アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『東京物語』の思い出 アリアドネ・アーカイブスより

東京物語』の思い出
2014-02-17 11:46:52
テーマ:映画と演劇

 


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/20/Kamakura_Museum_of_Literature.jpg
        
          鼎談がおこなわれた、鎌倉文学館



・ たまたま西部邁と云う人の小津を語る、と云う番組を見ていたのですが、この番組にはほかに二人のゲスト、一人はいわゆる小津組の生き残りのような人、もう一人は比較的若い、と云っても五十台前後かの、文芸批評家と云う人が出てきて、盛んに、東京物語と秋刀魚の辞の魅力を語っていました。

 小津映画の魅力の不思議さは、昔は上等な人々がいたと云う感慨以外には語れない、と云うようなことを西部が言っていた。では、と若い文芸批評家が小津組のゲストの方に尋ねていた。小津映画の魅力は話し方ですね、特に女性の話し方!昔は誰もがあんな話し方をしていたのでしょうか。小津組は答える。確かに、原節子の話し方などを見ると、昔でもあんな風には話さなかったと思うのだけれども、映画になってみるとそれが少しも不自然ではないのですね。

 それから戦争の影、一度としてあからさまには描かれないのに、何時もそれと気づくような形で戦争の記憶が描かれているでしょう。東京物語では原節子の亡くなった旦那さん、映画では一度として具体的には言及されることのない次男なのですが、原節子の貧しいアパートの箪笥の上に写真が置かれていると云う風になっているのですね。秋刀魚の味においても、岸田今日子演ずるバーのマダムのカウンター越しに軍艦マーチに合わせて軍隊行進のまねをする場面があるでしょう。そう言えば、何の映画だったか、宴席の途中で笠置衆が「青葉しげれる桜井の・・・」を謳い出すところがあるでしょう。一部で謳うのを止めてしまって、おい、まだ歌えよなんて言いながら。なんの説明もないのに、ぽんと、ワンシーンをさりげなく置くことで、万感迫る場面を演出する、凄いことですね。

 東京物語の中でも有名なところですが、最後の、母親がなくなって、尾道の庭先で父親が原節子と並んで、今日も暑くなるだろう、と云うようなことを言うわけですね。母親が亡くなった、ある意味では決定的な夜が明けて、その日の朝に、こんあさりげない風景を描くわけですね、小津と云う人は。それで、観客にはなんとなくわかるわけですよ。つまり、すべてを押し流し得しまう、と。人間の悲哀こもごもの喜怒哀楽が、雄大な自然の輪廻の中にあると云う事を。もちろん、その中に戦争も含まれています。
 僕には、と西部は言う。有名な小津のローアングルも、こうしてカメラを低く構えて映すわけでしょう、茶の間の風景などを、じっと動かずに。それが僕には映画の技法と云うよりも、じっとこちらを見返している死者たちの眼差しのように思えるのですよ。