アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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聖心女学院と追憶の須賀敦子 アリアドネ・アーカイブスより

聖心女学院と追憶の須賀敦子
2014-06-02 10:05:32
テーマ:文学と思想



 文学等を読む場合はテクストに書かれたこと以上でも以下でもないというのが基本的な考えになっていると思うが、他方では凡そ入手できる限りでの情報は収集し渉猟すべきだし、実証主義の難点などと難しく考えなくても、異なった観点を利用するのは文学研究の権利であるし、その権利を放棄するなどと云う論理は何処からも出てこないと思う。それで基本的には文学作品に当たる場合は、なるべく潜在意識を植え付けることの無いように予備知識は持たないことにし、テクストを読みこむうえでどうしても解けない疑問、あるいは偶然に目にした他文献が思いがけない方向から照明を投げかけるようなことがあるので、もっぱらそのような理解の仕方をしている。それでいささかも自分自身の読み方をテキスト至上主義とは思っていないし、自分ではその反対側に属すると思っている。
 それは自意識にとっての外部性の問題である。狭く限定して解釈すればカントが物自体と云うものを考えた場合以降の、近代主義の限界に関わる問題でもある。

 文学作品を読む場合はもうひとつ大事にしていることがあって、それは20世紀がフロイドの世紀であると云われたような意味での無意識の問題である。潜在意識の領域の問題である。
 潜在意識には二通りあって、一つは個人的無意識の問題、――無意識、自我、超自我と云われる人間的意識の三層構造の問題がある。この場合超自我をも無意識と考えるかどうかで――、
 無意識とは、個人的意識を超えたユング集合的無意識の問題としても提起できる。しかしユングとフロイドの対立はフロイドの超自我集合的無意識の一種とも考えられるので、そう考えれば従来言われているような異質で根本的な対立と云うのはないのかもしれない。
 集合的無意識には、マルクスの上部構造論も含まれそうだし、マックス・ウェーバーの歴史的凡例なり類型と機能的行動様式論もまた有意な事例であると考えている。

 さて長々と衒学的なことを書いてしまったが、最近、女性の書いた文学・文献を読むことが多いので、彼女たちが書いた文献を読む場合は、女性は男性に比して無意識の占める領域が多く、しかもそれらが彼女たちの書く文章、文体の魅力にもなっているので、書かれた文章を作者が書いたとおりに読んだ場合と、言説がどのような無意識の上に構築されたものであるかを考えながら読む場合は、どのように読み方が変化するのかと云うことを最近は考えている。

 先日、あるいは数年前から東京をあてもなく徒歩で散策した折に、以前から気になっていた須賀敦子が学んだ聖心女学院高等部の校門の前を通りかかったことがあった。わざわざ行ったのではなく偶然に通りかかったのだが、校門の前まで行って足がすくんでしまった。それは女子高なので心理的抵抗があると云うのは当然なのであるが、それとはまるで違う、社会的階級制からくる拒まれてある、と云う感じである。もちろん美智子妃をはじめとする高貴な方々を輩出した学校であることは予備知識として知っていたが、今更ながらに地方のミッションスクールの風景を安易に想定して本を読んでいた自分の迂闊さ、無知さ加減について指摘された感じがして溜息をついたものである。

 須賀敦子の文学の、物事を公平に見る透明さ、人と付き合う場合の気さくさなどの魅力を長い間わたしは彼女の個人的な個性や人柄に属することのように読んできたのだが、彼女のどこに行ってもものおじしない態度は、この環境の特別さにもあった。彼女が特異だったのではなく、彼女の教養や見識を育みその基礎となったものがやはり特異なものがあったのだ。
 わたしはもう一度この環境に置いて彼女の少女時代を読み直さなければなるまいと思った。そうして初めて遠く祖国を離れて来日したうら若きシスターたちの僧衣の裾の翻り方や、黒く磨き立てられたヒールのコツコツと廊下を刻む音がどんなふうに当時の生徒達の耳にに響いたかも、再度、想像してみる価値があるように思えた。
 磨き立ての黒塗りのヒールがどのように聖心の長い廊下に響いたのか、静寂を知らしめるように廊下の板目を刻んだのかが分からなければ、晩年の「アルザスの曲がりくねった道」の謎も、アルザスロレーヌと云う地方やフランドルと呼ばれた地方に対する『ユルスナールの靴』にある謎のような記述、そして死ぬ間際に現れるゴシック的なものの幻想について意味も意義も分からないのかもしれない、そう思った。

 処女作『ミラノ 霧の風景』は不思議な本である。この本の魅力は須賀文学の発見者鈴木敏恵さんが書いているように、本当の意味での階級的貴族性と云うものを知らない日本の読書界に、イタリア貴族と云うものが何であるのか、その白亜紀の恐竜のような時代遅れだが悠々と迫らぬ態度について、まるで勝手口からでも見るように裏口から紹介したことによる。ある種の見聞録としてイタリア貴族について紹介したものは過去あったと思うけれどもーー例えば映画『山猫』、それを内部から紹介したと云うところにこの本の新鮮さの秘密があったのだと思う。
 ところでこの本の魅力の不思議さなのであるが、わたしは須賀さんが素直に小柄で目立たない東洋人であったからと書いているのでそのまま信用していたのだが、それはなるほどその通りであるにしても『コルシア書店の仲間たち』なども含めて考えるようになると、それだけだったとはいいがたくなる。特にそれを感じるのは、彼女の交際範囲が広がってイタリアブルジョワジーや知的なイタリアインテリたちと公平に付き合うようになってからである。わたしたちは功成り名を遂げてからの彼女のややでっぷりとした写真しか知らないので若いころの彼女がどのように魅力的だったかについても無知なのである。
 須賀敦子の文書の魅力は、やはり、このイタリアのインテリたちとの交流を描いた場面に著しい。不思議なのは、貴族も含めて何故彼らが自らの心の内を、内面を赤裸々に彼女に垣間見せたか、と云う点だろう。もちろん、彼女が書いているように小柄で地味な東洋人、と云う条件は無視できないけれども。それにしてもやはり根底にあるのは、彼女の育ちの良さであったと思う。ここに云う育ちの良さとは裕福な家庭に生まれたと云う意味だけではなくて、そこで培われた教養、素養、見識の全てを言うのである。そうした謎のようなことどもが、あの聖心の校門の前に立って、阻まれてあると云う感じとともにわたしが受け取った不思議な感情であった。このときはじめて都会と云うものの凄さを知ったし、敵わないと思った。

 もう一つ――、

 同じ『ミラノ 霧の風景』の中で夫になるペッピーノと知り合い、貧しい鉄道員社宅での生活を描いた、この書の白眉ともいえる印象的な記述があるが、これも単に夫婦愛や家族愛などの一般論や日本人妻の見聞録ではなくて、貧しいイタリアの下層階級と大学院を卒業した裕福な家の娘との対比と云う観点で読むことも必要である。
 この場面を描いた彼女の驚くべき筆勢は、まるでレントゲンの光線のように、鉄道員の社宅に淀んだ、長い時間の間に蓄積された時間性の灰汁のようなものを抽出してはばからない。この場面に言及する彼女の文体の冷静さ、冷徹さは当然家族の一員としての眼差しとは違うものである。彼女は後年、自分の眼差しに潜む残酷さゆえに、二度と映画『鉄道員』についてはよう書き得ないと告白するのである。それはイタリアの鉄道員が貧しさを甘受して悲惨な生活を送っていたからではなく、その秘密を暴き出す彼女の文章が持つ透明さ、透明さが持つ人工的無機性、レントゲンのような偽りのないあからさまにおいて照らしだす残酷さに堪えられない、と書いているのである。

 こううして全体を、無意識を、須賀敦子を囲んであった環境の中に再度置き直してみることで、同じ出来事が違った意味で、――と云うのも、潜在的初見を否定すると云う意味ではなくて、それらに重なって重合するような意味で体験されてくる、そううした複層的な読み方が、特に女性の場合、その女性が潜在的な意識の領域が多ければ多いほど、またその女性が潜在的な領域や環境に無関心であればあるだけ、落差の大きさと云うか、読むことの楽しみの謎は深まっていく、そんな感じがするのである。
 女性の書いたものを楽しむことの意味は、実に潜在的なものを掘り出す発掘作業、先歴史的、考古学的な楽しみでもある。