アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ヤンとマルグリット アリアドネ・アーカイブスより

ヤンとマルグリット
2014-02-10 13:05:44
テーマ:文学と思想




http://www.kawade.co.jp/img/cover_l/9784309202174.jpg       http://img.discas.net/img/jacket/081/765/r081765537MX.jpg


・ かりに一人の文学青年がここにいて、自殺を考えるほどまでに作家の事が好きになる、私自身にはあり得ぬことだが、そんなお伽噺がこの世のどこかにあっても不思議ではないし、あり得たにしても不自然とは思えないような気がする。

 老齢に向かって死の準備をし始めていた六十代のマルグリット・デュラスの前にある日捨て身の覚悟の青年が現れる。この世において、これほどにも純粋でありえると云う事が、今更ながらに彼女を驚かせる。

 ヤン・アンドレアの『マルグリット・デュラス』(原題・『M・D』)と、映画『ラマン最終章』は、そんなフランス現代文学を代表する文豪とその死に至る十六年間を語ったものである。ヤンは、体調を崩し、アルコールに溺れていく文豪の文学上の使徒として、看護者として、そして何よりも「愛人」として支えるのであるが、最初から死に逝くものを看とると云う必死さがこの書物の基調音である。

 二人の三十八歳にも及ぶ年齢差、そして非日常の狂気と愛を描くことにおいて第一人者であると云う評価を知らしめ世間に見せつけた彼女の事であれば、勢いスキャンダルめいた話題を提供することになる。しかしここから得られたのは、これほどにも人は純粋であり得たかと問われる至純の書、『ラマン』なのである。

 『ラマン』についての不満はほかで書いているので繰り返さない。
 ここでとくに言いたいのは、『M・D』が『ラマン』の左右非対称型の鋳型になっている、と云う事である。愛の作家であると云われながら、また自らも強弁的口調で脅迫的に世間に知らしめて来たか彼女が、殆ど愛に値する経歴を有していないなどと云ったら、私はヤンに殴り殺されるだろうか。マルグリット・デュラスとは、愛の作家ではなく、人は愛するとき愛に気付かず、愛が不在である時愛を理解すると云う、不思議な存在なのである。

 『ラマン』は、かかるデュラスの愛の不等式に関する言説を覆す形でこの世に現出する。これを生み与えたものはヤンだと思う。社会的名声も富すらも手に入れた文豪と文学青年の関係は、黒塗りの高級車に乗った華僑の青年と幼き娼婦マルグリットとの関係の相似形である。華僑の青年が黄色人種であるがゆえに決して愛されないように、デュラスとヤンの関係も年齢差と死に逝く定めにあるものであるがゆえに愛の不可能性と云う名の不可能性は最後まで残るのである。あるいは、ヤンが実はホモセクシュアルであると云う事実すら非情にも付け加えなければならないだろうか。この書の副題として訳者の田中倫郎氏が選んだ「閉ざされた扉」はそういう意味であると、恣意的に解釈しておく。

 死んでいるがゆえに、「死んだ男」――デュラスの言――であるがゆえに、その空洞からは無限の可能性すら甦って来る。レオン・ボレの黒塗りの記憶の中から「愛していなかったと云う自信がなくなった」とまで言わしめた純粋さ、無垢さが甦る。しかしそれはマルグリット・デュラスにとってこの世の言語なのか。しかし万人共通の言語が発せられるとき、デュラスは国民作家となる。伝説の中で不可能な言語が可能なものとなる。

 映画監督、ジョゼ・ダヤンは映画の終わりに何を知ったと云うのか。ここでは指で丸眼鏡を造ってみせておどけて見せるデュラスを「友人」ジャンヌ・モローが再現する、0点小僧よ! シューベルトは最後の告解を拒んだと云うエピソードを語る二人の語らいの時がある。それならサン・ジェルマン・デ・プレ教会で営まれたと云う葬儀はいかさまであったと云うのだろうか。それは分からない、デュラスと云う作家が多面的であるのだから。伝説の霧と薄明の中に生きることを選んだ彼女について何が言えると云うのだろうか。

 それでも彼女は毅然として死に逝く!古代の王者のように。涙もなく、口づけもなく。まるで最後の死に場所を探り当てた小さな巨象のように、デュラスは死んだ、マルグリットは解体した、と威厳を籠めて彼女は言う、そして一人で死なせて、と。




https://www.youtube.com/watch?v=t-emOQ1jBv8

マルグリットの告別式で流された ”インディアソング”
彼女の棺はこんなにも、と思えるほど小さかったと云う。
この音楽に送られてサン・ジェフマン・デ・プレ教会から棺が担ぎ出されたと云う。
子どものように小さな棺を先頭に担いだ長い葬列はモンパルナの墓地まで続いたのだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=w9fLfi9nZmI