アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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吉本『共同幻想論』 アリアドネ・アーカイブスより

吉本『共同幻想論
2015-01-28 23:21:48
テーマ:宗教と哲学


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1.『共同幻想論』の読みにくさ
 読みにくさの理由については大きく二つが考えられる。一つは、学問的論文を書く場合の姿勢についてだが、学問的研究とは、発明や発見のように個人の偶然的な事例の上に成立すると云うよりも、先人の言説を踏まえて論旨を展開する。かかる常套的、常識的な姿勢からは、なるべく用語や言い回しについても、既往の文献を踏まえると云う姿勢を継承しているのであるから、新造語などはなるべく避ける、という姿勢が貫かれることになる。この書を読む場合の最初の抵抗は、マルク主主義文芸理論なり社会主義リアリズムで云う上部構造を端的に「共同幻想」と言い換えた点にある。何故、観念(上部構造)なり概念体系の相対的独立性を言うのに上部構造とはせずに共同幻想と名付けるのか、その理由は、上部構造論では在来型のマルクス主義との絶縁が不徹底に終わりかねないからである。もう一つの理由は、彼個人の固有な生涯史に関わるもので、戦中戦時の体験が重ねられている。つまり――何故、戦前戦中の日本人は身ぐるみ、天皇イデオロギーに絡め取られてしまったのか、と云う、痛切な、愛国少年であった彼自身の経験が重ねられて語られているのである。――こうした彼固有の経験が、十分説明も果たされることなく、自明の事のように語られるために、戦後の若い読者には分かりにくいと云う印象を与えるのである。
 二番目の理由は一冊の本を書く場合の論段構成の問題である。本書は、禁制論から始まる11の断章からなる独立性の強い論文集である。これは反面的には本書の多面的な吉本の関心と問題意識の一端を示すものとして長所にもなっている点だが、国家論として読む場合の本来のテーマ、――すなわち如何にして共同幻想としての国家を廃棄しうるであろうか、と云う政治主義的な観点から読もうとする場合は、論旨が拡散するきらいがあって、すんなりと諒解できるとは言い難いのである。
 吉本が本書の序文で断っているように、論じるのにあえて柳田の『遠野物語』と『古事記』の二書に限定した、と云う書き方が示すように、これは逆に言えば吉本ほどのものであれば、二冊のテキストに限定してもこの程度の事は語れるのだと云う自負の表明であるかもしれないが、やはり素材を限定すると云うことは、人に如何に伝えるかと云う言語の伝達機能の面からすれば、読者の理解力を削ぐもとになったと思われる。共同幻想とは上部構造論と同じものだけれども違いはこうこうだ、と書けば解りやすかったであろうし、三つのキーワード、共同幻想、対幻想、自己幻想を語る場合でも、ゲゼルシャフトゲマインシャフト論との違いであるとか、一般に流布された言説や諸概念を引用しながら論じれば読者の理解を助けたであろう。共同幻想の宗教・法・国家と共同体を語る場合でも、マックス・ウェーバーマンハイムの官僚制論やイデオロギー論等についても言及しながら、紹介を兼ねて論じれば、それが例え吉本個人の好みには合致しないとしても、伝達手段としての学術論文あるいは政治論文としてはその方が良かっただろうと思われる。

2.論理の組み立て方に対する疑問
 吉本と論理、と云う言葉はいっけん如何にも不釣合いであるような気持におそわれる。なぜなら吉本の思想の基調には所謂、理性信仰とか論理的志向とかに対する根本的な不信感を前提に組み立てられていることが経歴から読み取れるからである。それで吉本を論じる場合に、論理や理性と云う言葉を真っ向から使うのは如何にも釈迦に説法と云う感じが拭えず気恥ずかしい感じがするのである。その気恥ずかしさは、他方では論理も学問もケタ外れに偉大な対象を相手にする場合の、幕下の力士が横綱の胸を借りると云うか、正対立すると云う構図自体が、個人めいたわたくし上の理由として何か八百長めいて気恥ずかしく感ぜられるのである。
 とはいえ、吉本の不思議な魅力は、論旨を追って読むと云う通常の読み方の他に、パッションで読むと云う読み方もあったような気がする。つまり情熱で読むのである。よく言われることであるが、60年代の学生総反乱の時代に全ての学生のバイブルとして本書が読まれたと云う、吉本本の時代批評的な言説や伝説?に対して果たして何人が正しく精読したか、と云ういい方がジャーナリズムではされたりする、と聴く。多分、わたしを始めとする二十歳前後の学生は『共同幻想論』は読まなかったであろう。しかし本棚に飾っておいたのかと云うとそうでもなくて、共同幻想論と云う音韻を聴いただけで、わたしたち学生はここから固有のイメージを受けとり、難解な吉本の論旨を苦労してたどりながら、パッションとして読んだのである!パッションとして読む、と云うあり方も全然見当はずれということななくて、多様な読書法のひとつであることは間違いないだろう、とあえて言っておきたい。――つまり、「本を」ではなく、時代のさなかに於いて「時代」を読む、のである。時代を外から読むのではなく、最中に於いて、たとえ溺れ乍ら、歴史の流れに押し流されながらであろうとも、臨床的に読むのである。
 さて、今日、共同幻想論を普通の読み方をしてみたらどうなるだろうか。共同幻想、対幻想、自己幻想、と云ういい方が吉本が言うほど自明に感じられるだろうか。

 本書は、大まかに要約すれば前半は『遠野物語』に依拠して、村落共同体の中で如何にして禁制や異界の対象としての共同幻想の世界が形作られるか、後半は『古事記』に依拠して、対幻想と云う如何にも吉本らしい抒情的な社会学的な概念が、律令国家成立以前のプリミティブな国家の成立の条件となっているのか、と云う論旨ではないかと思う。何分、論旨が読み取りにくい論理構成の書であるために、わたしの読み違いもあろうかと思う、その点はご容赦願いたい。

a.対幻想について
 さて、吉本の三つの概念構成の中でも最も魅力的なのは、周知が指摘するように対概念と云う考え方である。対概念とは、吉本の共同幻想論のなかでは中心的な概念であり、共同幻想、つまり、法、国家、そして宗教を最終的に廃棄するために、可能性として残された魔法の鍵のようなものなのである。

 対幻想の領域なり様態は様々に考えられる。一つは個と個が接する場合に成立する感情、つまり恋愛とか夫婦関係の如きものである、と説明されている。これは更に家族関係として複数の人格と人格の関係を生む、とも読める。さらに吉本が明言しているわけではないが、家族と家族の関係、親族や村落共同体の関係まで含めれば、吉本の言う共同幻想の世界とも陸続きではあり得ない、とは言えないような気がする。つまり対幻想とは、自己幻想から共同幻想まで含むような広範な概念であるように、吉本の書き方からは読めてしまうのである。
(吉本の対概念の、曖昧で拡散したあり方を取り上げて、学としての厳密さを欠くなどと云う意見もあるようだが、これは違うのではないかと思う。学的概念としては厳密さを欠いたとしても、概念の意味拡散の過程に、むしろ吉本的世界の、意味の豊饒さをこそ読み取るべきではないのか)

 
 
 吉本の共同幻想論は対幻想に固有の評価を与えている。また対幻想の中でも、とりわけ『古事記』の叙述をとおして兄妹・姉弟関係に特権的な役割を与えている。その理由は、兄妹・姉弟関係のみが性的な関係でありながら、性(行為)を介在させない人間関係でもあると云う、対幻想の特異性に求めている。つまり性行為を介在させないがために、人間関係としてはある程度の強度と拡大しうる普遍性を持っている、と云うのである。国家の起源としては、対幻想に於ける兄妹・姉弟関係は、可能性を秘めた固有な指向性を持った関係であると云うようなことを書いている。
 性的でありながら、性を超越していると云い換えても良いと思うのだが、性と云う人間的な条件を脱するときに何が見えてくるのだろうか。それは国家のような風景だけだろうか。吉本が提起した共同幻想論、特に対幻想の含意は深い。


b .共同幻想について
 この理由としては、法・国家・宗教の上部構造的世界と共同幻想の違いを吉本が十分に説得的に説明していないからではないだろうか。法・国家・宗教は共同幻想と等式で結ばれるのではなく、共同幻想的世界の一部である。法・国家・宗教とは単なる概念としての共同幻想が物象化した、実現化家庭の特殊な現れ方を意味するのではあるまいか。それは国家と共同体、あるいは近代主義的な市民社会との違いを論じる場合についても同様の事が云えるのであって、国家から共同体一般を分かつものは、吉本の用語を使えば対幻想的世界のへその緒と絶縁されているか否か、にあると思われる。同様に国家と市民社会の関係もまた、両者は対立するものではなく実在のあり方や範囲を定義する場合の問題、国家とは市民社会の概念が独立して特殊化し、神学化した形態のひとつであるのではあるまいか。その特殊化されたあり方が如何なるものであるかは、例えば市民社会とは個人の利己主義的な原理を元にホップス風に生きるものであるのに対して、国家とは調整機能としては、例えば市民社会的個人とはカント風にあるいはヘーゲル風の「普遍理性」を体現した個人として生きる、しかもこの場合吉本の好む表現を使えば、両者の関係は「逆立ちした関係」として現れる、というように!


c、自己幻想について
 吉本の三概念構成を考える場合に最も不合理が露呈するのは自己幻想の概念である。吉本は自己幻想をして、文学や芸術の世界がこれであるかのように語っている。しかし通常は芸術・文学とは、個的な世界や感受性に対して、より広い場所に魂を連れ出すものだとして理解されているはずである。吉本が自己幻想を文学の世界と引き付けて理解する理由は、一つには彼が影響を受けた小林秀雄の文学論以来の弊害で、文学とは自意識であると考えた、極めて特殊な時代に成立したわが国固有の極めて特殊な文学観に根差したものである、と云う気がする。個的な日常的な世界や幻想を含む私人の恣意的なあり方、人生を非主題的に生きざるを得ない、偶然性の桎梏に耐えられなくなった人間が、表現の自由を求めて普遍的世界に助けを求める、そういう姿勢が芸術・文学の本来的なあり方に意味を与えてきた、のではななかったか。文学・芸術もまた、あえて言えば共同幻想の一部分なのである。そう考える方が普通の考え方であろうし、吉本が「関係の絶対性」と云う場合もそれを文学論として論じる場合はかくなろう。もしそうでないと云いたいのであれば、やはり世間に流布している普通の考え方を踏まえ、それを論じることで、如何に通常の理解とは異なっているかを、説明するべきであろう。
 自己幻想とは、吉本の論旨を正しく生かして定義すれば、自己意識ないし私的個人の私情のみであろう。芸術・文学論を自意識とごっちゃにして論じる小林秀雄以来のわが国に固有の文学理解に引きずられた吉本の文学理論は、自我論なり主体性論としてそれなりの歪を与えるものにもなろうし、有名な「大衆の原像論」などにも決定的な波及を及ぼすものになるであろう。

 吉本は、幾度となく自己幻想と共同幻想の逆立ちした関係について述べている。逆立ちしている、と云う場合にどちらがどちらに対して、すなわちどちらを正像とすると考えているのだろうか。むしろ、吉本が提出した重要な概念、対幻想に対して、と云うべきではないのか。
 自己幻想なり自意識とは、万有が始まる始まりの起節点、自意識を持った人間の根源ではなくて、対幻想との整合が不調に終わった場合の倒立像ではないのか。共同幻想もまた、人間が生みだしたものでありながら何時しか支配者として現れると云う矛盾は、対幻想に対して共同幻想が整合的な関係にない場合、それを転倒しなければならない当為として映ずるのではなかろうか。

3.大衆の原像論に対する疑問
 大衆の原像論は、1960年代に知識人や進歩的文化人と云う名の人種を攻撃する場合の論理としては大変に便利な論法であった。しかし吉本の言う大衆とは何だろうか。例えば映画に出てくるミスター国民的偶像・車寅次郎の様な渡世稼業を言うのだろうか。あるいは寅屋の実直な饅頭造りの夫婦のような人たちの事を言うのだろうか。しかし吉本の本を抱えてヘルメットと棍棒武装したかっての時代の学生諸君もまた、「大衆」のあり方のひとつではなかったか、吉本のお気に召さないとは思うが。もっと言えば、大学の研究室に蛸壺のように居座って、学閥や世間的評価などの利己的な利害にのみ関心を持ったひと頃の大学教授たちもまた、公的な関心を失っていると云う意味では「大衆」の典型ではなかったか。吉本が大衆の原像と云ういい方を好むのであれば、進歩的文化人や世渡り上手の知識人こそ大衆の典型なのであり、彼らのあり方を称賛はしても貶めるなどは、もともとから彼の「大衆の原像論」の論旨を裏切るものではなかったか。吉本の論旨に忠実であれば、進歩的文化人や大学教授こそ「大衆」の代表なのであるから、彼らの生きざまを「大衆の原像」として繰り込み、彼らの存在形態をこそ擁護すべきであったのだ、と云うことにならないだろうか?、――もちろん、これは反語的な言い方なのであるが。

 今だから言えることだが、観念が現実に対して「逆立ち」の構造を持つとは、観念が共同幻想一般としては個々の人間を、戦前戦中の天皇制のように人々の内面からからめとると云う魔術的支配の構造を持つとともに、他方では、法・国家・宗教として、個的世界の偶然的なあり方から普遍的世界に参画するための可能性を与え、さらには内面(自意識)外面(俗世界)の双方向からの挟み撃ち的な状況に追い詰められても、芸術や文学と云う普遍性に根差した砦に依拠して、実存としての人間としてのあり方に於いて最後の抵抗を試みる、と云うことではないのか。

 わたしたちは外界に希望を見出せない時、内面的世界に依拠してなんとか釣り合いを保とうとする。外部的世界が不動の恒常性を持って聳えるように迫出してるとき、すなわち端的に現実が地獄であるとき、わたしたちは自意識の方向へと縮退する。その縮退した方向にあるもう一つの現実が自意識と云う名の煉獄であり自同律の不快であり、仕組まれた罠、悪意ある陥穽であることを見抜いたとき、外部にも内部にも行きえないわたしたちは包囲され生き場を失って雪崩をおこし、最後に残された秘境である母なる芸術文学と言語の森の方向へと後退して、終わりなき持久耐久の孤立分散のゲリラ戦に訴える。上部構造論あるいは共同幻想論から帰結しうる芸術文化あるいは特に言語芸術としての文学の役割ならびに機能とは、それが公平に評価された場合は、概略このようになるのではないのかと個人的には感じている。

4.『マチウ書試論』と60年代
 
 わたしの脳裏にはいま、『共同幻想論』ではなく『マチウ書試論』が念頭に去来している。『マチウ書試論』を念頭に置きながら60年代の末期の状況を思い出している。同書で「関係の絶対性」と云うことを吉本が書いた時、わたしたちもまた現実に地獄を見ていた。関係の絶対性と云うものの観方考え方が前提されるとき、取りうる道は三項鼎立の関係しかない、と吉本は言う、――歴史的状況の相対性を踏まえて良心の在りかをすルター型、状況に居直るトマス・アクイナス型、状況からドロップアウトするフランシスコ型である。わたしたちはいずれかの取りうる人間類型の形の何れかを取るほかはない、と吉本は冷徹に書く。そこに吉本の地獄がある。
 かかる人間類型は磯田光一が彼の吉本論で書いているるように、たしかに資本主義の世の中であろうがなかろうがいつの世にも変わらぬ真実ではあろう、さもありなん!とは思う。しかし果たして本当のところはどうなのだろうか?――少なくとも逆立ちした限りにおいての自己幻想、あえて言うならば小林秀雄風の自意識の方向から見る限りにおいては、とあえて付け加えておこうか。

 吉本理論と呼ばれるものが60年代の学生反乱の時代に最終的な影響を与えることが出来なかったのは、抵抗の主体たる「大衆の原像」が幻想であったことによる。吉本の言い方を借用すれば、共同幻想であったと云うことだ。吉本が構想したお江戸八百屋町の熊さん八さん的な庶民だけを実在の根拠として考えるのではなく、観念が概念として、公共的なあり方を提起できなかったことに理由が求められよう。芸術や文学を自己幻想のカテゴリーに組み込んでしまう吉本の理解の仕方からは、大衆社会を超えた論理を展開しにくいのである。つまり吉本達には如何にして自意識を超えるのかと云う契機が、問題意識が欠けているのである。
 さらに、60年代の学生たちの主体性論に於いては、他ならぬ市民社会的な利己的あり方を徹底することによって、自らの実存的な矛盾と世界矛盾を等式で繋ぎうるような考え方も成立しはじめていた。学生たちもまた吉本の論理を引き受けて大衆の原像を彼らなりに組み込む努力をしていたのである。大学解体であるとか自己否定の論理とはそうしたもののひとつであったのだが、吉本がお得意とする観念性の卓越や学生としての特権性を指弾すると云う1950年代のスタイルだけでは、あの段階では味噌も糞も一緒に押し流してしまうことになりかねなかった。結果的には皮肉なことに、吉本の大衆の原像論は、勝敗決着後の雪崩のように敗走する全共闘運動と若者たちの普遍的意思表示に対する後ろ向きの批評、体制側を幇助するような役割を果たす一面があったのではなかろうか。――敬愛する先輩に対して言いすぎたことについてはお許し願いたい。

 思想家の役割とは、状況の如何に於いては成否を正しく述べることではない。正否を超えた次元から聞こえてくる、星降るひとならぬ声に耳を傾け、到来する言語によって現実を支えるのである、――言葉の力で!