アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『苦海浄土』を読む アリアドネ・アーカイブスより

苦海浄土』を読む
2014-09-16 11:41:39
テーマ:文学と思想

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 トーマス・マンの『魔の山』の思い出の時代を生きていたころ、郷里では石牟礼道子の同書が鋭意書き継がれつつあった。至近距離に生きていたのになぜ当時読まなかったか、読んでも難しかっただろうと思う。水俣病の記憶については不思議に、当時に於いてすら、何か足尾銅山の事件めいた、歴史性や伝説めいたイメージが被っていて、当時現在進行形の出来事でありながら何か昔めいた出来事でもあったかのように記憶されているのである。一つには水俣病が、前近代史の事件めいたおどろおどろしさと古めかしさの与える印象がそうさせていたのかもしれない。しかし人が人間以下の状態に置かれて呻吟し苦しみつつあるとき、昔めいたなどと云ういい方は本当はひどく不遜な言い方ではないだろうか。のちのち、わたしも少しは経験を積むようになって思ったものである。わたしたちの市民生活とは目に見えないヒエラルキーと云う名の網の目に覆われている。普段はその網の目に気づかないのだが、ふとしたことで「市民性」の境界域に追いやられたとき、あるいは境界域に押し出されたとき、とても奇妙な現象が起きるのではないだろうか。つまりわたしたちは普段は慣習や習慣と云う環境的世界に生きていてそのことを意識しないで過ごしている。しかしある日を境に、ふとした偶然からその目に見えない境界域を踏み越えてしまうことがある、あるいは外部的の理由で押し出された自分に直面すると云う奇妙なことを経験する。証言によれば、おかしなことが当然視される世界、そのような世界にある日目が覚めたら生きていたと云うのである。

 今日だから言えることであるが一連の水俣の事件とその訴訟過程を通覧すると大変に奇妙に感じることは、海底にヘドロが数メーターも蓄積し、村の猫と云う猫が逆立ちして踊ると云う奇妙な所作の果てに海に飛び込み、猫と云う猫が街角から姿を隠し、他所から補充した猫もまた育たない、海に行けば腹を出した魚が大量に浮かび、波打ち際の岩礁には干物のようになった鳥たちの死骸が岩にこびりついている。それでも誰も不思議に思わない。被害がようやく人間に及んで村や町の区ごとに患者が数人から十数人出るに及んでようやく「今までに経験したことのない」事態に思い当たる。それでも現地の医師や熊大の医学部の熱意にもかかわらず検証の歩みはのろく、患者やの数が数十人に及んでも、つまり統計学的な有意判定のレベルを大きく上回る事態が生じても、それでは工場の廃液と水俣病の関係があると云うのであれば、なぜ魚や井戸水の採取を通して罹病した家族に水俣病でないものがいるのか、つまり科学的な因果関係が明らかであるなら何故家族全員が水俣廟にかからなかったのか、と反論する始末である。まるで水俣の全員が水俣病でない限り、明確な汚染源と水俣病の関係は言えないという理屈である。こうした屁理屈と云うか反論が政府の見解が出された以降も正々堂々と主張される企業の論理と云うか地域社会の論理にまずわたしたちは驚くのである。驚くと云うよりも、企業の非人間的な体質や倫理観に憤る前にわたしたちはより冷静になって、民主主義の世の中にあって、大変におかしな出来事が明るい日のに中に堂々と通用していると云う事態に驚かなければならないのである。企業や社会の不合理を批判したり憤りを感じたりすることと、わたしたちの感性のレベルを問うこととは違う。石牟礼の『苦海浄土』が突きつけている問題の難しさはその両面を問うていることにある。

 この書を通読して石牟礼の並々ならぬ文学的感性や、民俗学的な古層に属する巫女的な特性を過剰に賞賛することは相応しくないであろう。この書は、ないよりもまず、現代の批判の書なのである。わが国に於いては優れた文学的な感性は有用な社会的批判に結実することが少ないが、そのことも本書が問うている問題のひとつなのである。
 例えば、等しく言語の問題を問いながら当時隆盛を極めつつあった全国の60年安保の潮流とは結びつかなかったようである。同様に十年後の学園紛争も基地問題には関心を示したが水俣の問題には結び付かなかったようである。同様に、同じ時代に文学の世界に手探りで近づきつつあった思春期の多感なわたしの経験にしても、水俣の問題は至近距離を生きていたのに関心の視野に入ってこなかった。なぜ文学を問うことは、かえってある種の問題に関しては盲目になるのか、そのことを問うても良かったはずである。
 
 この問題はいまでも未解決のまま課題として残っている。
 『苦海浄土』の文体には特異なものがある。聴き語りや内的独白のような形式を取りながら、その間に、学術的な医学的所見や声明文、時事報告的なレポートと云った無機的な文章が差し挟まれる。つまり統一的な作家と云う「人格」が淀みなく語ると云うよりも、カタログ集じみているのである。――こう云ういい方は好まないのだが、文学的な成功はやはり内的独白の部分にあって、そこでは言葉が詩へと昇華されている場面も存在する。しかしそこに過剰に反応するのは間違いで、人間の人格や人権が侵されたときに発する怒りが、近代的な散文で前提されている文体とか人格とか云うものではなくて、それ以前の臨床的な内的独白や言語以前の所作と云った、非文体的なものである、と云うことだろう。つまり文体や文学の破壊を通じて描き出された残余、と云うことになる。残余こそ人間の怒りの本質が詰まっているのである
 水俣で起きたことは、例えばわがくにの文学者たちがありがたがっているような小林秀雄風の文体では描き切れない、あるいは見えてこない、と云うことである。

 わたしは石牟礼の本を読みながら反ってフランツ・カフカの一連の作品を思った。ある日を境に水俣の患者は「虫」に変身させられたのである。被害者であるのに人間としてのプライベートな配慮を払われることもなく、学術的調査としてジャーナリズムに晒され「見世物」とされる。水俣の発展、いな現状を維持させるためには新日本窒素をつぶしてはならないし、過剰な反応や批判は水俣市民の最大多数の幸福を侵害する元凶のようにみなされる、ちょうど福島県と東電の関係のように。患者たちもまた石牟礼の願いに反して強固な結束を築いたとはいいがたく、幸せな家庭生活が破壊されていく。社会的疎外と貧困の中で言いにくいことも言わねばならず、感情な吐露は親しき者への八つ当たりじみた自虐、加虐的な行為へと変化する。麗しき夫婦愛が非人情の物語や伝聞へと変質し伝えられていく。こうして患者は自らを罪あるもののように感じる段階に追い込まれてしまう。つまりいつの世も変わらない「原罪」意識の完成形を水俣に於いても見出すのである。
 こうして共同的なものの根幹が揺らぎ、外部的にも内面的にも分裂と猜疑に囚われかねない世界にひとり生きるとき、果たして近代文学に云う自意識の文体と云うものが何ほど役に立つと云うのであろうか。水俣の民が声なき声を挙げえなかったとき、言語は不在であり神もまた不在であった。神もまた神々もまた「前例のない事態」に困惑の表情を浮かべ、自らの非力をともに寄りかかって、民とともに嘆くほかはなかったのである。


 水俣とは何か。熊本と鹿児島と云う極端に性格の違った超保守の王国に挟まれた水俣徳富蘇峰徳富蘆花を生んだ風土でもあると云う。有名な『灰塵』は青年の一途さが内部と外部の圧力によって窒息されていく物語である。
 水俣はまた東シナ海を通じて天草や島原へと繋がる、海洋への道でもある。海の底には地上と同じような四季があり、大洋に船を浮かべるとき何ものにも煩わされることのない自由を感じると云う。この感覚は、あるいは自由に東シナ海の島々や沿岸を自由に往復した海洋民族の確かな記憶の名残であるのかもしれない。
 石牟礼道子の不屈さには個人の意思を超えたものがあるが、それが類例のない聴き語りとして、反権力の書として『苦海浄土』は結実するのである。
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