アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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到来する言語、あるいは言語の到来性について――素晴らしい言語の冒険旅行―― アリアドネ・アーカイブスより

到来する言語、あるいは言語の到来性について――素晴らしい言語の冒険旅行――
2014-10-02 15:21:10
テーマ:宗教と哲学

―― 凡そ表現しうるところのものは十全に表現しうる、語り得ぬものについては沈黙しなければならない。――
ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考



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 幾つかのことを、言語について考えておくこと

1、直接経験について考えておくこと
 「直接経験」とは、「直接の経験」と云うこととは少し違う。
 後者の直接の経験とは、主観と客観、既に見る者と見られるものの存在を日常的に前提したうえで、直接的な経験もあれば間接的な経験もあり、その他の経験もある、と云う一般的な語用法、使い方から導かれる経験的世界のあり方との関係である。
 いっぽう、わたしたちのものの観方や経験、体験とかは、それが自らの主体性に於いて鋭意自覚的に選択しえた行為であろうとも、主観がその時々に置かれた地域や社会、歴史的な相対性であるとか時代の価値観、伝統や慣習、習慣などによって規定されている。もしそれらの間接的な規定要素を排除して、より純粋なものを志向しうると考えるとすれば、従来より純粋数学なり幾何学が規範として例証されてきたような世界、つまり学的世界と呼ばれてきたものが開けてくる。近代以前の世界観に於いては、個人の感覚や実感は過つものであり、真理の客観性とは個人の恣意的な判断とは離れたものであると云う含意があった。学問とかアカデミズムはかかる原則に則っている。
わたしたちは直接経験の説明に入る前に、個人の恣意性や独断に頼らないと云う意味での学的経験、いわゆる語り継がれてきた普遍的経験の類型について語らなければならない。

 普遍的経験とは、第一に、上記のような理由により、主として自然科学的な価値観に範をとってそれ自体の純粋化と抽象化の原理の極限化における、領域的自立化として定義できる。普遍的経験とはここでは先験的な規定となる。自然科学的な世界観とは、極言すれば物理学的な言語で語ることと同義と見做された時代を経て次の世代に席を譲る。何といってもこの時代を象徴する出来事はニュートンの力学とカントの批判哲学であると云われてきた。
 他方、上記のものの考え方に対立するものの考え方としては、まさに数学的思考の純粋化や科学主義的な発想が持つ構図もまた、科学の時代に相応しい、制約を受けたものであると考える現象学派などの考え方もある。

 この考え方の背景にあるのは、輝かしき普遍理性の王冠とも思えた自然科学と工業化社会の進展、産業革命以降の歴史経験が必ずしも人類にとってバラ色ではないと云う漠然とした予感の前に立たされた世紀末の経験があった。それゆえカント以降の哲学は、一部の非合理主義や厭世主義を除けば、科学的価値観とは異なった文化的価値観の独自性を強調することを通して、なんとか自然科学的な真理と精神的な価値観を共存しようとしたのであるが、20世紀以降の歴史的経験はかかる文化人の楽天主義をあざ笑うかのごとく過激に進行した。ヴァイマール期の統制経済軍国主義スターリン期における共産党独裁が何をもたらしたかは長い時差を経て人類が学ばされることになる。
 他方わが国に於いてはかかる20世紀の経験と呼ばれるものが国民的な経験となるのは高度成長の端緒期にまで待たなければならない。ヒトラー全体主義とわが国の天皇親政的軍国主義を同日に論ずる観点があるけれども、わが国が国民経験としてはかかる世界史的な歴史的経験に追いつくのは戦後20年以降の起きた出来事と考えてよい。余談ではあるが、かかる歴史観の混同が一方で従軍慰安婦問題などの感傷的な理解を生み、他方では60年代の学園反乱の歴史的な意義を単なる学園紛争や全学連の運動史として貶めてきた感がある。
 60年代後半のわが国の大学に吹き荒れた学園紛争なり全共闘運動が継承したのはかかる言説――つまり世界史的な世界体験に起因する世界史的同時性に貫かれた言説であり、内的ならびに外的な学問と企業とのあり方、その結びつきに対する問題提起は、いはゆる産学共同のあり方などと反戦運動の結びつく可能性を極限まで追求した代表的事例であり、象徴的歴史経験として含意される。つまりわが国はかかる事例なり社会的かる歴史的病歴をとおして初めて世界史の先端的な水準に木尾の時期から参画していくのである。
 奇妙なことと云うべきか、わが国の国民的歴史が国民的な経験として、つまり一国主義的な世界史のローカル史としての地位を脱却し「世界史」に参入するのは、明治維新以降の国家百年の経験のみではなく、太平洋戦争を経てわが国が世界経済の中にしっかりと組み入れられていく戦後20年目、つまり60年代以降の経験と言ってよいのである。敗戦時、これを終戦と呼び換えて戦争責任は曖昧化され続けてきたと云われているが、実は世界経験としては、ドイツがニュルンベルグにおいて裁かれたような意味での戦争責任のレベルには達していなかった。80年代以降、中韓で、あるいは国際的なレベルで戦時下の日本人の在り様や行動が問われるようになるのは、まさに時代の変遷を語る象徴的な表れと云ってよい。

それはさておき、一般的な慣性的知見に於いては感情とは誤りやすいものであり、個人的な判断の恣意性を去って、純客観的に物事を思惟しうると云う人間の普遍理性への努力が評価される世界である。普通に学者やアカデミズムが無反省に考えている学問とはかかる範疇の経験を想定している。さらに学者の個人的な学的態度や問題意識を超えて、それが結果として現代社会の中でどのような役割を果たすのか、つまり科学は単なる自然科学の方法であることを超えてイデオロギーとしても働きうると云う科学者論として考えた場合は、人間の理法を実現した現代の新たな神学、資本主義擁護の方法論序説となる。これが第二の理由、普遍的経験の超越論的な規定とも言えるものである。
 第三に云う普遍的経験とは、目的と手段の志向的関係でもなく、原因ー結果系の論理的関係をもちこむことなく、行為の自体性において開けてくる、常識的、世俗的領域とは異なった分野を意味することがある。一般的に直接経験と云われる場合はかかる立場を指す。既にお分かりのように、この考え方は、主として芸術的経験に範をとっていて、芸術の論理と自然科学の論理がどのように違うのか、と云う説明の仕方をすることが多い。ヴァレリーベルグソンなどに、このような考え方が顕著であるような記述や説明の仕方がしばしばみられると云う。わが国の批評界の雄たる小林秀雄の自意識の論理なども一例である、と考える。


2、言語の到来性と云う言説で何を主張したいかについて考えておくこと
 言語の後発性と言語の到来性は微妙だが、少し違う。
 言語の後発性とは、当たりまえだが、「もの」的世界がまづあって言語が名辞として後付けされると云う、しごく常識的な考え方に基づいている。言語は単なる名前であり、せいぜい意味を伝えるための名札、言語とは何かと云う定義に於いて、コミュニケーションの手段である等の理由で容易に納得される世界である。

 言語の到来性と云う場合は、二つの局面に於いて考えることが必要である。
第一番目は、・・・言語が到来するものであるならば、それを待ち構える者は誰か?と云う問いである。言語以前に存在者がいると云う発想である。待ち構える者とは何らかの主体であって、ものに名辞が名付けられるものと云う意味での、「もの」や対象性ではない。 
第二番目は、到来する言語と云う場合に、どこから?と云う設問の仕方で生じてくる困難さである。言語は何処からも到来するものではなく、原初的な「いま」「この時」の「この場所」で誕生する、と考えられるからである。原初的な場所を仮に世界であると定義してみるならば、世界の中で誕生するとも言えるし、言語の定義以前には世界は存在しないと考えるとするならば、言語と世界の発生と起源は同一である、とも考えることが出来る。ヨハネによる福音書にある、はじめに言葉ありき!と云うマニフェストは、このような言語観の表明であったかと、わたしなどは理解している。



3、言語と世界に先立つ「かおなし君」とはだれか?
 言語と世界の時間的先後関係でもなく、論理的な先後関係でもない、先験的な同時性の中にはある種の歪が、つまり言語と世界は発生的には同時であっても、先験的な微小な差異があったのではないか、と空想している。つまり無的世界に生じた単一性の原理の中から微小な差異を亀裂の起点としつつ、やがてビッグバンのような世界発生の現場に立ち会うことになるのだが、確かにヨハネ福音書の作者が言うように全てが言語の誕生の中で言葉を揺籃として世界が生じるとしても、微妙な差異において、僅かばかり言語に先立つ存在者がいる、その存在者については誰か?と問うことについては、ヨハネ福音書ですら沈黙を保っている、かのようである。なぜなら、ヨハネ福音書の立場に於いてすら、言葉は神であり、神は言葉であると云う同義反復で満足してよいのであるし、かかるトートロジーが崩れ去るときカトリックの巨大な体系も崩壊すると考えられるからである。
 言語と神が同義反復的に相互定義する世界の静止点に於いては、ロゴス中心主義――教義のスコラ化の誘惑を断ち切れないであろう。

4、言葉の物象化と云うことで整理しておくべきこと
 言語の誕生は、確かにユダヤ教が主張するように言語の物象化、物神崇拝と闘う教義問答の歴史だったと云えるだろう。そうでなければシナイ半島を彷徨う長年月に渡るモーゼの苦悶も苦闘も理解できないだろう。ユダヤ教はイコンや画像だけに物神崇拝化の危険が潜んでいると警戒しただけでなく、言葉、教義や言説、さらには行為に対してもキリスト教のように楽観的ではありえなかった。言葉に灯が燈るとキリスト教が誌的に表現するとき、言葉の物象化への懐疑は決定的であった。言葉が詩であり、詩が言葉になる美しき御言葉の言説、言葉によって目に見える、可視化された十字架上の言葉と行為こそ、ユダヤの民が袂を分かたねばならないと考えた最大の理由であった。
 ユダヤ教にとって、言葉は言説として独立したものと映じてはならず、律法と云う形で日常的な行為の背後にこそ身を潜め慣習と習慣と云う伝統的なあり方の中に埋没し習合し身を隠さなければならなかったものであった、言葉は明示化され顕在化された言説として示されてはならないのである。しかしイエスの目にはそれこそが偽善の極みとして、偽善者たるパリサイ人よ!と、告発されなければならなかったのである。――聴け!イスラエル人よ、ソロモンの栄華も野に咲く一輪の百合ほどにも美しくはなく、空を飛ぶ鳥ほどにも自由ではなかった、と。
 言葉がそれ自体に於いて自立した言説でありうること、――かかるロゴス中心主義の端緒とも云える言葉への信仰を通してこそ、キリスト教は現実を否定し、乗り越えることが出来る人類の画期として、刻印することができたのである。言葉とはキリスト教にとって根源的な揺籃であり、住いであった。20世紀になってハイデガーが同様なことを、――言葉は人間の住居であると力説する言説はかかる教義を踏まえている。ハイデガーの思想こそ、化けの皮を剥がれるべき偽りの、偽装された現代風のカソリックの神学であった。話を敷衍すれば、なにゆえカソリックはナチズムとヒトラーに対して親和的でもあり従順でもあり得たのか、親和性は戦後も法王庁を抜け道としてナチのゴロツキどもに利用されたのか、そして何故憎しみがユダヤの民とアブラハムとモーゼの思想に対して向けられなければならなかったのか、それは奇妙にも交錯した、彼らの言語観、――つまりロゴス中心主義にあった。ホロコーストと云う恐ろしき言葉がキリスト教聖典の中からとられた大いなる皮肉であったことをご存じだろうか?


 わたしたちは世界遺産として、ヨハネ福音書などのロゴス中心主義とも形容される西洋の偉大な言語遺産を承認するのであるが、言語や神や世界に先立つものについて言及することも、単に思惟的、空想的には可能なのである。日本語には言語以前のものについても思惟しうると云う特性が備わっているからである。もし、今後、世界史の過程に於いて日本語が何らかの人類史的な寄与を成し得ると仮定することが出来るならば、その時こそ日本語が偉大な世界遺産であったことを、後世、世界没落を免れた人類は理解するようになるだろう。
 その名前を持たないもの、名付けえないもの、それは仮に、言語と世界の到来を待つもの、と云うことにしておく、――危うき二等国の覚束なき日本語と云う名の言語の素晴らしき冒険の旅、一転して長き長征の愚鈍にして蛇行する己の実存の鈍き歩行の、いち旅程の過程としてあるにしても・・・。