アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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なか仕切り アリアドネ・アーカイブスより

なか仕切り
2018-04-28 08:26:26
テーマ:政治と経済


 中仕切り、と云う言葉があります。むかし、小学生のころ大切にしているセルロイドの筆箱のなかで、雑多な鉛筆類を簡易に整理するために仕切りを入れるのですが、ちょうど弁当箱の仕切りのようなものなのですね。なか仕切りとは、このような軽い意味でも使われていますし、襖や屏風、もっと簡易な場合は簾などで部屋を仕切る場合にも使われていて、同じような意味です。
 昨日は、隣国の半島で歴史的な会談が行われました。今後も紆余曲折はあると思いますが、これは歴史のなか仕切りとも云えて、比較にならないほどの重大な関心事になります。にもかかわらず、 なか仕切り と云う表現をするのは、今までの半島の過半世紀の歴史を鑑みるに、期待と失望との繰り返しの歴史でしたし、ひところ瀬戸際外交とも評された、人為的な、物取り作戦の繰り返しのようにも報じて来られました。そういう意味で、適宜な範囲を越えて過大な期待をしないと云う意味で、なか仕切り、の言葉を用いたのですが、他方、この言葉には重い意味があって、人生の過半を過ぎて、重荷を下ろす、と云う意味も含まれております。つまり人生を途中下車して、自分を見つめ直す、と云う意味ですね。
 ともあれ期待こもごも、わたくしは半島部の平和に向けての糸口、歓迎したいと思います。また、北朝鮮固有の策謀的外交術ではないかと云う意見が多数を占めるのかもしれませんが、例え裏切られるような行為に終わっても、核戦争の危機が遠のき、一日でも平和が先延ばしにされると云うことは良いことなのです。もしかしたら、人生に真の解決がないように、歴史にもまた同様の事情があるのかもしれません。五里霧中とは言いますが、一寸先は闇と言い換えても同じような意味になるのかもしれませんが、日々の平和な繰り返しが一日でも先延ばしになることは良いことなのです。
 昨日の会談後、詳細は日本には知らせられないまま、断片的に情報が入ってまいります。そのなかで一番大きなものは、拉致問題が取り上げられなかった、と云うものでした。深夜のネットではこう報じられました。

「安倍政権は一切取りあうな」と平壤指示――北朝鮮問題で日本孤立浮彫
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「安倍政権は一切取り合うな」と平壌指示——北朝鮮問題で日本孤立浮き彫り/ar-AAwpsJv

 金正日小泉純一郎拉致問題の歴史的進展の時代より、安倍晋三氏は脇役として引き立てられて幸運な政界出ヴューを果したことは周知のことですが、単に利用したに過ぎないという意見も根強く、その後の具体的な成果に乏しい経緯を見ると、そう言われても仕方がない面があります。特に、昨今の、一本調子の強硬派的な発言が、政治的実効性と云う点から見てどうなのか、と云う意見は様々にありましたが、他に手立てもなく黙認してきたと云うのが正直なところではないでしょうか。それが、ここにきて、南北朝鮮半島の両国に加えて中国とアメリカと云うに二大巨大大国をも加えて大きな進展の兆しを見せ始まました。通常、外交的な努力とは主方向と、それと相反する双方向の外交努力を秘密裏に進めて、政局がどちらに転んでも致命的にならないように老獪に立ち回るものですが、そうした大人の外交が最近の日本ではできなくなりました。
 加えて、北朝鮮問題を、単なる内政面での実績不足を解消する言い訳として利用してきた矛盾が露呈されることにもなるでしょうから、安倍政権は今後とも、内政外交両面に於いて次第に立ち行かなくなるのではないかと思われます。元来が、安倍首相なのなかに専門家を用いることへの不信感があり、一部の専門家と取り巻き連中と協議して進めてて来た経緯がありますので、何か万事に於いて、子供の喧嘩に似た素人っぽさが目に付くのは致し方のないことでしょう。
 それはそうと、随分前から、――と云いますのも安倍一強とも長期安定政権とも云われた首相の予想外の高めを推移する支持率を鑑みて、北朝鮮政権がなぜこの時期に日本との外交努力をしないのか、と疑問視された時期もありました。北朝鮮は、一貫して過去に於いても今も、アメリカ一辺倒で進めてきました。わたくしは金正恩の応用力に乏しいとも、融通の利かないかたくなな姿勢を見ながら、彼は安倍首相を好きとか嫌いとかいうのではなく、現下の日本の政権は政治史に於いても例外的なものであり、この政権と大事な交渉事を行ってもそれが次政権継承される保証がない、と云う直感とも危惧感とも云えるものをもっていて、それが彼の強直一本やりの高圧的姿勢と消極策の原因ではないかと推測して参りましたが、どうやらこの場合は彼の見立てが正しかったようです。
 わたくしは、ネットにあるように、日本が国として北朝鮮和平会談から外されたものだとは思っていません。安倍政権とは、と但し書き風に読めるように、違った政権の下で協議を進める意思は十分にあると受け止めました。
 おそらく、当面はアメリカ合衆国大統領トランプは先般の安倍首相との約束もあるので、経済的な譲歩と目立たない譲渡で場を持たせておいて、表面的に拉致問題を取り上げてみせると思います。それはおそらく、政治の表面には出てこない裏面で動く経済協力の金額の大小が決定するようなリアルポリティクスの世界の出来事にはなるだろうと思います。つまり経済的支援や譲歩の範囲が大きければ大きいほど見合った成果が予定されている、と云うわけです。しかし譲歩してしまっては犯罪国家であることを証明することになりますので、限度と範囲のなかの妥協の産物になるだろうと思います。同様に、ミスタートランプの協力の度合いも、日米経済摩擦に於ける譲歩の度合いが決める、極めて単純な世界になると思います。もともと思想などなく頭脳が伽藍洞なのが両者の共通点なのですから。
 拉致問題だけのためにも、安倍政権は一日も早く適当たとな政権に移行されることが世界平和のためにも期待されるところです。政治のプロを養成すると云うのは日本の政治史の課題ですが、松下政経塾のようなビジネススクール擬きのものではなく、――たと例えばベネツィア共和制型の、人は根本的に愚かであり不正を働くものであると云うことを前提にした、偉大なる理性や人間性と云う標語を大袈裟には掲げない、リアルポリティクスの政治が要請されるところかもしれません。もちろん、わたくしは古典古代ギリシア型の熱い直接民主主義の理想を断念するものではありませんが、ギリシアベネツィアの中間あたりに、可能な解決策を求めていくのが妥当だと考えています。
 アベノミクス!――早く言えば、官邸型政治と云うものですが、宮廷型王朝風忖度の政治とも云えそうですが、元来は政治主導と云う良き意味で発想されたものでした。失敗の原因の一つは、安倍晋三反知性主義的なイデオロギーがあり、この素人っぽさが平成の平和慣れした選挙民の眼には新鮮にも見える側面があったのも間違いのないことですが、専門家を使う能力を欠いているので、あちこちで治世のボロが出てきました。政治に誤りと反省はつきものですが、失敗にもその経験が今後に生かせるものとそうでないものがあります。安倍政権の失政は過去の政治的文化や伝統を学び敬意を払うと云う姿勢がないため、子供のしくじりにも似たその都度ごとの花火のように夜空の闇に消える残影でしかなかったのです。