点をずらせて忘れてしまうのも早かった。人は寛容であるのではなく、忘れっぽいのである。なぜ、誰も、本気で解こうとしないのか、戦後15年以上もたって認めたのはかかる戦勝国、敗戦国を問わない冷戦期、現実の要地であり、アーレントの怒り、憤り、焦燥感はそこにあった。

 犯罪者には二つのタイプがある、と思う。一つは悪の感性を生まれつき持ったタイプであり、『罪と罰』のラスコリーニコフのようなタイプである。もう一つは自らの弱さと環境的条件ゆえに罪を犯してしまうタイプである。ところが近代社会は規格化され合理化された法整備の秩序の中で、もう一つのタイプ、合法的犯罪者とでもいうべき法倫理学的な概念を生み出した。罪と罰、社会の司法行政的な枠組み外では従うべき上位概念はないとする考え方である。
 ことの本質を分かりにくくしているのは、ナチスといえども民主主義国家であったことである。大統領制を敷いて、その指名を受けて組閣するという建前を取っている以上、天皇制下の全体主義国家とは異なっている。大衆の支持がなければならなかったのである。ヒトラーの人気取りは、民衆の顔色を窺わなければ維持できないという側面はある時期まで保持していた。単なるならず者国家や恐怖政治とは意味が異なっていたのである。

 アイヒマン裁判は、戦勝国の晒しもの裁判であるという批判もあるけれども、アーレントが傍聴を志願してガラスのケース越しに対面したのは、凡そ悪人の概念には程遠い、小心で几帳面な卑小な小役人の姿であった。こうしたどこにでもいそうな普通のおじさんが条件と事と次第では史上まれにみる異常変質者、殺人鬼に変貌するのだろうか。しかし衆目の一致するところ、精神鑑定の結果は「正常」であり、正常である人間が正常であるがままに狂気の世界に舞台返しのように反転してしまう、と云う所に解明の困難さがあった。
 それでアーレントは、「悪の凡庸さ、陳腐さについての報告」としたのである。この問題は「報告」であって、論文にしてはならないのである。

 アドルフ・アイヒマンの出自を調べると1906年、ドイツのゾーリンゲンと云う町に生まれている。父親は簿記に関する事務的専門職であったから、ナチのほかの党員に見られるような下層や極貧階級の出ではない。典型的な中産階級のちょっと上と云う所ではなかっただろうか。
 ところがこの男は何をやらせてもダメで父親を絶望させた。偶然とはいえリンツにある実業系の工業学校に入学したものの、もう一人のアドルフと同様、卒業意欲も意思も能力も欠いてたのである。世間の波に洗われながら身につかない履歴を転々と重ね、もう一人のアドルフが軍隊組織だけが評価してくれたように、偶然から入ったナチの移民局と云う地味な仕事の中で頭角を現していくことになる。

 アイヒマンの生き方を強く規定していたのは絶えざる上昇志向だった。社会の門出たる登竜門で失敗し、再チャレンジの機会を待ちながら不本意な転職に転職を重ねる彼の生き方、彼の言い分を聞いていると、まるで極貧のたたき上げの成功者の生き様を観るような錯覚にとらわれる。実際は、中流の上として出発しながら気が付いたら下層階級のヒエラルキーに固く捕らわれていた、と云うことなのだろうと思う。つまり不況と、左右のイデオロギー的分裂の中で両極にj引き裂かれて没落していったドイツ中産階級の象徴を重ねてみることが可能なのである。ここで注目したいのはアイヒマンが個人としては階級からの放擲を意識せず、つまり明示的にはルサンチマンの構図の中で生きることをせず、大多数のナチのように下層からのたたき上げのように生きた、と云う点である。フリードリッヒ・ニーチェはヨーロッパ人の歴史を規定する根本要因としてキリスト教的なルサンチマンを取り出したが、それでもルサンチマンの構図と枠組みは、キリスト教所縁のものであるだけに罪概念と表裏の関係にある。アイヒマン社会学的にはルサンチマンの構図と枠組みの中にありながら、心的実存の問題としてはルサンチマンを意識しなかった、明示的には捉えなかったと云う事は彼の無教養さ、見識のなさとともに後年のナチのならず者性と結びつく動因の一つとなる。

 ともあれ、ドイツのヴァイマール共和国の崩壊現象は、左右のイデオロギー的対立対立の中で民主主義を支えた基盤となる中産階級の没落が背景にあったと云われるが、アイヒマンの半生が本人が悟ることなく無意識の、ヴァイマール共和国の運命をそのまま象徴しているかのようにもみえるのはいかにもイロニカルである。

アイヒマンをめぐる不可解さの謎は、無能で小心翼々とした狭量の小役人が、やり手のいない人気薄の分野や領域で二三冊ほどそれに関する本を読んだだけでその分野や領域の「権威」?となり、移住局がアイヒマンには偶然とも思える経緯によって――彼の地位では遥か上位の国家機密にかかわる全体的な方針変更や情報などの情報は得ることが出来なかった――「ユダヤ人の最終的解決」へと方針転換がなされた後も、その領域でしか評価されなかった男が、そのj領域において最前線で実務に触れるという事態において、まるで自分をヒトラーの側近ででもあるかのように空想したとしても、彼の履歴やそれを誇大に考えたがる幻想癖からすれば無理からぬところがあったに違いない。より一歩進めて、ナチ時代においてすら不安定な部局を渡り歩いたアイヒマンにとって、自分の部局が消滅すること以上に真に恐るべき事態はないわけであった。

 彼の生涯上の曲がり角は大きく二つあった。一つは前に述べたい移民局が「最終的解決」に方針転換するまでの過渡的なモラトリアムの期間である。二つ目は第三帝国の崩壊が現実のものとなった終戦に先立つ一年ほど前のある時期、突然、彼の遥か彼方の上位にある高級官僚ヒムラーより、遂時収容所の撤収を命じられた時がそれである。この時、裁判所であれほど官僚機構や軍隊組織における上官の上意下達と云う事由で自己弁護をしたはずのアイヒマンが、ヒムラーの命令に逆らって殺戮工場の稼働を止めようとはしなかった、と云われている。ユダヤ人の生死を振り分ける殺人工場の稼働は彼のアイデンティティ、彼の存在理由がかかっていたのである。この世で自分が少なくとも価値あるものとして、雄弁とは言わないにしても自他ともにそれを説明するためには、それが彼にとって全てであるところの世俗での存在証明を得るためには、第三帝国が勝とうと負けようと、ヒトラーヒムラーがどうであろうと、永遠に継続されるべき事業課題だったのである。『我が闘争』を一度も読んだことのない自称ヒトラーの愛弟子の本心はそうだったのである。

 如何にして600万と云う大量殺戮が可能であったのか。これに答えることは依然として難しい。ナチスが結党時より犯罪歴のあるものを積極的、意図的取り立て、そのならず者性を殊更SAやSS、ゲシュタボの最前線で活用してきたことは良く知られている。人間的な下劣さや下品さをナチズムは最大限に活用しようとしたのである。犯罪性や人間的な憎悪、反社会的な敵意とサディスム、しかし反面、こうした心情的もしくは抒情的な個人の能力特性では、質的にはともかく600万と云う数字を消化するのには不向きだろう。残忍さや憎悪、劣等感覚、劣等補償、サディスムだけでは悪の質的な向上は望めても、同一の水準同一の規模、受容と供給からくる工程的平準値、工程的管理状態を繰り返し再現するという量産的単調さとは相反するのである。サドやドラキュラのような悪の感性は量産体制には原理的に不向きなのであった。

 ナチズムの反社会的人間の下品さと、アイヒマンのような命令遵守、上位下達型の単細胞的単純構造、小役人的資質が結びつくことで、化学反能や原子構造の再編、」あるいは生物学的品種改良に似た、自然過程では決して生み出されなることのない特異な物質概念の如きものを生み出したのではなかろうか。犯罪者の下品さと小役人的几帳面さ、主体的に判断することの放棄、ならずもの性と主観的恣意性から自由なかのマックス・ウェーバー的概念、官僚主義的客観性が結びついたのである。ウェーバーが恐れた、野蛮と魂なき専門職の時代が到来したのである。

 アイヒマンの個人的な資質をいくら追求しても十全には理解し得たという気がしない。なぜなら彼が経てきた家族環境にも社会環境にも個人履歴にも、ある種の蓋然性、そうなりえた可能性は予想されるにしても、最後の土壇場のところで何故彼がアイヒマンになったかの理由、遡求的に原因に迫る場合の、最後の深淵を踏み越えることはできないだろう。内外の彼の個人的資質、個人的な要因のみでは決して解明できないのだ。個人心理学歴あるいは社会学的考察のみでは理解の深度が届かないのだ。社会階層なりより狭義のセクトなりの要因相互の重複合化された、予想を超えた化学反応なり原子構造の再編、あるいは遺伝子の組み換えによって生み出された新物質のようなものが、神が預かりしらぬ被創造物、自然の循環過程の外にある前代未聞の怪物が重複合物として生み出されたのではなかったか、そんなことをこの本を読みながらしきりに考えさせられたのであった。

 この本の意義はもう一つ、何故、600万人を超えるユダヤ人が大人しい羊のように屠殺場に曳かれていったか、と云う謎である。ナチスと高級ラビや聖職者、ユダヤ人評議会の悪しき面々ははかなり早い段階から接触を持っていた、と云う。ナチとの協力関係は、人脈がある一定の時代までは国外移住や亡命の非公式の機関として機能し、ある時期からユダヤ人種の生死を分かつ選別の論理とすり替えられていく。高級聖職者や評議会員の特権性や縁故知人の身分保障と云う飴と鞭があったことは予想するに難くない。600万人と云う膨大な数字の会計と収支決算が、ドイツ人官僚の手を介することなくユダヤ人自身の手で行われたという驚くべき事実が明らかになる。アイヒマン裁判と云うものが実際には、こうしたユダヤ的過程で生き延びた選良ユダヤ人が戦後も生き延びて、イスラエルと云う名の国家の中で枢要な地位を占め、裁判自体がこうした人々によって、こうした政治的枠組の中で見せられ演じられ演出された、見せもの裁判劇であったことにこそ、未曾有のユダヤ人の災禍と云う真の原因解明を妨げるものとして憤懣やるかたない憤りを、ハンナ・アーレントに味あわせたのではなかったか。

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 凡庸さとは、それは自らが絶えざる判断停止の過程にあり、社会的規定性の中でのみ思考し、判断し、価値判断を行う事を常態化し、何よりも自己の利権と既得権の保存のみに関心を示してそれを最優先的課題とし、自我や自己と云う主観の認知構造の枠組みを超えて考える習慣を失った一群の人間たち、今日の流行りの言葉でいえば自分探しの旅に出た人間の悲劇が、悲劇と云うには余りにも愚かな「陳腐さについての報告」の姿がここにある。