アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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万葉の時代について(再録)アリアドネ・アーカイブスより

万葉の時代について(再録)
2019-04-03 09:42:19
テーマ:文学と思想

(追補)として、先号に記載したものの
再録になります。
万葉集について俄かに語り始められましたが、
誰も言わないことなので、書きました。

 

4. 万葉の時代について
 元号に引き付けて、万葉集が俄かに脚光を浴びつつあるが、それにしても、大宰府大伴旅人、梅と曲水の宴、について、薄ぼんやり風の議論が様々な商談や魂胆をも含めて今後盛んになりそうである。時節外れにならないうちに世相の思惑を打ち砕き史実の真相を糺しておくことは必要であろう。
 あまり長くなるのもなんだから、大伴旅人のことだけ書いておく。
 知ってか知らずか、大伴旅人とは、こう言えば語弊があるけれども分かり易く言えば、悪逆の臣蘇我一族をも上回る藤原一族の横暴によって大宰府に左遷された、皇室護持派の一族であったはずだ。藤原氏は天智・天武以来の皇親政治に終止符を打つべく、外堀を埋め内堀も埋め尽くして、最後に皇統派の最後の臣大伴旅人をその政治的影響力を削ぐべく、大宰府に左遷したとも云われている。
 つまり旅人が鎮西の果ての地、大宰府で歌を詠みながら悶々と過ごした日々とは、天皇の期待に応えることができなかった我が身の不遇、そして自らの無力、無能力、非力に対する古豪門閥一門の、ーー名にしおう神武以来の名門大伴氏の頭領としての悶々たる思いであったはずだ。因みに大伴とは常に大君と伴にあると言う意味である。彼が遠隔地太宰府で無為に傍観挙手している間に、中央では皇親派の排除と抹消と、藤原氏の一族が着々と政府の中枢部を占めていくのを、暗澹たる思いで彼は望郷の思いに事寄せて歌に表し、我が身のデカダンスを自己韜晦に紛らわしていた、と云われている。

 旅人が生きた万葉の時代とは、安倍首相の説明とは異なって、国際化に目覚めつつあった古代日本が、次第に展望を失って、内向きの国風文化へと変質する、その境界域たる、過渡期を生きた重要で象徴的な人物だった筈である。
 天皇が蔑ろにされ、悪逆非道のこころ腹黒き逆臣たちが賄賂と口利きに幅を利かせる時代と云えば、なにやら現代との類似性差へ仄見えて来る。歴史を紐解くと、藤原一強体制の中で、生き残るためには皇族ですら藤原氏にお追従を言い、忖度を重ねて命永らえなければならない、恥じ多き時代でもあった。藤原氏の猜疑心を晴らすためには密告が奨励され、忖度して先を読んで粛清劇のお先棒を担がなければ生き残れない時代でもあった。かかる歴史的経緯を知ってか知らずか、国民の古典文学に対する無知をよいことに、「令和」の語義解釈に恣意的に利用しようとする。――大丈夫ですか、老耄の中西さん!