アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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高遠訳プルースト『失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 アリアドネ・アーカイブスより

高遠訳プルースト失われた時を求めて・Ⅰ』第一篇「スワンの家の方へ・Ⅰ」第一部コンブレ―第一章 
2018-05-18 08:28:33
テーマ:文学と思想

  コンブレーについての私の就寝にかかわるドラマと舞台以外の全てが存在しなくなって既に多くの歳月が流れたある日のことである。家に帰ってきた私が塞がっているのをみた母は少し紅茶を飲んではどうかと勧めてきた。最初は断ったのだが思い直した。母は溝がある帆立の貝殻に似せたプチット・マドレーヌと呼ばれる、小ぶりのお菓子を付けてよこした。
 私は陰鬱であった一日の出来事と明日以降に連なる悲しい見透しに打ちひしがれて、マドレーヌを浸しておいた紅茶を一口飲んだ。すると口の中で尋常ならざることが起きた。私は身震いした。世事からは隔絶した快感が、理由もわからないまま身体を駆け巡った。人生の苦難などはどうでもよくなり、私がもはや平凡で偶然に存在するだけの死すべき存在だとは感じなかった。貴重ななにかが私を本質で満たしたのである。本質は私のなかにあるのではなく、私が本質だった。
 この喜びは何処から来たのか。何を意味しているのか。それをどこでどうたらえたらいいのか。私は二口目を飲む。そこには一口めの感覚以上のものはない。三口目は感覚をさらに減少させる。歓びの感覚はどこにいったのか?
 私はせめてもう一度紅茶に問い質したい。真実は紅茶にあるのではない。私は茶碗を置き、自らの精神の方向に向き直る。真実を見出すのは精神の仕事だ。精神が非力さに打ちひしがれ、精神世界が暗黒と化してもなお、非力である精神は本性上探求を続けなければならない。それまでの経験や知識上の蘊蓄が全くやにに立たない。探求するのではなく創造することが要求される事柄なのだ。精神だけが形にできるあるなにものかの前に私は現前する。
 私は再び自分に問いかける。あの至福を齎した未知なるものとは何なのか、それをもう一度再現させてみたいと願う。私は最初に紅茶を含んだ状態に限りなく近い状態を再現して見るが経験の繰り返しがあるだけで新たな光は見えない。私は精神が疲れ切っているのを感じる。私は緊張を解き、他のことを考える。すると何か打ち震えるものがある。場所を変えて上に上がってこようとしているものがあるのを感じる。何かは分からないけれども、それがゆっくりと上がってくるのを私は感じる。
 だがそれは、余りにも遠いところでもがいているように見えるので、あの紅茶のひと椀から発せられるものの証言を引き出し翻訳してくれと頼むこともできないのだ。昔の思い出、昔の瞬間、それと似た諸経験は遠くの谷底からやって来て私の意識の表層に辿り着いてくれる日が来るのだろうか。私の精神は活動を止めてしまった。
 突然、思い出が姿を現す!――それは日曜日の朝、レオに叔母の部屋へおはようを言いに行ったときに叔母が何時も飲んでいたお茶とマドレーヌの味だったのである!今までにもマドレーヌが店の棚に飾られてあるのを見たことはあるのに、過去を思い出させることはなかった。それはコンブレーを離れてその他の諸経験と結びついていたからである。いま一つの理由は、過去と云うものが記憶の埒外に追いやられ経験としては瓦解していたことによる。
 命ある存在が滅び、事物が破壊された後、古い過去から何も生き延びることがなかったときでも、遥かに非力で弱弱し気でありながら、強靭にして非物質的な、それでいて執拗で忠実なるもの、――つまり匂いと味だけが久しい間、魂魄さながらに留まって、地上の構造物が全て廃墟と化した後も、廃墟のなかで思い起こし、待ち望み、期待し、撓むことなく、臭いと味の小さな涙の滴で支えるのだ、思い出と云う名の壮大な建築物を!
 叔母によって差し出された一杯のハーブティーとマドレーヌのお菓子のひと切れを契機として、コンブレーの道路に面した叔母の部屋、道路に面した古い灰色の家が甦る。そこには私の両親のために建て増された庭に面した二階家もあった。そしてまるで舞台の書割のように、町全体が!昼食前に行った中央広場も、買い物に行った通りも、天気が良い日に歩いた道が現れた。
 日本人が良くする遊び、水中花が!――水に浸すと、紙片はたちまち延び拡がり、色がつき、しっかりした形の花や家や人物となる。そんな遊びのように、私たちの家やスワンの庭に咲く草花や、ヴィヴォンヌ川の睡蓮が。善良な村人が、傍らの小さな住まいが、そして教会が、コンブレーの全体と周辺が、町も庭も諸共に一杯の茶碗のなかから出てきたのである。