アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

夢野久作『ドグラ・マグラ』を読む アリアドネ・アーカイブスより

夢野久作ドグラ・マグラ』を読む
2018-07-13 13:40:04
テーマ:文学と思想


 先日、松本俊夫の『ドグラ・マグラ』の映画化に当たって、当作品にはさほどの評価を控えたのであった。映画監督の問題なのか、原作に問題があるのか、それで改めて、噂に聞く夢野の原作を読んでみることにした。なかなか時間が割けないなか、文庫本で600ページを超える同書を読むことは多少の負担になったことは否めない。

 さて『ドグラ・マグラ』、私が読んだ限りでは、世紀の奇書ともl問題作とも思われなかった。愛好家の方には悪いが、娯楽小説としてはそれなりの内容があるが、一流の文芸書として評価する気にはなれない。

 問題点は、いたって簡単なミステリーを意図的に混乱させている点だろう。遥か昔の旧帝大系の医学部の創世記に関わる二人の学究の、功名心に愛欲を重ねた、どちらかと云えば、最後の作者による謎解きを読んでみると、なんだそんなことなのか、と云う話である。
 学理究明、学説証明のために、精神医学と云う、目に見えない世界の事象を巧みに操って、因縁深き旧家の人脈を利用する、その仕組みは、娯楽作品一流の残虐で非道なものである。しかし元々が、読者の側に於いても文学としての受容が前提されていないために、読者の方としても読み流してしまうのである。つまり「お話」なのである。――事実なら「血相を変える!」だろうか。

 無理は二つある。
 ひとつは、千数百年前の不吉な因縁を持つ絵巻物が持つ意味であるが、絵画表現がそれだけの影響力を持つものでる、と前提しなければ、この話は成立しない。美人の遺体が時と共に腐乱していく様を描きとどめると云うのは、不浄観として目新しいことではない。かかる伝統的な不浄感が、如何にして現代社会において、当該の威力を発揮したか、と云うことが書いていないのである。
 また、離魂症と云う、ドッペンゲルガ-現象を伴った精神病理が出てくるが、証明されてもいない珍妙な病理を「あるかもしれないこと」と前提しなければ、この本は読めない。それなら離魂症と妄想一般とはどう違うのか。もし、妄想の一種として記述したいのであれば、語り手の「格」についていま一つの工夫があってしかるべきであろう。

 そもそも語り手たる「私」とは、どういう位置づけにあるのだろうか。
 夢野の文体、文章を越えて私が感じたのは、彼の「喜怒哀楽」的表現を越えた熱の無さである。謎解き思考回路のなかで語り手が、探偵擬きの役割を引き請けられさせられるのは良いのだが、実母の死についても平然と受け流す(そのように見える)。それは冷たいとか客観的だとか言うのではなく、カメラのような人格が空洞化した精神、あるいは精神の受容箱なのである。登場人物たちが「!」や高笑いを連発して興奮の渦のなかにあるかに見えて、実際にはリアリティがない。つまり所詮は「お話」なのである。大衆文学であると言う理由は通用しないだろう。
 こうした文体の感性的次元の不感症は、大衆的な読み物世界にはままあることだから、あらためて事々しく語る謂れはないのだが、――深読みをして、こう云う主体の人格的なあり方は何だろうかと考えた場合に、ある種の精神病理を想定すれば説明可能なのである。例えば離人症統合失調症と云う概念がそうなのである。しからば、夢野に統合失調型の病理を想定したかと云われれば(時代の制約もあると思うが)、文体に表現された範囲では、それを主張するのは難しいようである。

 結局は伝統的な喜怒哀楽の範疇にある怨恨や遺恨と云うような負の感情が積み重なって、いっけんおどろおどろしいスリラーの世界を形づくる、と云ってしまえばそれまでなのであるが、私たち現代人が直面している精神病理とは、かかる怨恨や遺恨を含む喜怒哀楽の世界を根底に於いて成り立たせている筈の、世界の実存的文節構造の不具合なのである。例えば、この小説の評言世界を超える問題になってしまうのえあるが、通常の道徳的感情や善悪の判断は有効に機能しているのに、人情の自然性に欠ける、と云う点に夢野がどの程度自覚的であるか判然としないのである。

 昨今、この作が、奇書や問題作として、実際以上に持ち上げられている風潮があるから、あえて書いておくのである。(人間の造形性においては、横溝正史のレベルで十分であると考えているのだろうか)
 もちろんこの本、読んでためになる本ではあるし、「能髄は思考作用の機関ではない(細胞が部分的に思考し感受する)」、とか、「胎児の夢、つまり胎内十か月の間に胎児は生命進化の天地開闢以来の全過程を「胎児の夢」と云う形で再現する」、などと云う「お話」が興味深いのは事実である。