アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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荷風23歳の作品『夢の女』アリアドネ・アーカイブスより

荷風23歳の作品『夢の女』
2014-05-28 17:55:57
テーマ:文学と思想



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 若き日の永井荷風23歳の作品、『夢の女』。不思議な作品である、不思議であるとともに、若書きなどと云う形容が見当たらない完成度の高さを想うと、こと文才と芸術的感性の問題は年齢とは無関係であることを納得する。世俗のことどもとは無縁のところで羽ばたき芸術性は誰れはばかることなく全面的な開花を見るのである。思えば、この作品が書かれたころと云えば、荷風の伝記に画期を画すアメリカ、フランス遊学時代の一つ手前の時代ではなかったか。『あめりか物語』・『ふらんす物語』等を読むと、荷風が遊学とは言いながら、かなり勤勉に音楽やオペラ、それに社交と社会観察に励んだことはある意味での禅僧の精進にも近い身を削るような努力の跡がうかがわれるが、そうした遊び人荷風の通念的なイメージとは正反対の荷風の中々の勉強家ぶりを評価しても、遊学以前の文学的香気の高さや完成度を想うと、留学的体験が齎したものを云々する評価にすら懐疑的なものを感じてしまう。

 話と云うのは、時代が江戸から明治に移り変わる頃、大身の武家の家族が零落する過程で、やむを得ず男子を得ない一家の長女であるお浪は賤業の世界に身を落とすが、親を信じ孝行、孝養と云う封建的道徳を信ずるがままに、また立ち止まってものを猶予する暇もなく、次から次へと生じてくる難題、問題の数々、一家の貧困と零落を見かねて救わんと身を粉なにして捨て身の生き方の精進した挙句、物質的には豊かになるが心理的には家族の心情がバラバラになると云うお話である。

 このお話を特異のものにしているのは、社会の中である程度の相当の身分と、幸せな幼年時代を経ることなしには「零落」と云う言葉は該当しない、と云う点だろう。だから、如何様にも不運で不幸な女の一生を語ることは可能で、その意味では自然主義の本流の立場からみればどこか中途半端で徹底しないと云う感じもするかもしれないが、最初から荷風の狙いは悲惨な物語を語る事でもなく暗黒面を強調することでもなかったのである。

 ある相当の社会的な地位と幸せな幼年時代を持つ女が零落する意味は、小説の中では経済的に利用してやがて捨てることになる番頭上がりの旦那・小田辺のしつこい要求を逃れるため一時郷里の岡崎に難を逃れる場面に現れている。ここでお浪は初めて何の主体的選択をすることもなく、成行きのままに選んだ花魁や娼婦と云う生き方が、人間としてのどのような犠牲と引き換えに獲得されたものであるかを理解し、もはや元には戻れないと観念するのである。
 彼女は、幸せな大身の武家の娘として過ごした幼年期の遊び場であった寺の境内に、奇妙な偶然から境内に物置同然に建てられているあばら家の一隅に住むことになった家族を見舞う事で、また半月ほども生活するうちに昔の記憶が体感的に戻ってきて、分け隔てなく過ごすそこでの普通の生活が徐々に自らの身に再現することを見るにつけてもそのことを想うのである。

 この小説ではお浪の父母であるふた親もまた実にうまく描き分けられている。
 父親と云うのは零落した士族の典型であり、型通り武家の商法に手を出して致命的な失敗をする。失敗は詐欺まがいのことに関わったとされ、無罪放免されるとは云っても二三日牢獄の中に拘置され厳しい尋問を受けなければならなかったのである。
 荷風は、この父親については正面からは描かず、少ない筆数で遠まわしに、自らの意思を持たない廃人のような存在として曖昧に描いている。描写の間接性と画角の少なさが、最後の場面で一家の喪失したものを嘆く父親の病として、そして気落ちしたまま自死にも似た車に撥ねられるあっけない死の顛末まで、その哀れさと悲傷の極まりとともに主人公に致命的な精神的な痛手を与えることになるのである。

 母親のお慶と云う女性は父親の描き方とは正反対に、お浪の運命が変転し暗転するたびに登場すると云う念の入れ方である。如何にして、長年月にわたる儒教的な倫理観に生きてきたものが、娘を女郎に売ると云う所業を成し得たのであるか。また娘の方も、無体ともいえる親の要求をさしたる思案もなく受け入れて後になって事態の深刻さを反芻すると云うようなことになったのか。
 はじめお浪は一家を救うためにさる大店の旦那に見初められるままに妾暮らしを選んだのであった。その旦那が不幸にも病没すると、生計の道は絶たれ、生まれたお種と云う子供を里子に出してまで遊里の世界に身を投じて孝養の倫理観の世界の中に生きようとする。そこで出会った初老の相場師の囲い者になるのだが、この自らの身体と才能だけを頼りに生きてきたこの男にも、えげつない生き方をしながらも固有な倫理観はあるもので、動物であってすら何時までも親子の恩、親子の縁しなど言いはしないと云うのである。分かり易く言えば、如何なる場合に親は子供を手段として扱うようになるのか、その心理を聞いてみたいものだ、と登場人物に言わせている。
 つまり彼は、手段は問わないにしても、明治期を担っていくことになる独立自尊の資本主義の精神のカリカチュアとも見ることが出来る。その背景には、手段を択ばないマキァベリズムにも自尊の倫理観は最低の条件としてはある、と云う事だろう。

 他方、子供には孝養の倫理を説きながら、一方では親子の情愛を越えて子供を生業の手段として扱う精神とは何だろうか。ここで初めて永井荷風の新しさ、著しい現代性、その精神が光るのである。
 後追いの近代国家・日本資本主義の特徴は、徹底した世俗の論理、則物主義に立脚しながら、他方では旧態依然とした残余の封建的諸価値や倫理観を二面的に利用すると云う抜け目のなさで際立っているのである。お慶は単に昔風の倫理観の薄い女でもなければ、今様の物質主義者なのでもない。昔風の倫理観薄き女であれば前半出てくるお松と云う廓特有の「ご新造さん」と呼ばれる花魁付きの上女中の様な存在に描かれているし、今様の物質主義、今様の成果主義者と云うならば物語の後半に出てくるお兼と云う女中に典型的に描き分けられている。自らが悪の自覚を持たぬまま、封建的的な倫理観を少しも修正することなしに、そっくりそのままに生かされたまま資本主義のシステムに嵌めこまれた性格、人物類型を描き出すことに於いてこそ、いまも古さを感じさせない永井荷風の現代性があったと見るべきだろう。
 永井荷風封建制を嫌悪した、他方で近代主義と現世御利益主義的成金趣味を憎悪した、等分に西欧流の物事の考え方の底にある冷酷さ、冷徹さと云う日本文化とは根本的に質を異にする文化文明にも警戒と配慮の眼を怠らなかった。しかし何よりも彼が嫌悪したのは悪いところどりともいえる近代主義と封建性が癒着、混淆した独自の日本型近代の在り方なのであった。
 若き日の荷風の目論見はお慶と云われる母親の肖像の中に、日本に固有な日本型の近代社会の典型を描くことにあったと云える。

 23歳の永井荷風の倫理観も卓越したものと云わねばならない。
 苦界に身を沈めたお浪は初めて、身を落としてこそ見えてくる人生の詩と真実があると云うのである。これは物語の結論としてあるのではなく、前半で、ふと荷風がポロリと漏らすように書き付けた場面に出てくる。フランス文学の『椿姫』のように身は苦界、俗界にまみれても精神のみは谷間の百合のように純潔さを保つと云う伝説は確かに西洋的恋愛観の伝統として美しい。しかし若き日の荷風が描こうとしているのは、これとは逆のこと、苦界の中でしか見えてこないものがある、身を汚してこそ見えて来るものがあると云っているのである。精神と肉体を分離しては見えてこないものがある、つまり西洋的二元論では見えてこないもの、優れて現代的な視角であると云える。聖母伝説に対してマグダラのマリアの伝説を語っていると考えていいのである。
永井荷風の西欧体験は既に始まっていた。西洋と云う本場に行かなければ万事は始まらないように言う人もいるが、固有の理解の仕方であれ偏った理解の仕方であれ、国内に於いて固有の受容の仕方がなされていないならば何処に行っても所詮は日本社会の自画像を見出すだけに終わるのではないのか。

 隅田川の蕭条とした堤をお浪を乗せた人力車が走る影絵のような場面も、折からの十三夜の月が煌々と水面を照らす場面は夢のように美しい。この美しさは死者の眼を通して描かれた自然の風景であるゆえに美しいのだが、この場面がそのまま父親の死の場面へとつながっていく、父親の死と世相に向けられた慙愧の念と、呪詛、無言の抗議は、このような時代を造るために果たしてわたしたちは生きてきたのかと云う嘆きでもあったはずである。その嘆きを共有したときお浪にはいままで生きてきた意欲も張りも全てが失せていた。
 暗澹とした絶望と失意の中で、父親を葬る墓穴の中にも降り始めた雪はやがて見る見るうちに嵩を積み始める。墓地が、廓が、そして隅田川が、東京の全市の全てが今は深々とした雪に覆われて一面の白い喪の風景に変じたところで若き日の永井荷風は筆を置いている。
 最後に想像を書いておく、――永井荷風の念頭にあったのは樋口一葉のことではなかったか。実際の経験ではなく、文学的経験であったと思うのである。