アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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小津の問題作『秋刀魚の味』(1962年)と中村登『暖春』(1966年)アリアドネ・アーカイブスより

小津の問題作『秋刀魚の味』(1962年)と中村登『暖春』(1966年)
2013-12-12 15:11:44
テーマ:映画と演劇




・ 何からなにまで小道具まで含めてそっっくりなのに、何かが少し違う、今回はそんなお話をしてみたいと思います。


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・ 小津の『秋刀魚の味』についてはなかなか分からないところがあって、彼のお弟子さん筋で中村登と云う凝った映画造りをする人がいて、その人が造った、もし生前の小津が生きていたらこんな風に造っただろうかと云う映画に、『暖春』と云うのがあって、主役には岩下志麻を、そしてその母親役にはかの森光子を持ってきている、この配色が小津映画にはない特色を際立たせているのである。

 『暖春』は京都の小料理屋を営んでいる母と娘がいて、娘には縁談がないわけではないがそろそろ婚期を逸しようとするような時期が近づいている。彼女に好意を寄せない男性がいないわけではなく、西陣のボンボンがあれこれと母と娘の生活の不如意に気を使っていて、それは傍目にもかいがいしく見える。つまり凡そ現代風の青年ではないのである。
 一方京都の小料理屋の娘と云っても岩下演じる娘は現代風にさばさばしているのが身上なのだが、その彼女にも現代女性ならぬ悩みがある。それは母親が祇園の芸妓をしていた関係で、父親が誰か分からないというのである。
 『暖春』の不道徳なところは、娘の父親が分からないと云っても何処の馬の骨だか知れないと云う意味ではなく、いまだに家族同様の付き合いをしている母親の「旧友たち?」の三人、若き日に祇園で遊んだ京大生の誰かだと云うのである。
 母親の「旧友たち」三人にしても、そこは亡くなった父親への思い出と青春の日々の放蕩の記憶の手前でも、――いっそ、本音を言えば、本当は父親であるのかもしれない可能性ゆえに、三人の元学友たちは競って父親ぶりを発揮すると云う、笑えない喜劇性がここにはある。
 ここで言っておくと、彼らの青春と放蕩の日々が終わりに近づいたころ、どうやら赤ん坊が出来そうだと云う事が分かって、そこで躊躇う他の学友たちを退けて父親たる名乗り出たのが、亡くなったとされるその父親なのである。旧友たちの間には、亡くなった死者への負い目と云う構図が無意識の中に前提されているようである。

 映画としてなかなかに面白いのだが、小津などが決して造れない映画になっている点が実に面白い。特に、本当の父親が誰だか分からなくて、その悩みに貰い泣きする母と娘、母は母なりに娘の境遇を思いやって、娘は娘で母親の来し方の苦労と記憶とを思いやって、真実を断念する思いに思わず泣く、その場面である。それは自分たちの運命や来し方に泣くと云うよりも、凡そ世間様と対等には渡り合えない自分たちの、持って行き場のない絶望を、言葉にできない絶望を、こんな庶民の絶望を、悲しみを、小津安二郎は描くことはできなかった。

 ところが中村と小津の映画を橋渡しするような位置に、小津の遺作『秋刀魚の味』があって、若き日の岩下志麻が両作を通じて主演をしていて、不思議な一貫性を与えているのである。

 小津の映画は他愛もない話の繰り返しだから省略するけれども、例によって岩下が結婚したいと思っていた相手には既に結婚の話が進行しており、岩下演ずる娘も思い諦めてほかの男のところに嫁入りしていく、と云うお話である。つまり物語の構図としては、所謂小津調と呼ばれるものが確立したように言われる戦後の名作『晩春』とよく似た構図なのである。違うのは原節子岩下志麻、この二人の女優から受ける印象は、前者は譬え俗世に染まろうとも芥の中に翼を休める鶴と云うイメージであるのに対して、後者は、小津の映画の中に、銀幕と云う輝きの中にやっと庶民の娘が出てきたな、と云う感じなのである。

 この違いを小津はどのように描き分けたか。
 『晩春』では、意中の人への思いと運命の僥倖が自分から遠ざかりつつあると感じた時においてすらヒロインの原節子は微笑みを隠さない。まるで人生の運不運とは別の人生に人生があるかのように達観した感性が、小津描くところの紀子三部作のヒをロインには感じられる。
 しかし小津は二人の寂寥感を、実現しなかった巌本真理のコンサート会場の空席に置かれた帽子の所在なさにおいて表現し、象徴している。そしてこの寂寥感を振り切るように、二人は最後のサイクリングに出かける。あるいはこの二つの前後関係は逆かもしれない。いずれにせよ、二人の惜別の時を控えて湘南の海の美しさを愛で、その輝きは世俗の細々とした些事を超え超越的ですらある 。
 他方、『秋刀魚の味』における庶民の娘である岩下志麻は、その話を伝え聴くと表情も変えずに黙って二階に姿を消す、おそらく長年使いこんだと思われる学習机にうつ伏して短く泣いて見せたのであろう、まるで儀式か祭儀でもあるかのように。この劇的な場面は直接法で描かれることなく、弟の見た伝聞と云う形式で、語りとして伝えられる。姉貴は泣いてたよ、と。
 能舞台で早変わりと云う様式があるが、二階から降りて来るとき岩下はもはや昔の彼女ではない。能楽の仕舞いでは、扇で表情を陰らせ再び払うと表情が一変すると云う簡素な表現の仕方で表すことがある。彼女の何かが死んだのである。
 小津の縁談話には二通りあって、一つは婚約者が一度も舞台に現れないタイプとそうでないタイプがあって、前者は将来の幸せを必ずしも保証しない。『秋刀魚の味』は前者の作品であるとわたしは密かに思っている。

 『秋刀魚の味』には、このほかにも軍艦マーチを巡る、岸田今日子加藤大助によって演じられる丁々発止の名場面がある。この名場面の事は以前に書いたことがあるので書かない。戦時中の上官と下士官の関係、風呂帰りのタオルを頭に巻いたままのマダムのおどけた仕種など、戦争体験は確実に風花を見せている。しかしここには戦前ー戦中ー戦後を通じて小津がどのように庶民と云うものを見ていたかの重要な証言がある。 大袈裟な表現かも知れないが、ここには天皇人間宣言にも比すべき小津の優しさと云うものが垣間見られる。本当の庶民としての時間を生きたものは、めったなことで庶民性などとは強調しないものである。小津の庶民性への開眼は戦後社会と云うものへの密やかなる是認に他ならなかった。しかし小津の庶民性とは、中村登描くところの『暖春』の庶民性とおなじものではなかった。

 戦後を許すと云う事と、疑問を持たないと云う事とは違うのである。