アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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おなかいっぱい食べたい~子供の貧困~ アリアドネ・アーカイブスより

おなかいっぱい食べたい~子供の貧困~
2014-09-25 23:34:58
テーマ:社会と地域



 数年前、給食費を払わない親たちの問題を取り上げたマスメディアがあった。給食費の支払いを平然と踏み倒す親たちの存在に、一億総中流と呼ばれた時代とは隔世の感があると感じたものだ。生活保護費不正受給の問題と重ねて報道される時代だったので、わたしたちもそのような方向で理解した。そのとき、わたしたちのそうした感じ方に何かおかしいものがあるとは、当時感じなかったものである。つくづくわたしたちの想像力には限界があるものだなと感じた。


 実際に、自給700円で働いてみると解るのだが、一か月働いてみて収入がどの程度になるか計算してみて驚くことがある。つまり時給幾らの生活と普通のサラリーマンの世界は、国連環境下の自国と外国ほどにも違うのである。
 むかしは、と云うか、わたしたちの世代ではエンゲル係数と云う懐かしい社会概念があった。これは周知のように食費が全会計に占める割合の高低を言う。つまり食費が占めるパーセンテージが高ければ貧困度の高い家庭であるとみなされる、と云うわけである。しかし昨今の社会では、人口が都市に集中した結果賃貸に住むと云う人口が半端なものではなく、また社会のインフラ設備の充実とIT社会の到来は、ガス電気給排水費に加えて携帯電話やインターネット料金など、食費以前の「市民の基本料」が金額的に競り勝っているために、全体の支出の中で食費が調整項目として利用される、その結果、超貧困家庭ではエンゲル係数が逆に低くなると云う現象が生じることになる。
 今日の報道では、一日一人当たりの食費が三百数十円。三度の食事を一回だけで済ますことになると云う。今日の報道番組では、そうした「お腹いっぱい食べられない子供」の数が16%強、六人に一人になったと云う。
 食事が満足にできない子供たちの現状は、食べ盛りの子供たちの成長に影響を及ぼすだけでなく、社会的な差別の対象にもなりやすいと云う。結果として不登校やいじめの対象になりやすいと云う。
 番組では、これに対する対策を三つ紹介していた。
 一つは北関東地方のあるNPO法人の活動。不要になった食品――期限切れ間近のものなど――を寄付していただいて、それぞれの家庭に宅配すると云うもの。離婚を経験して三人の子供を育てる若いお母さんの事例が紹介されていた。このお母さんの場合は、職場の関係で車が必要なので、生活保護を受けられないのであると云う。必要経費を抜いた生活費は生活保護を下回るのだが頑張りたいと云う。行政が出来ることは、こうした多くの子供の育児を抱えている親には手厚い子供手当で対応するフランス方式も一助だろう。
 二番目には、行政が出来ることとして、長野県下に学校給食の無料化を市議会で選択した地域を紹介していた。立派な議員さんもいるものだなと感じた。学校給食制度は日本独自のものだそうで、改めてその潜在能力の高さに注目した。わたしの付近には教師もいるので、給食費が未納である場合の催促は、通常、担任の教師が、子供を通じて親にお手紙を書く、と云う形式にならざるを得ないようである。なぜ担任なのだろうか、なぜ子供を通じて、なのだろうか、とは言われてみれば誰しも思うことである。不思議なことが意外と普通のことのように行われていることがこの国にはありますね!
 三番目は、地域の住民の試みとして、公民館などを利用して地域のお母さん方が、料理を手伝ってくれれば無償で食事が出来る日を造ると云う試みである。食べるだけでなく、食事を造ると云う作業を通じて地域の住民との交流が深まり貧困家庭の子供たちが孤立化するのを防ぐことが出来る。食べるだけでなく後片付けと食後の語らいを通じて子供たちの年齢的な序列関係が生まれていく、そうして失われつつある人間の自然性が少しずつ修復されていく、素晴らしい試みである。
 この番組とは別の番組で、わたしの住む福岡で校区内里親制度と云うものが紹介されていた、日本で最初の試みであるらしい。校区内で何らかの理由で家庭が崩壊を経験すると、押出された子供たちは親戚か施設を頼らなければならない。年少の場合は地域や校区の人間関係から切断されると云うリスクを追う形になる。それで有期で、期限を限って地域内の余裕のある家庭が名乗り上げて一時的に里親になる制度である。考えただけで困難さが目に見えるような気がするが、いきなり施設に行くよりは良いだろうと云うことはわかる。
 またわたしの住んでいる地域より少し西の方に、何らかの理由で家庭に居れなくなった子供たちを集めて、家族四五人を単位として、職員の大人が里親のような役割をして衣食住一体で暮らす村があると云う。
 何れの話にしても胸が詰まるような事例であるが、全国さがしても数は少ないと云うことだろう、例外中の例外、多くの子供たちは過酷な環境に今日も晒されている、と云うことだろう、現実は。
 最後に、以前紹介した大阪の山本牧師の取組を紹介しておく。山本さんの素晴らしさは、その瞬発力にあります。


http://blogs.yahoo.co.jp/takata_hiroshi_320/25930649.html