アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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元号「令和」について アリアドネ・アーカイブスより

元号「令和」について
2019-04-02 15:05:25
テーマ:歴史と文学


 新元号の発表を見て、一見して感じたのは、字画と響きの持つ寂しさ、貧相さ。「令」と「和」の水と油のような意味の語義的不一致。ーーさりながら、日本の言語学者の第一人者たちが集ってーー集団的忖度の結果❗とはあえて言うまいーー決めたことなので、たぶん、正しいのだろう。

1. 「律」と「令」
 日本史で「律令制」に言及する場合は、「律」とは刑法、「令」とは刑法を除く、その他の法――例えば行政法など、とされている。こういう文脈における「律」と「令」の語用法。「律」「令」と呼びならわされてきた一組の、語彙の一方だけを切り離して、「令」と「和」とを機械的に結び付ける。恣意感は否めない。

2. 現行法規に於ける、法「律」と法「令」の関係について一言。
 法律とは基本法であり、法令とは「律」の下位の法概念であり、現行法規の体系では基本法を実行するための、格下の条文限定法、とする位置づけにある。
 法的には下位概念である「令」を、大君の御代を寿ぐ御名としての「和」と混用混同して用いる。つまりお見合いに擬えれば、法体系では最高位のものと、中位にある概念とを結び付ける、縁談の釣り合は良い、とみるか否か。昨今の皇室のご事情を勘案すると、案外平民的な発想で良い、と云うのかもしれない。ーー今次の言語選択の背後には伝統の破壊と品格品性に対する野蛮な挑戦が読み取れる!
 「令和」と云う新元号は、「和」を「象徴」として体現されたる天皇と、中ほどの賢さと中位の頭脳の持ち主の「総理」とのサイボーグ的な奇妙な合成語、と云いう風になぜか重なって見えてしまう。しかも「和」なる天皇に「令」が命令し、指示を与える、と云う風にも読めるから、これは不敬である。

3. ある放送局の受け売りだが、「巧言令色」については以下の論語解説が興味深い。百科事典マイペディアでこの項目を引いて、一番上にあるものを読めば、こうある、――

こうげん‐れいしょく〔カウゲン‐〕【巧言令色】
言葉を飾り、心にもなく顔つきを和らげて、人にこびへつらうこと。

子曰、巧言令色、鮮矣仁。
先生(孔子)はおっしゃいました。「人に気に入られるように、口先でうまいことだけ言って中身が伴わない人間には、思いやりの心がないもので
す。」と。

 ほかにも、令夫人、令嬢などと云う言い方がある。
 要するに、スノッブの言語である。
 スノッブとは何か。これも同書より引用すれば――

社会的身分の高い人にへつらい,その人たちの真似をしたり,交際を求めたりするくせに,下のものには威張りちらす人物。

 「令」にはそういう意味合いを含んで今までにも使われてきたというのである。

 名は体を表す、とはよく言ったものだ。
 近年の安倍政治に関わる茶番の幾つかを思い出して可笑しくなった。学識経験者や有識者、三官の長などを招いての大掛かりな意見聴聞劇は、まるで壮大な忖度合戦の眼も彩かな極彩色の錦の絵柄を、永田町の闇の廻り舞台に繰り広げたのかもしれない。出演者たちは何れ劣らぬ、怪物たち、妖怪たちの、錚々たる百鬼夜行の、身の毛もよだつ顔ぶれであったとか。

 育ちは隠せないものである。今次の元号に関わる茶番劇は、言葉選びの、言語ゲームの中で、無意識に「彼ら」の一貫した積年の体質が滲み出てしまった、という皮肉な結果に終わったのである。

(追補)
4. 万葉の時代について
 元号に引き付けて、万葉集が俄かに脚光を浴びつつあるが、それにしても、大宰府大伴旅人、梅と曲水の宴、について、薄ぼんやり風の議論が商談も含めて盛んになりそうである。
 あまり長くなるのもなんだから、大伴旅人のことだけ書いておく。
 知ってか知らずか、大伴旅人とは、こう言えば語弊があるけれども分かり易く言えば、悪逆の臣蘇我一族をも上回る藤原一族の横暴によって大宰府に左遷された、皇室護持派の一族であったはずだ。藤原氏は天智・天武以来の皇親政治に終止符を打つべく、外堀を埋め内堀も埋め尽くして、最後に皇統派の最後の臣大伴旅人をその政治的影響力を削ぐべく、大宰府に左遷したとも云われている。
 つまり旅人が鎮西の果ての地、大宰府で歌を詠みながら悶々と過ごした日々とは、天皇の期待に応えることができなかった我が身の不遇、そして自らの無力、無能力、非力に対する古豪門閥一門の、ーー名にしおう神武以来の名門大伴氏の頭領としての悶々たる思いであったはずだ。因みに大伴とは常に大君と伴にあると言う意味である。彼が遠隔地太宰府で無為に傍観挙手している間に、中央では皇親派の排除と抹消と、藤原氏の一族が着々と政府の中枢部を占めていくのを、暗澹たる思いで彼は望郷の思いに事寄せて歌に表し、我が身のデカダンスを自己韜晦に紛らわしていた、と云われている。

 旅人が生きた万葉の時代とは、安倍首相の説明とは異なって、国際化に目覚めつつあった古代日本が、次第に展望を失って、内向きの国風文化へと変質する、その境界域たる、過渡期を生きた重要で象徴的な人物だった筈である。
 天皇が蔑ろにされ、悪逆非道のこころ腹黒き逆臣たちが賄賂と口利きに幅を利かせる時代と云えば、なにやら現代との類似性差へ仄見えて来る。歴史を紐解くと、藤原一強体制の中で、生き残るためには皇族ですら藤原氏にお追従を言い、忖度を重ねて命永らえなければならない、恥じ多き時代でもあった。藤原氏の猜疑心を晴らすためには密告が奨励され、忖度して先を読んで粛清劇のお先棒を担がなければ生き残れない時代でもあった。かかる歴史的経緯を知ってか知らずか、国民の古典文学に対する無知をよいことに、「令和」の語義解釈に恣意的に利用しようとする。――大丈夫ですか、老耄の中西さん!