アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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田中優子の『江戸の想像力』――にほんおのこの理想 アリアドネ・アーカイブスより

田中優子の『江戸の想像力』――にほんおのこの理想
2014-10-20 21:29:56
テーマ:歴史と文学



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松岡正剛言うところの”着物召します教授”殿の、田中優子の『江戸の想像力』と云う本を初めて読んだ。メディアに露出するイメージからからは逸脱する、硬派の作品であることをしかと受け止めた、と云うのが第一印象である。
 作品を大雑把に言えば、江戸天明期の平賀源内と上田秋成を両極とした、江戸文化の特質だと云えば良いだろう。加えて、江戸文化を東アジアの文化圏の中に位置づけようと云う試みでもある。昨今、中日の関係が冷却化の過程をたどりつつある現状を考えるときに、田中氏の公平な見方は貴重であるといってよい。
 この書は、広く問えば、文化史なり比較文化論、あるいは文学論のジャンルに属すると思われるが、欧米の文化に対する日本文化の固有性と云う視点に限っては、一方では欧米の遠近法的な中央焦点型、あるいは体系化と云う構造に対して、分散・並列型の構造を対置しながら、それをあくまで日本固有の構造とはせずに、広く中国を中心とした東アジアに固有な文化圏の特徴として論じている。
 わたしは、田中氏の論旨の進め方を読みながら、ルネサンスの王道的な美学に対して北方ルネサンスの意義を論じたヨハン・ホイジンガの『中世の秋』の論旨の進め方を思い出したが、辛口の評点を付ければ、田中氏の論じた範囲での項目だけでは、西洋文化論、ひいては江戸に固有の想像力を論じきれたとは言えないであろう、むろん、気さくで謙虚な学究の田中氏にしてみれば、あら、最初からそんな大それたことは目指してないわ、と云われそうな気がするが。

 わたしには、比較文化論としてよりも、固有な上田秋成論としての方が啓発的であった。とりわけこの書物が卓越しているのはやはり秋成の高名な『雨月物語』と評価淡き『春雨物語』を論じている部分であり、物語り世界の神話的重層性、意味収斂への嫌悪と解体、そして語り物的世界空間の固有さについて触れた次の部分である。

「浮世草紙がこの世に生きる人間たちの物語であったとすれば、読み本はこの世に生きられない人間たちの物語を編み出した」(p155)


 上田秋成の文学の中にある無用性、そして、江戸後期以降顕著になる江戸文化の表層をうち破る古代的などろどろとした異質的な空間への回帰志向が秋成の文学の中に同時的に複眼的に表現されていること、この書の魅力はこの点にあると云ってよい。江戸の想像力とは秋成の想像力と同義であるかのようにわたしには読めたのであった。

 わたしは江戸前田中優子氏の理想の人間群像を見る思いがした。風のように生きた年齢不詳の永遠の青年、平賀源内。岩間の蟹のようにおのれの内面になおも沈潜しながら古代と現代を通底するぎやまんおような幻想を紡いだ、江戸の「アリアドネの糸」の繰り手である上田秋成、彼描くところの「蛇性の淫」の豊雄と”春雨”に描かれた平城天皇のなす術を知らない鷹揚さと没落への意志、彼らの遥か彼方にはもちろん、日本おのこの懐かしき面影が控えている。源氏物語を踏まえつつ在原業平を経て日本武尊にいたる昔男の初冠の系譜が!
 田中優子氏は日本男児が好きなのである!

さきの引用文をカッコなしで引いてみるので、かれら懐かしき群像を念頭に置いて味わってほしい。


 浮世草紙がこの世に生きる人間たちの物語であったとすれば 読み本はこの世に生きられない人間たちの物語を編み出した