アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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試写会にて――映画『永遠の0』アリアドネ・アーカイブスより

試写会にて――映画『永遠の0』
2013-12-12 11:35:35
テーマ:映画と演劇




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・ 最近の映画にはそれなりの良さがあって、特撮の素晴らしさである。空母艦上の戦闘機の離着陸のリアルな撮影状況や、下部の格納倉庫や張り出しデッキを人が動く様子などを、いまはない在りし日の日本帝国海軍空母を再現しての映像である。最新のCGなどの技術を駆使しての映像が嘘っぽくないのは、なるべく実写的な再現に限定したこと、壮大な歴史絵巻を描くことに対する禁欲、一人の青年の内面にのみ焦点をてた制作態度ゆえにだろう。

 物語と云うのは戦後60年目の夏、死んだお祖母ちゃんにはお祖父さんと結婚する前に秘められた四年間の結婚生活があった、と云う事。その新婚の生活は過酷な敗戦と特攻によって打ち切られた、と云う事である。
 その謎を求めて、姉と弟の二人の姉弟が謎を解き明かしていく。そこには平和と家族を愛する一人の青年がいて、非国民と侮られようとも揺らぐことなく戦後に残すべく有用な人材を保持するための、特攻教官としての果敢な行動があった、と云うものである。
 しかしそのような明晰ともいえる男が何故、最後は自らの信念を裏切るような形で特攻を志願したのか。

 この映画の新鮮さは、特攻隊ではなく、特攻を送り出した軍事教官と云う設定である。教官として教え子たちに合格証を与えない抵抗の姿が描かれる。技術の不手際で着陸に失敗した学徒のために抗弁する姿がある。最後の出撃では、エンジントラブルを仕込んで、攻撃機を交換すると云う不自然な行為を通して一人散華する姿が描かれる。敗戦の詔が発せられるのが間近であることを知っていたからである。

 本当にこうした青年がいたならばどんなに良かっただろうと思う。本当に一人でもいい、このような青年の志によって先の大戦が闘われたのであったならばどんなに良かっただろうと思う。ふと思い出したのは、新聞の声の欄に教え子を戦場に送り出した小学校教師の話である。この教師が生きた時代は映画の『二十四の瞳』に描かれるような、少年兵として志願することをよしとすることが不可抗力的な強制力として潜在化された時代であった。その教師は幽霊や怪異な話を好んで子供たちを前に聞かせたと云うのだが、恐怖心とは生命への畏敬であったことを戦後、大人になって初めて理解するようになると云う細やかなエピソードである。

 さて、このような映画を見ると私の思いは複雑になる。有意な人材が留めることもなく失われたと云うこと、2500名を超えると云われる特攻戦没者の願いにも関わらず私たちはどんな社会を造り上げてしまったのかと云うこと、青年たちの願いは通じたのか。

 この映画は特攻映画と云っても特攻の教官を描くことにおいてある種の客観性を与えている。未熟な特攻隊の編成を統制しつつ圧倒的に優勢な敵軍機から護衛するための任務の中でこの軍事教官が見なければならなかったものは、進化した米軍の対空管制の中であえなく目標に達することもなく空中にあるいは水平線に散華していく教え子たちの姿であったろう。
 ラバウル等の緒戦において実機よりも人的資材の損耗において致命的であった日本空軍は、即戦力として学徒の学習能力の高さと心情の無私さを利用した。決して無私ではなかったものが生き延びて、終戦の段取りをを作り、サンフランシスコ条約化の戦後の枠組みを作って行くことになる。戦争の歪は物質的な影響のみではなく、精神史的な長年月的な影響を計量して考える必要がある。

 戦後68年、特攻の青年たちの散華と同世代のものたちのほとんどは鬼籍に入ってしまった。この映画を遺作としてこの春、旅だった俳優夏八木勲はツージェネレーションも下の世代と云う事になる。彼は世代として代弁することはできなくても、まるでこの映画は彼の俳優人生のために捧げられたような印象を与える。
 戦争体験は必ずしも親から子の世代には受け継がれなかった。孫たちの世代が、何の手がかりもなく体当たりで真相を手にする物語、この映画で印象的な場面に橋爪功演じる元部下が、余命三か月と診断された癌の進行が半年が経過したのちも生きていることの不思議さについて語る、それは戦時中の秘密を語り伝える僥倖の日のために生かされてあった不思議さではなかったのか、と。夏八木を始めとするこの世代の最後尾のものたちの感慨ではなかったろうか。

 それにしても特撮と撮影技術が素晴らしい。敵空母と云う目標に達することなく機銃掃射の標的となってバラバラの炎となって空中に分解するゼロ戦の姿が神風特攻と云う作戦の虚しさを、海上に突っ込んで虚しく水煙をあげる激しさが、あるいは被弾した空母の甲板で類は格納庫内で火だるまになって逃げ惑う戦闘員の姿を映写して戦争の無残さを伝える。