アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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TVドラマ『浮世の画家』と戦争責任――ノーベル賞作家、カズオ・イシグロの原作による アリアドネ・アーカイブスより

TVドラマ『浮世の画家』と戦争責任――ノーベル賞作家、カズオ・イシグロの原作による
2019-03-30 23:17:46
テーマ:映画と演劇


 カズオ・イシグロが日系のイギリス人ノーベル賞作家であったらかといって、映画『日の名残り』を見ていなければ、テレビのスイッチを入れることもなかっただろう。ノーベル文学賞とは文学を定義するものではなく、文学と云う方法を利用して世界平和と人権の保護等の実現に尽力したと認められた人に与える賞である、と私は理解している。

 先日放映された、テレビ映画『浮世の画家』のことである。
 戦中に、戦争協力の絵を描いた画家が、戦後事情によって筆を折らざるを得ず、世間との交際も断って世捨て人のように世間との交際も断って、郊外の大きな屋敷に暮らしているのだが、ここ数年世捨て人に徹すると云う訳にも行かず、と云うのも不首尾に終わった次女の縁談に何か自分の戦時中の言動に問題があったかも知れない、などと自分でも明確な判断や根拠もないままま様々に思い煩悶する。煩悶する過程で、自分がかつて家風に逆らって画家になった経緯や、自分を愛してくれた師匠や弟子たちのことなども思い出し、その後、戦争と云う大きな運命の転機を経て生き残った彼らの経緯なども耳に入るようになり、それらの思い出のなかには苦い悔悟の思いが混じった出来事も若干あるのだが、それでも正しかったのだと云う彼の、近年の戦後を貫いてきたと自分では信じて来た考え方は、件の次女の縁談の不首尾も手伝って次第にぐらつくようになっていく。この物語の前提は、有力な画家が戦前戦中を通じて、自らの信念によって体制加担と戦争賛美の絵をかき、そのことで戦後指弾され、GHQによって画業も廃業するところまで追い込まれ、加わうるに寄る年波の年齢をも考えれば未来の展望を失った老画家が、それでも娘の縁談と云う細やかな些事に、過去には一世を画した画風を成し遂げた経歴を持つ彼が、生涯最後の己を賭けようとする健気な物語である。小さな幸せと云えども軽く考えたり蔑ろにすべきではない、これは乱世であっても泰平の世であっても変わらぬ事柄だろう。
 このドラマが、僅かにカズオ・イシグロらしさを見せる場面と云えば、縁談の席で、自身の思い込みと持ち前の心気症から娘の縁談も破談になると悲観した主人公が、先手必勝ととばかりに、果断勇敢にも捨て身の覚悟で、自らの過去の経歴を告白する場面だろう。この唐突な告白は一瞬座を白けさせたかに見えたが代えって彼の人柄を証明する根拠にもなり、これを機に一座は打ち解け和んで、「彼」は家庭人としてもこんなに自分に
厳しいのですか、などという彼の大真面目さを受けた質問も飛び出す始末。娘も婿になる人たちも和やかに受けとめて、うちではだらしない老人なのだと打ち明けるて縁談の席は和やかな雰囲気の中で終わる。
 娘の縁談もどうにか纏まり、孫も生まれて目出度しめでたしの余興的雰囲気のなかで、実は先方は画家のことを何も知らない人たちだった、と明らかにされる。自分は、求められていもしない過去の悲劇的な出来事を勇み足で披露したことを悔いるが、後の祭りである。しかし娘の仄めかしなどから勘案するに、世の中の人は自分のことなどさほど記憶していないのではあるまいか。画家は自分自身を実際以上に高く評価しすぎていたのではあるまいか。このようなほろ苦さのなかで、既に老齢である自分自身の今後に期待するものは少なく、娘のために良かれと思って遣ったことなのだからなどと、せめて自分自身の自尊心だけでも救い出そうとする。
 後日談は、かっての気心の知れた画壇仲間を訪ねたおりにその友がふと漏らした述懐の言葉、――自分たちの戦中に行った行為は、結果はどうであれ、誠心誠意、そう願った上での真心から発した行為であった、それを徒に時代が変化したからと云って、時勢に迎合して悔いるべきではない、-----云々と。それを言い残して級友はこの世から去っていく。

 以上が、粗筋らしきものだが、大筋において『日の名残り』に似ている。ただ感銘の質が違うのは、描かれた人物が一方は貴族階級出身の外交官の大物であるのに対して、他方は自分で評価するほどには知名度の高くない、ほどほどの有能なる画家の一人、という設定の仕方もあるにはあるであろう。
 より本質的な違いは、他方が、あくまで執事の眼を通して描かれると云う、独特の様式主義的な手法の成果だろう。この結果、従者の眼を通して描かれる「彼」ーーダーリントン卿は、常に仰ぎ見られる理想化された姿で描かれることになる。田舎の一貴族の私邸で催された宴会場には英仏独と米国の各首脳級の人物たちが集い、非公開で開かれているらしいカントリーハウスの一室の一夜が、破局への予感と平和への期待と祈願に震える、明暗の分水嶺に立つ世界史展開の舞台となる。技法上の格がまるで違うのである。
 映画『日の名残り』で描かれているのは、例え信念を持って行った行為であろうとも、政治は結果責任を負うと云う当たり前の事柄である。貴族出身の大外交官はそのことについて一言も抗弁することなく非難誹謗中傷の世論のなかで死んでいく。結果論は別にして、信念を持って行った行為は許されるか、と云う倫理的な問題意識ではなく、二十世紀以降と云う時代の状況が、政治だけでなくあらゆる領域から、理想とか信念とか価値、あるいは品格や人柄の良さなどと言う属性的な要素が評価されなくなっていくだけでなく、むしろ場合によっては仇になる、そういう「新」時代が到来しつつあることを、骨身に沁み込むように思い知らされて「彼」ーーダーリントン卿は過去の人間として葬り去られ、死んでいった、と云うことだろう。
 にもかかわらず、彼の「平和」を尊いと考えた彼の「理想」や人柄の善良さなどは、蔑ろにされるべき事柄ではなかったのである。

 カズオ・イシグロ原案の日本人脚本家によるテレビドラマが真正直に過ぎて現実にそぐわないのは、日本の戦後がと云うよりも、主人公を心理的に追い詰めていくことになる若い世代の者たちの戦争責任がこれほど実際の歴史に於いては、単純でも単線的でもなかった、という点であろう。もし日本の戦後の現実がこのドラマに描かれたと通りだったしたら、戦後史は違ったものになっていただろう。
 TVドラマが描いたような戦後の若者たちあるいは同調者たちは、平和主義の大潮流の中でもごく一部に過ぎなかった、終戦直後の沸騰した世論の時代を除けば。これらの批判的青年たち――当時は「進歩的」と評されていた!――の中には、自分自身の像がよく見えていないのではないかと思えるほど一本気の者たちもいた。彼らは、自分たちを戦場に送った大人たちの世代を追求する情緒的急進性のあまり、なされた結果は同一でも、それが信念ゆえの行為であったのか、戦略戦術的な機会主義的な行為であったかを厳密には区別しなかい人だちだった。彼らの政治的意思は思想的なものではなく感情的且つ感傷的な動機を超えるものではなかったので、例えば戦後史の総決算と評価されることになる大舞台のひとつ――六十年安保闘争などにおいても、これを愛国主義の問題と見立てることによって、「岸信介」を呪いの藁人形の如きものに祀り上げて、自らの心理的負荷を解消させることができた。岸が日本人の悪いところを全部引き受けたかのような死に方をしてくれたおかげで、日本人はまるで自分が無罪でもあるかのように考えることができたのである。これを機に、日本の戦後史は精神史的には完全に変質するに至る。

 物語の粗筋や構成上の骨格は、当のイギリスを舞台としたならばたぶん真実であったろう。カズオ・イシグロは五、六歳のころ日本を離れているので、イギリスの現実に擬えて日本の戦後を描く試みは、ある意味での観念論、形式主義に陥らざるをえない事情にあった。結果、素直な日本人脚本家の手になるこのTVドラマは余計にバイアスがかかった結果になり、誰でもが受け入れやすい、消化の良い、滋養豊かな教訓映画となったのである。こうした脇の甘さと云うものは元来伝統近代英文学の長所ともなりえてきたものでもあるが、今後のイシグロにとっては作中描かれたダーリントン卿のように、もしかしたら弱点になるのかもしれない。
 しかしカズオ・イシグロを原案とした脚本家が描こうとした日本の戦後は、完全に絵空事かと云うとそうでもなくて、むしろこのような自画像で描かれたことを受け入れる下地が、ある時期までは戦後日本に存在したのである。しかし戦後日本の偽善はこの程度では済まなくなった。21世紀になると、むしろ過去の一貫した「忘却」の立場に立って居丈高に居直る、凡庸な一政治家の凡庸な姿勢が、選挙民層の支持の40%程度を集めると云う時代を、――世界の何処においても相似形に於いて形成する世界同時並行的金太郎飴的状況を、――そんなアーレントの言う「凡庸なる指導者を戴く凡庸なる」時代に移り変わっていく。80年代に書かれたというこのドラマの原案も、もしかしたら今日と云う時代を前提にして読めば、政治の品位や品格と云う懐かしいい言語を思い出させるのにはあるいは有用だったかもしれない。あえて言えば、今日の日本の特殊な政治状況を前提に読めばよるそれなりに示唆的かもしれない。
 映画『日の名残り』は優れたイギリス映画だったが、ダーリントン卿のような、素人が政治を扱う時代は終わった、と云う作者カズオ・イシグロの予告は当たらなかった。21世紀は、まさにその当の素人政治家が品位も品格もかなぐり捨てて、己こそ政治の第一人者として厚顔無恥にも自己を言説として語る、そういう「言説の神話化」の時代を迎えたのである。


(付記)
 お断りしておかなければならないのは、この文章はカズオ・イシグロ=日本人の脚本家の翻案、という前提に立っている。「=」とまではいかなくても、「≒」と見なしたのは、それに先立つカズオ・イシグロのこの映画に関する対談を筆者は観ている。大筋においてこの映画は作者によっては是認されたもの、と看做したのである。
 今後、原作を読む機会があれば、印象が若干変化することは間違いなくあり得ることだろう。