アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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高遠訳プルースト『失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 アリアドネ・アーカイブスより

高遠訳プルースト失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 
2018-05-15 10:37:46
テーマ:文学と思想


(要約 p36-37) そのころコンブレーでは午後の終わり近くなると、そこは常に苦しみに満ちた場所となった。と云うのも、大家族であった家庭には団欒のひと時があったのに、子供は二階にある寝室に早く寝に遣らされたからである。母や祖母から離されて長い眠れぬままの夜を過ごさなければならなかったからである。
 そんな夕べ私があまり悲しそうにしているつかの間の夕食の間、幻燈機を設えてくれた。幻燈が始まると光を失い始めた黄昏時の室内の暗い壁はたちまち虹色に輝き。手に触れることのできない超現実的な幻影が顕れ、様々な伝説の物語が幻想のステンドグラスに描かれた。
 されど、私の悲しみは深まるばかりで、と云うのも、寝室に関する習慣が破られてしまうからであった。幻燈のせいでその部屋が本来の自分の寝室かどうかも分からなくなり、ちょうど見知らぬ鉄道の駅を降りてホテルの一室で所在なげに佇む感じに似ていた。自分の居場所が浮遊する頼りなさのなかで中世の物語が意識のなかに侵入してくる。 

(要約 p28-39) 怖ろしい悪だくみに満ちたゴロは森の中から姿を現し、純情で無垢な若い城主の妻ジュヌヴィエ―ヴ・ド・ブラバンは成す術もない。青いベルトを金色の野や城塞に際立たせたジュヌヴィエ―ヴは無垢で聖なるものの象徴なのであろうか。ジュヌヴィエ―ヴは挑まれ、拒んだのちは逆恨みされ、夫への密告ゆえに誣告の咎に落とされる。そうした邪悪な物語が、例えばドアのノブのような部屋の部品ごとにゴロの赤い衣服や蒼ざめた顔が二重写しにされて、苦悩の影が黄昏時の夕闇の中に延び拡がるのであった。 

(要約 p39—40) 西暦六世紀ころのメロヴィング王朝の物語は、自らの自我で埋め尽くし、余計な気遣いをしなくて済むようになっていた私の部屋に美や神秘と云う異質の要素を挿入する。習慣と云う名の麻痺作用が停止すれば私は酷く悲しいlことばかりを考える子供に変貌するのだ。その世界と神秘との境界を接すると思われたドアのノブは、あんなにも手慣れた習慣と慣習の部品となっていたのに、そこから異界が傷口を開ける両世界の秘められた通路となるのだ。悪しき逆島としてのゴロと、聖なるものや美的な非力さの象徴としてのジュヌヴィエ―ヴ、私のなかに無意識のうちに植え付けられていた二つの側面を中世の古き物語は目覚めさせるのだ。ジュヌヴィエーヴの不幸のせいで、ゴロの無慈悲な悪だくみのせいで、お母さんがいっそう愛しく感じられ、ドアのノブを開いて一階にいるお母さんの腕のなかに飛び込むのである。 

(要約 p40-42) その頃のコンブレーでは、夕食が済むと、天気が良ければ庭で、悪ければ屋外に面したサロンで集まりをもった。その集まりが悲しみの記憶として残ったのは、その時刻になれば子供は二階に上がって寝なければならなかったからだ。
 ところで、コンブレーの叔母の家に於ける大家族のなかで祖母の特異な位置を説明しておかなければならないだろう。祖母は常々室内に籠るのを惨めなことと思っていたし、雨の酷い日には寝室で本を読むように諭す私の教育方針を廻って対立があった。祖母は私を強く丈夫に育てるためにはそんな風ではいけないと思っていた。「特にこの子は、体力と意志の力を付けなくてはならないのに」
 医師である父は当時の自然科学の先端的位置にあるものの矜持の一端を示すかのように晴雨計に眼をやる。気象学が好きなのである。母は音をたてて邪魔をしないように気遣いながら、穏やかな尊敬の念をもって父を見つめる。父の優位があからさまなものになってはいけないと自制しているのだ。
 だが祖母はそんな一家の家風をものともせず、ひどくなり始めた雨の中をあちこちとスカートに泥をはね上げながら、嬉々としてさ迷い歩いた。「ああ、これでやっと息ができるわ」
 彼女が歩き回っている庭の植え込みは、ぎこちなく左右対称に切り込まれた不自然なものであった。そんな趣味に対抗するかのように、彼女が小刻みな足取りを支えているのは、嵐を前にした恍惚感!健康法の重要性!孫である私に向けられた教育方法への反感!庭の左右対称性と云うものへの嫌悪、などであった。 

(要約 p42-43) 祖母の庭歩きが示す大家族のなかに置ける孤立、それは何時しか格好の、退屈しのぎの、憂さ晴らしの一家の儀式と化していた。祖母を家の中に引き戻すためにリキュールが用意された。「バチルド!早く帰ってこないと、あなたのご主人はコニャックを飲んでしまうよ!」可哀そうにお酒が健康に悪いと信じている祖母は夫に向かってしきりに懇願するのだったが、祖父はかえって腹を立てて一口で飲んでしまった。
 祖母は気落ちして悲しげな様子で微笑みを浮かべて外に出ていく。彼女は実に控えめで優しい性格だったので、眼差しに浮かぶ微笑みのうちには、他人に対する愛情と、自身が受けた悲しみなどは気にかけない性質とが同時に現れていた。 

(要約 p44-45) いじめではないけれども、祖母に対する周囲の者たちの儀式はいつしか見慣れた習慣となり、一度となく大叔母の「バチルド!・・・」は繰り返されるのだった。そしてその声が聴こえると、卑怯にも私は見ないふりをして大人たちの価値観に加担するのであった。わたしは屋根裏にある、唯一鍵をかけることが許された小さなトイレに入って声を挙げて泣いた!私の卑怯さは既にその頃から始まっていたのである。
 コンブレーの同じ時間、私がトイレで泣いていた頃、何も知らない祖母は、私の意志の弱さや虚弱体質。さらにはそれらが示す先々の不安と云ったことを考えていたに違いない。
 祖母は美しい顔を太陽に向かって斜めに上げ、私たちの前を往き来する。皺が刻まれた祖母の褐色の頬は、更年期を過ぎて、いまや耕作後の秋の畑を思わせる薄紫に近い色に染まり、帽子のベールの翳りに遮られてはいるものの、そこには何か悲しい思いが築き積もって、知らず流れた涙がいつも一粒乾きかけていた。