アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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高遠訳プルースト『失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 アリアドネ・アーカイブスより

高遠訳プルースト失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 
2018-05-17 11:55:55
テーマ:文学と思想


 父が私たちの前に立っていた。

 ここで意外なことが起きる。父は原則に捕らわれない人であったし、コンブレーの中世以来の「市民法」にもとらわれない人であったから、母と祖母とが授けてくれた許可や協定を反故にした。つまり解り易く言えば、気まぐれの人で、理由なしに習慣化され是認されていた家族の約束事を詰まらぬ理由で反故にした。だから、先ほどの祖父の対応のように、決まった時間よりずっと早く私を二階の寝室に追いやることもあったし、祖母のような「原則」を持っていなかったので、妥協を全くしない、と云う風でもなかった。その彼が気まぐれを発揮して、――
「一緒に寐ておやり」と云うのであった。
母は、変えてはいけないものがあるでしょう、と云う。この子をしっかりしつけることができなくなりますわ。
「しつけの問題ではないよ。おチビさんは悲しいんだよ。私たちだって、血も涙もないわけではない。フランソワーズに言ってベッドをもう一つ用意させなさい」
 父には感謝のしようもなかった。しかし私は感動をしていただけだろうか。私はその場に立ち尽くした。この時の父親について、プルーストは自らの記憶に、サラにイサクの傍から離れる様に命ずるアブラハムの伝承を重ねて描写している。卑小なものに対して偉大なるシーンを重ねて描写するプルーストの技法は独特のものがあって、永遠と悠久について思いをはせるとともに、いじらしいほどの人間のいじましさについても忘れない、細やかなシーンを愛おしむもう一人のプルーストがいる。

 この時から随分と時間が流れ去った。父親が蝋燭の光に照らされて登ってきたこの階段は既にない。永遠に続くものだと信じていた多くのことが消滅する一方、多くの新しいことどもも生じた。変化は古い喜びや悲しみを変質させ、今日ではそれらについて理解することも困難になった。
 この子と一緒にいておやり!と云った言葉が掛けられなくなってからも随分と時間が経った。父の前では堪えていた嗚咽が堰を切ったように出てきて止まらなかった。嗚咽は、実を言うとその後もずっと通奏低音のように続いていて、ちょうど可聴域を下回った周波数の音が聞こえないように、あるいは俗人生と云う町の騒音にかき消されて普段は聴こえなくなっていただけなのかも知れなかった。
 母はその夜、私の部屋で過ごした。両親は覚悟の上で犯した行為のうえにペナリティを課すどころか褒章を皮肉にも与えてくれた。
 こうして私の罰すべき過ちが罰されるのではなく公に認められた日、もう一つ別のことが起きていた。つまり母が大いなる譲歩を私の前で譲ったその日こそ、母なりに抱いていた理想を放棄せざるを得ない日だったのである。私は母の何かを壊したのである。
 この日この夜、母の美しい顔をまだ若さで輝いていた。しかし親不孝の子はこっそりと、母の魂のなかに最初の皺を刻み、最初の白髪を生えさせたのである。
 私の嗚咽が母にも感染したようだった。私の嗚咽が単なる悲しみではないこと、尋常ならざることが起こった夜に関する認識でもあったことを理解したこと、それを悟られまいと母は陽気に振舞った。
 このあと母子は二人して祖母のプレゼントの予定である児童書の封を切り本を読む。ジョルジュ・サンドの『間の沼』『フランソワ・ル・シャンピ』『愛の要請』『笛師の群れ』である。これらの書籍は、父親の趣味によって、ミュッセの詩集とルソーの一冊、サンドの『アンディアナ』に代えたものである。しかし『フランソワ・ル・シャンピ』の内容は、広い意味での母性愛的恋愛を描いたものなので母子を当惑させる。
 ここで話は、祖母の趣味論一般の方向へと転調する。