アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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西洋の形而上学と云う事ーー西尾幹二『国民の歴史』を読んで アリアドネ・アーカイブスより

西洋の形而上学と云う事ーー西尾幹二『国民の歴史』を読んで
2014-02-22 13:11:36
テーマ:歴史と文学



・ こうして凡そ十五年も前の刺激的な、世論啓発の書を読んでみると、如何にも長閑な感じがします。と云うのも、この時代は著者がヘレニズムに類似する時代としたように、有り余る自由を持て余した空白と不安の時代なのでしたが、9・11、そして3・11と云う事態を経ますと――前者はテロと云う人為の、後者は自然災害がらみと云う違いはあるのですが、本物の不合理へと、つまりフロイトがかって主張したタナトス的な情熱とでも言った方が良い説明の方がよりよく現状を表現しうる、そんな時代になりつつあるような気がするのです。
 そこで、最近の日本でも地殻変動のように起こりつつある傾向、それはアベノミクスに代表されるような傾向なのですが、そうしたものの源流の一つとして、手近にあって読んでいなかった本を久しぶりに手にしました。
 一読してこの書の刺激性は淘汰されたと云う感じがする以上に、ここから宇宙船地球号はどこに向かおうとしているのか、と云う不安は去りません。西尾幹二が十五年も前に提起した諸問題すら十分に消化することなく、何か新しい事態にわたしたち日本人は素手で立ち向かおうとしているのではないのか、そんな印象を持ちました。

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上巻目次
まえがき 歴史とは何か
1・・・・一文明圏としての日本列島
2・・・・時代区分について
3・・・・世界最古の縄文土器文明
4・・・・稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5・・・・日本語確立への苦闘
6・・・・神話と歴史
7・・・・魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8・・・・王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝
9・・・・漢の時代におこっていた明治維新
10・・・奈良の都は長安に似ていなかった
11・・・平安京の落日と中世ヨーロッパ
12・・・中国から離れるタイミングのよさ―遣唐使の廃止
13・・・縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14・・・「世界史」はモンゴル帝国から始まった
 上巻付論 自画像を描けない日本人
――「本来的自己」の回復のために――
下巻目次
15・・・西欧の野望・地球分割計画
16・・・秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17・・・GODを「神」と訳した間違い
18・・・鎖国は本当にあったのか
19・・・優越していた東アジアとアヘン戦争
20・・・トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟ニュルンベルク裁判
21・・・西洋の革命より革命的であった明治維新
22・・・教育立国の背景
23・・・朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26・・・日本の戦争の孤独さ
27・・・終戦の日
28・・・日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29・・・大正教養主義と戦後進歩主義
30・・・冷戦の推移におどらされた自民党政治
31・・・現代日本における学問の危機
32・・・私はいま日韓問題をどう考えているか
33・・・ホロコースト戦争犯罪
34・・・人は自由に耐えられるか
原著あとがき
参考文献一覧
下巻付論 『国民の歴史』という本の歴史
・ 目次を見ても分かるように、一見多彩な広範囲の議題に及んでいる。目次を眺めらがら感じるのは、表題を見ただけで凡その内容の想像はつく、と云う印象である。一読してさらに感じるのは、言い方が過激であるには順当なことを言っている、まともである、と云う感想である。

 ただ、大きな知的な発見はないかもしれないが、これだけ広範囲の話題となるとよく短時間に勉強したものだとも思い、教えられることも多い。其れを機縁に、各自は前向きに考えてその方面の知識を深めていかれればと思う。わたしもそういう意味では様々の多様な啓発を受けたのである。

 この中で強い印象を持ったのは、先の大戦の敗北を日本人がどのように受け止めたのか、と云う下りである。直接その日の記憶を――昭和23年生まれのわたしもも含めて体験世代が少数になるにしたがって、感性のレベルで匡すことが出来る人が少なくなっていく。経験や体験よりも時降るにつけて情報が優位となるにつけて訂正が利かなくなっていく、そうした中で十歳の西尾が時代証言者として、8月15日正午の記憶を正確に残してくれたのは実にありがたい気がする。

 西尾幹二の云うところによれば、国民の潜在意識のレベルでは戦闘意識はいまだ盛んであり、なおしばらくは言葉と言説による闘いは続き、つまり言葉に敗れたとき、初めて国民は「敗戦」と云う意事態を受け入れた、と云うのである。「敗れた」と云うのは、周知の、第二次世界大戦と云うものは、民主主義と軍国主義ヒューマニズムと反人道主義者たちとの戦い「であった」と云う、お馴染みの言説である。確かに、わたしたちもまたかかる言説を教壇の高いところから、あるいは教室の外の様々な局面で聞いたことがあるような気がする。戦後、わたしたちは様々な分野で言葉のかろきこと、行為や行動の前には言葉は沈黙すべきであることを言われるのであるが、そこでは先の世と戦中の大本営的な言説空間に極まる陳腐さと混同する形で、あろうことか言語一般に対する不信を導きだし、この本の後半部で西尾自身が指摘するような、公共の場で堂々と言説を展開できない日本人像と云うものを生み出したのである。

 つまり、言葉のかろき国民は、言葉を蔑視する風潮の中で、まんまと西洋的な論理にからめとられていったのである。言葉を蔑視することで、自らをよりましなレアリストと思い込んでいても、西洋的言語と云う途方もない威力の前に「敗戦」を受け入れたと云う、自らの情動の秘められた経緯についは意識し、対象化して考えてみたことはなかったのである。

 かかる言語をめぐるパラダイム論は西尾の言説の紹介とは少し違うのかもしれない。西尾の言語パラダイムは、

 符号<言語<行為

 と云うものである。云うまでもなく、言語は記号に解消できないし、行為は言語や言葉を超えると云う風に読む。西尾の言語パラダイムは、世俗の大多数の市民が懐く考えに一致しているので、理解するのが難しいわけではない。しかしかかる言語観と、先の西洋的論理なり言語の途方もない威力と整合するであろうか。行為の前に頭を下げるような言語などでは恐るるに足らないし、言説の恐ろしさを少しも説明できはしない。

 西欧的な論理に対する対決的姿勢の不徹底と云ういい方は強すぎるのかもしれないが、同じく80年代に西尾とともにジャーナリズムを風靡した森有正の「経験」思想に対する無理解にも現れている。西尾は経済成長を遂げて世界有数の経済大国になった当時日本の80年代にこのようなパリ一辺倒の欧化主義者がいると云う事が不思議でならないと云う言い分なのだが、その理由も、森がパリに何年も住んで、名もない市井の市民と交わることで、彼らパリジャンの日常が折節に見せる叡知についての森の一方的な共感に我慢できない、と云うものである。それなら、パリジャンのなかにはパスカルデカルトについての教養や見識を踏まえた人間が、日本よりも比率が高いと云えばよかったのだろうか。森が言っているのは、パリ市民の方が東京人よりもお頭の程度が高い、と云う事ではない。市民社会の日常匙のレベルで彼らが示す叡知的瞬間があると云う事、それは学問や学説で説明できるようなレベルではないこと、つまり西洋的な言語の中にある実在の感じ、それは東西の言語の構造が根本的に違っているのではないのか、と云う驚きなのである。

 因みにいうならば、日本人は観念と概念の区別を言うことが出来ない。そこにあるものをただ在るがゆえに信じると云うものと、概念こそ現実的である、所与としての現実性は仮象に過ぎないのであり、間接的なもの、媒介的なものこそ現実的であると大真面目に主張するものを、単に気違いとするのか学者先生の世迷い事として片づけるのか、それとも彼を今後とも長く付き合えざるを得ない手強い友人と考えるか、違いは大きいのである。

 記号や符号、そして象徴もまた言語であるし、行為もまた言語である。お望みならばそれを身体性言語、所作的言語と云ってもよい。言語は非力どころか概念として、言説として、わたしたちの主観に対立する。言語の自体性と云うものを通じて、主観と客観に働きかけ、主観と客観を変容させる。何か先に、真実か真理の様なものがあって、後追い的に言語や論理が規則付けする、と云うのではなくて、言語空間に、言葉の限りにおいて審理はその都度において成立する。その都度と云う意味は、何らかの外的内的、実存的な要因によって真理は相対的であらざるを得ないと云う意味ではなく、背後に想定されるイデア界や無意識の領域と云うものはないのである。その正体は、長らく西洋的な知的伝統が形而上学的領域と呼んできたものである。この形而上学的な領域こそ西尾が本書の後半で例証したように日本の国民に「敗戦」を認めさせたもの、なのである。


 最後に、この本は何も敗戦と言語に対する考察だけを述べた本ではないので印象に残った点を書いておこう。西尾の観点をどのように評価するかは各自の自由裁量の範囲だが、昨今の状況を鑑みると既に時流に先を越されているのかもしれない。また、それゆえにこそ西尾の論点を踏まえることは最低の条件と云えるだろう。何も特に偏った見解、過激な論説と云う気はしない。
 一つは最近の日本考古学が明らかにした東北文化圏、弥生時代以前い存在したと考えられる縄文期が、独自のものとして約一万年以上にもわたって存在していたらしい、と云う知見である。狩猟採取社会の後に稲作社会が来ると云う文化人類学的な見方ではなく、縄文様式、弥生様式、地域ごとに多様な様式が存在した縄文期と云う次代があったらしい、ということである。事実、氷河期以降の日本列島は採取や狩猟環境に適した東日本の方が文化も進んでいて人口も多かったと云う。一万年にも及ぶ時間幅は、そこでは多様な文明の諸段階が同時並行的に不均等の発展を遂げていたのかもしれず、原始から近代に類似した諸段階までが縄文期の中にあったのかもしれないと云うロマンティスムを吹き込む。

 二番目は日本列島の世界史における位置である。この書が明らかにしているのは世界四大文明と云うものが滅んで、最終的にはユーラシア大陸の両側にはローマ帝国と大唐王朝が並立した二大文明世界の時代が経過し、かかる世界文明が崩壊した後に生じる一種の真空時代を通じて、それぞれにユーラシア大陸のさらなる西と東側に二次的な文明が誕生する、それが西欧と日本であると云うのである。雄渾でもあれば誇大妄想的でもありうるかかる史観も、両者を同時並行的に対比してみれば大まかな類比が認められる。この両者の均衡は黒船来航をもって、その圧倒的な物理力の差によって解消するのだが、これは考えてみれば、西洋文明を度外視して考えることが可能であれば、日本型の近世、近代の世があったとぴう事になるだろう。

 三つめは、先の大戦において枢軸国と云ってもヨーロッパ戦線と太平洋戦争ではまるで違った形の闘いが同時に進行した複雑な戦争であったと云う指摘だろう。ヨーロッパにおける戦いは植民地戦争以降の各国武力均衡化において生じたイデオロギー間の闘いであったと云う意味で20世紀の闘いである。他方、太平洋戦争と呼ばれたものは日本と中国をはじめとする主として東アジアの植民地戦争であったと云う意味で、18.9世紀的な戦争であった。この違いを無視してニュルンベルグ裁判と東京裁判を同一視することの中に無理がある。
 この書によれば、両裁判の違いは人道的な犯罪と戦争犯罪の違いに帰着する。日本が東京裁判で裁かれた罪は19世紀的な戦争犯罪である。人道的な罪とは、戦争遂行の合目的性とは整合しない、場合によっては背反するナチズムのユダヤ人の最終的解決や東ヨーロッパにおける民族消滅ジェノサイドに典型的に表れている。日本が南京等でこれに類似する行為を行った場合においても、19世紀型の侵略戦争に同時代性が重ねて統制され施行されたと云う側面はあるだろう。また、日米間の太平洋戦争にしても、これは一方の国が一度として国内が戦場とならなかったと云う特異性において際立つ。しかも性格的には日米戦争とは19世紀型の植民地獲得型の戦争であるのに、ヒロシマナガサキにみられるような「報復」の在り方としては20世紀型の戦争、つまり通常の戦争犯罪ではなく、人道としての犯罪を志向する狂気としての、イデオロギーによる戦争と云うヨーロッパ型の戦争が塗り重ねされて裁かれたのである、などなど。