アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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高遠訳プルースト『失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 アリアドネ・アーカイブスより

高遠訳プルースト失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 
2018-05-16 21:52:07
テーマ:文学と思想


(要約 p68-84) とは言え家族のなかでスワンの訪問を一番苦痛に感じていたのは私だった。誰であれ客がある場合はそうなのだが、スワン一人っきりの場合に於いても母は私の寝室まで登っては来てくれなかったから。私は夕食を済ませると二階へ行く刻限と決められた午後八時まで過ごす。こうした夜には、あの就寝までのあの貴重な儀式、あのはかなげなキスを断念しなければならないので、こうした夜には私は寝室までの道行きに於いて――服を脱いでいる間もそうなのだが、その喜びが消えてしまったり拡散したりしてしまわないように保っていなければならなかった。
 そんなひと連なりの夜の一日、スワン氏の呼び鈴を二度鳴らす音が響いてくる。私たち皆は庭に出ていた。皆はいぶかし気に顔を見合わせて、誰だろうと云う。それがスワン氏だと分かっているので、祖母は二人の義妹たちにいただいたワインの礼を忘れないように指摘する。大叔母が、ひそひそ話は駄目よと云う。来客があった時のヒソヒソ声は客に失礼にあたると考えているからだ。父は天候の話しを聴いてみたいと云う。母は例の結婚以来のスワン氏に対して私たちの家族が味わせて来たかも知れない心の痛みをこの機会に解消したいと願っている。母はうまく機会を見つけてスワン氏を脇に引っ張って行って、「少しお嬢さんのお話を聴かせて」と云う。ちょうどそこに折り悪く祖父が顔を出したので母は話を中断せざるを得なかった。このとき母は暴君に耐える偉大な詩人のように「お嬢さんの事はまた二人だけの時に」と云ってこの場は別れた。
 一方私は、このあと一人で過ごすことになる筈の苦悩に満ちた時間のことを考えていた。明日になればとか、未来に関わる気休めは何の慰めを与えなかった。私の精神はちょうど凸レンズが一点に収斂させるように苦悩で張りつめていた。この時の状態は、意識は何処までも明瞭であるのに、ちょうど麻酔をかけられた病人のように、全てを透徹した意識で見渡しつつ、何の痛みも感じることなく、他人事のように感じていた。
 祖父はなんとかオディフレ・パキエ公爵のことを話そうとしている。祖父がかの雄弁家について話そうとそたとき、その種の質問を好まない義妹のひとりがもう一人に声をかけた。この間知り合ったスウェーデンの若い教師と協同組合について。貴重な情報を与えてくれたので夕食に招待したいと考えているとか。もう一人はヴァントゥイユのところで会った老学者と俳優の話しをしたことなど。要するにスウェーデンの教師も老学者も共通点は親切だと云うこと、親切と云う言葉を梃子にして、親切なスワン氏のことを話題として誘導したい、と云うそれだけのことなのだ。祖父と二人の老嬢の噛み合わない会話は、それぞれが思う報告に誘導できるのだろうか。
 一方スワン氏と云えば泰然自若とも云うべきか、ものごとと云いうものは昔も今もそれ程変わるわけではないと云う話をサン・シモンヲ例証に呼び出して話していた。それはサン・シモンがスペイン大使をしていた時の話しだが、彼の有名な回想録は最良の書物ではないかもしれないけれども、昨今の新聞とはまるで別物だと云う注釈が加わる。二人の老嬢は、渡りに舟とばかり、新聞と云う語を話題の力学の梃子にして、例の新聞に載ったスワン氏所蔵の方に話を持って行きたいのだが、スワンは鈍感なのか上の空なのか動じる風もなく、延々と件のどうでもうよい過去の社交界の会話の方に愛着を示すが如く、延々朗々と論じている。
 会話がひと段落が付いたと思うころ、スワン氏は祖父の方に向き直って、サン・シモンが軍人との握手をことわった話へとだらだらロ延びていく。大昔の社交界の話題に閉口しつつも何とか話の糸口を掴まなければならない老嬢たちは、軍人のずんぐりとした手、と云う表現に縋って「ずんぐりした瓶かどうかは知りませんが、全然違った中身が入っている瓶を知っていますわ」と答える。つまりどんな小さな手掛かりでも懸命に、――つまりそれがサン・シモンであろうと――彼女たちなりに、例のスワン氏にワインのお礼を言うと云う機会を血眼で探しているという次第なのだ。
 「無知か罠かは知らねども」はサン・シモンの言葉ですが、とスワン氏。この種の話題には何であれ飛びつきたい祖父はこの言葉にしがみつき、しきりに感心してみせる。これがいけなかった。身分性に関わらず人間は平等だと教えられてきた老嬢たちは「ひとりの人間は他の人間と平等ではないと云うこと?廉直な人間なら誰とでも握手をすべきだわ。ひどい話」
 こうして二組の思い思いのスワン氏に対する想いは話の腰を折られてしまった。
 やがて食堂で皆の食事が始まるころになると、例の苦悩の儀式とも化した二階に行く時間が近づいてくるにつれて、実行しようと心に決めたことがあった。それは別れの母とのキスが余りにも短時間で儚いものであるがゆえに、その短い時間を十二分に味わうために、あらかじめ自分にできることは前もってしておこうと心に決めたのだ。ちょうど貧しい画家がモデルのポーズの時間を惜しんで、あらかじめ描ける範囲は余白を埋めておくように。
 ところが祖父は思わぬ気まぐれと冷酷さを発揮して、おチビさんは疲れているようだから早く二階に行くべし!と宣告してしまい、私の折角の目論見をご破算にしてしまう。私は母にキスをする暇も与えられないのであった。
 私がかくも悲しい思いのまま階段を上がろうとしているこの忌まわしい夕べ、階段ではツンとニスの臭いが鼻を突いた。ひとたび寝室に入れば、出口と云う出口を塞ぎ、鎧戸を降ろし、墓穴を閉ざし、ナイトガウンを死装束の代わりに纏わねばならないだろう。
 私はついには反抗的な気持ちになって、母に手紙を書いて寝室まで来て欲しいという手紙を女中に託けようと思いつく。ところが女中のフランソワーズはフランスの伝統社会の不文律の権化であるかのように冷静に冷酷に、嘘を無抜かないはずはなく、中世以来の伝統フランス田舎女の間断なき苛烈さに於いて、こんなお子様をもった親の不幸について語り手の前で言及してみせる。
 しかし今夜の私は違っていた。私は躊躇することなく嘘を言うことにして、お母さんから探してほしいと云うたのまれ事を命じられているのだ、と言い逃れる。
 彼女は私の嘘を容易に見破ったと思う。帰ってきた彼女は、お手紙はいまは渡せなかったが、そのうち機会を見て渡しておきましょうなどと尊大に言う。この儚い希望があろうことか私の内面に希望の虹を引き入れる。いままで入ることが禁じられていた食堂と云う名の閉ざされた空間は私に向かって開かれ、手紙を読む母の心遣いを溢れさせ、熟した果実が殻を破るように私は恍惚となるのだった。きっとお母さんは来てくれるに違いない。
 しかし、阻まれてある固有の空間の中に狂おしいほど私は不在であると云う感情こそ、私とスワン氏を結び付けるものであったのだし、スノビズムの一環として、この感情ほどのちのちまで私の生涯を根本的にかつ根源的に規定するものになるだろうことを知らないでいた。
 愛とは不在の感情と隣り合わせなのである。