アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『武蔵野』の面影を求めて アリアドネ・アーカイブスより

『武蔵野』の面影を求めて
2014-04-12 14:57:57
テーマ:文学と思想





・ また別の日に、目黒川に沿って歩きました。独歩の武蔵野の中に描かれた、雑司ケ谷から新宿、早稲田、目黒、白金、のビル群は今は昔の語り草です。目黒のさんま祭りで有名な桜並木も独歩の頃にあったかどうか疑わしいことでしょう。それでも、東京の町は山はないけれども意外と起伏に富んでいて、徒歩で横断しようとなると案外手強いものです。地道の起伏とビルの谷間の空の一角にのみ、武蔵野の面影は残っているようです。

 



 広尾の町並みにはカフェのオープンデッキが出ていて、春の日差しを浴びて談笑する外国人の姿が、ほかの町とは少し違った印象を与えます。奥まったテーブル席には日本人が、表側には鈴なりの外国人が通りの方を向いていますので、日本にいるのにまるでこちらの方が外国人として観察を受けているような逆転した印象ですね。
 その広尾の華やかな表通りを一歩入ると、古い広尾の寺院群があります。広尾は、須賀敦子の縁の場所でもありますが、今日は書きません。


広尾の祥雲寺





 また別のある日、今度は小石川台から茗荷谷の方向に降りていきます。春の坂道を降りてまいります。古い知人と会う事になっていたのですが、やはり話題は桜でした、逝く春を惜しむさくらなのでした。
 観桜の一期一会は、古来より出会いと別れの儀式ですね。

 「春ごとに花のさかりはありなめどあひみむ事は命なりけり 」(古今)
 「年たけて又越ゆべしと思ひきや命なりけりさ夜の中山」〈新古今・羇旅〉

(引用はいずれもgoo辞書より)

東京大学付属植物園


播磨坂さくら並木


・ また別の日に、一日の行楽に疲れた足を引きずるようにわたしは洗足池の周りを歩いていました。洗足池は池のほとりに勝海舟が隠棲したところ、近くの池上線石川台駅は小津の最後の作品『秋刀魚の味』で、電車を待つ岩下志麻の立ち姿をちらりと描いて印象に残る場面ですね。
 小津映画の原節子は酷薄な運命に女王のように気高くも堪えますが、庶民を演じた岩下志麻は俯せで泣いてしまいます。婚約者の容姿もよう憶えないで嫁いでいく哀れさが、華やかな婚礼の儀式の中で演出されます。彼女自身は有能な篠田監督と出会う事でまた別の方面の才能を開花させることになりましたが、小津や木下恵介監督によって見出された庶民としての岩下が失われたのは少し残念なことです。
 父親や家族の都合で婚期を遅らせ、また父親や家族の世間体のために嫁いでいく、その物言わぬ庶民の娘にもやはり夢見るときはあったのだ、と云う事を小津は最後の最後に描きました。その印象的な場面の一つが東急池上線石川台駅のプラットフォームなのです。

洗足池の桜

・ 武蔵野の面影を探しているのか、東京を何気なく歩く理由づけを求めているのか、それである日思い切って、国木田独歩『武蔵野』に描かれる北限の、吉祥寺、三鷹、武蔵境を目指すことにしました。
 吉祥寺では武蔵野ならぬジブリの森が誕生していました。井の頭公園は比較的良好に武蔵野の面影を残している。それでも武蔵境と云う名に惹かれて西へと向かう。

 

 


武蔵境の観音院


・ 武蔵境の駅は北口も南口も何の変哲もない駅前風景が広がっていた。わずかに南口は多摩川に向かう西武鉄道の支線があって、そこの駅前広場には芝生を張った広場と、公共の図書館を併設したコミュニティセンターの様なものがあり、都市的なあり方を普段から考えているわたしには感慨深い感じを与えます。
 広場に隣接して、折から春の盛りの古刹があった。



 はなはだ無計画で効率的でないわたしの武蔵野をめぐる散策も終わったと思った頃、思いがけず国際基督教大学の前を通りかかった。
 武蔵野とは関係がないけれども、見事な桜並木なので紹介しておく。
 若き日の独歩が洗礼を受けていたことも、何か武蔵野散策に親和性を与える。
 それから、フランス文学者の森有正が一時、ここで教鞭を振るっていたことも思いだされる。あの丸顔のどんぐり眼のかれがこの長大な並木道を背を丸めて歩いたのだろうか。並木道の長さは途方もないほどで、おりからの桜吹雪の中に並木の果ては潤むように霞んでいる。強い強風に吹き付けられた花びらを頬に受けて、それは痛く感じるほどであった。わたしには桜並木の果て知らぬ長さが、まるでフランスにあって祖国への帰還する道を儚く探し求めた小柄な森の、誠実さの証のようでもあり、気の毒さと頼りなさが入り混じった悲しみの象徴であるかのように思われた。

 森と独歩には共通する自然観があって、自然を自然そのものとしてザッハリッヒに見ようとはしない日本人おありかたを森は自分がフランスに移住した理由の一つに挙げている。彼はそこに日本人の停滞を見る。
 一方、百年も前に独歩は花鳥風月と云う伝統的な日本人の自然観の枠組みを通しては決して得られることのない武蔵野の雑木林の持つ美しさを初めて発見する、明治期の青年の、初々しいともいえる感受性の発露として表現したのである。
 西洋を、何気ない日本の在り方の中に見出し得ないものは、ヨーロッパに行っても決して西洋を発見することはできないのである。

国際基督教大学のさくら並木

 

 




・ 陽は大きく傾く。

 

 

 

 

 

多摩川より武蔵小杉の未来都市群を見る






「日は落ちる。野は風が強く吹く。林は鳴る。武蔵野は暮れむとす」
国木田独歩『武蔵野』(五)より