アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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冬の夜の博多座 アリアドネ・アーカイブスより

冬の夜の博多座
2014-02-12 10:16:37
テーマ:映画と演劇


http://www.hakataza.co.jp/lineup/images/h26-2/main.jpg



  当日の演目は次のようである。
1.傾城反魂香
2.奴道成寺
3.土屋主税

 それぞれに三十分ほどの休憩を二度、中あいの演舞を挟んで滑稽もの?とシリアスもの?とは挟むような、シンメトリーの構成になっている。
 1.の「傾城反魂香」は、歌舞伎特有のある程度の幅のある原案から一部を抜き出してきて、歌舞伎らしい、ねっとりとした味付けをした結果、題名の由来が分からなくなってしまっている。また、分からなくても歌舞伎の鑑賞には少しも差支えがないから、詮索しないことにする。
 物語は、いまは京山科の寓居に逼塞している名高い絵師、土佐将監の弟子浮世又平が、弟弟子修理之助に先を越され苗字帯刀を許されて、落胆し、女房の師匠への嘆願もむなしく世をはかなんで自害しようと、手水鉢に今生の別れと絶筆となる自画像を描いたところ、その絵の迫力が極まって手水鉢の石質を突き破って裏面にも浮かび出ると云うもの、その奇跡に夫婦も驚くやら、その偶然に遭遇した師匠土佐将監も、ついに又平に力量を認めて苗字の名乗りを許すと云うもの。
 この歌舞伎の眼目は、二つある。一つは、何事においても営々と努力するもの願いは叶えられるものであると云うもの、二つ目は、夫婦愛ほどこの世に麗しきものはない、と云う労働観と道徳観のすすめである。
 歌舞伎を見て、一番分かりにくいのは、執着気質の労働観とか一夫一妻制を基本とする世俗の倫理観が、実際には下積みの庶民と呼ばれる人々の生き方を規制し桎梏の頸木として働いているにもかかわらず、そこには倒錯した原理が働いて、否定の対象であるべきはずの倫理観を過大でもあれば過剰に、歌舞伎風に大仰に描くことで、分かりやすい近代芸術とは逆に、悲劇でもない喜劇でもない、一種不可思議な泣き笑いの風景を現出することである。この点は、三番目の演目である「土屋主税」でも変わらない。

 3.「土屋主税」は、赤穂浪士の一人として名高い大高源吾が、決起を控えた前日の雪が深々と降りはじめたある日、俳諧の師匠の其角をその侘び住まいに、永遠の別離を告げんものと訪れる話と、その夜、その話を其角から聞いた旗本の大身、土屋主税が、師弟の間で交わされた別離の贐の発句と結句から討ち入りの真相を理解し、事なるまでは露見させてはならじと、俄かに狸寝入りをし、雪見の会に訪れた一座を韜晦し煙に巻くと云うお話である。
 最後は、深々と降り始めた雪景色を背景に、朗々と赤穂浪士の火消太鼓の響きが江戸の冬空に朗々と響き渡ると云う、季節感の溢れる印象的な幕切れである。詳しいことは知らないが、赤穂浪士の討ち入りした12月が、新暦の今頃にあたるのだろうか。
 この場合もやはり、無理に見せ場を作ると云うか、単純なお話を捻くりまわして不自然な美的な効果を狙っている。俳諧を嗜なむほどのものならば、ましてや其角から一目も二目も置かれた直弟子であるならば、阿吽の呼吸というか、伝来の古武士特有の言外の言によって伝えるべきものを、それを歌舞伎では、大高源吾が暇乞いの理由を、さる西国大名への仕官をすると、わざと二君にまみえる生き方を衆目に露見させ、其角や朋友の心情を逆なでするような愚挙が描かれる。当然、同席した肥後藩士の某は、源吾のことを豚武士とまで罵って、激昂したあまり縁側に蹴落とすと云う荒芸をも披露しなければならない。一旦は、源吾の言い分に理解を示しそういうものかと身上を受け止めてはみたものの憤懣やるかたない其角は、当日雪見の席に招かれた土屋主税の前で源吾の武士に有るまじき非行を訴えないではいられない。
 ところが、ここに、惜別の辞を述べるために現れた源吾と、俳諧の師匠の其角の間に交わされた発句と結句があって、その次第を聴くに及んで、土屋は事の真相を即座に理解し、事が成るまでは伏せておかじと、俄かに転寝に転じ一同を煙に巻く。大旗本の土屋がなにゆえこれ程までに赤穂浪士に入れ込んでいるかは分からないのだが、それも詮索しなくても分かるように歌舞伎はなっている。
 その発句と結句とは、
 其角 「年の瀬や水の流れも人の身も」
 源吾 「明日待たるるその宝船」

 これも何か落語のおちのようで、泣いていいのか笑っていいのか、本人たちが真面目に演技しているだけに何とも不思議な悲喜劇の感触である。赤穂浪士にとっては、自分たちを追い詰めた忠君愛国めいた儒教的な倫理観こそ問われなければならないはずなのに、それを自虐的に誇大に美化することでしか抵抗の証を証明することが出来なかったのか。また土屋主税にしても、何不自由のない大身の身分でありながら、不遇不運の浪士たちに命運に、必要以上に肩入れし、その武士道的な倫理観に殉じようとしている。そしてお江戸百万の庶民たちは、土屋主税の理由の見いだせない不可解な意地と云うか、こだわりに、自分たちの代弁者を見出した、と云う事なのだろう。

 分からいやすいお話を、わざと捻くりまわし捏ね繰りまわして不自然なお話にすることで、悲劇のようで喜劇であり、喜劇のようで悲劇であると云う歌舞伎特有の次第に観客は泣き笑いし、子笑いし大笑いした後は結局、三色縦縞の舞台の幕切れまじかには迸る涙を抑えきれず、歳の瀬の冬空の下を三々五々、家路を急いだのだろうか、なんとこころやさしき民、江戸の庶民であることか!

 全部で四時間以上にもわたる舞台興行の合間に、わたしたちは舞台の背で弁当の箸を使いながら、いまだに残る東京歌舞伎座の飲食の風習、歌舞宴を想像しながら、神とともに食すると伝えられた直会の神事を図らずも思い出していた。
 飲み食いをしながら、私語を慎むどころか、感興の趣くままに感想を語り合い、思わず「なりこまや!」と呼び声が掛かる、一心同体でありながら、古式の神がみの記憶を伝えるもう一つの神事ではないのか。
 歌舞伎を見る意場合は、着飾って行くのが良い!豪華な弁当をうち広げるのが良い!そして語らなければならない。