アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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コンスタン『アドルフ』1810年頃 アリアドネ・アーカイブスより

コンスタン『アドルフ』1810年頃
2018-07-28 10:46:25
テーマ:文学と思想


 バンジャマン・アンリ・コンスタン・ド・ルベックはスイス・ローザンヌの生まれ、フランス革命を二十二歳の時に迎えている。スタンダール以前のフランス心理小説の先駆者の一人とされている。それにしてもラクロのブザンソンの場合もそうであったが、ルソーを震源とするスイス西部、というかフランスパン東南部の山岳地帯は、近世に於いて近代主義震源地のひとつとして、何らかの意味を持っていたようである。やがて、グルノーブルからスタンダールが出てくることを考えると、ルソー=スタンダールと云う、フランス・スイスの国域を超えたインターナショナリズムが存在したに違いない。ただ、いまはこの点について多言を慎む。

 『アドルフ』を一読して、愛が齎した蟻地獄のような惨状を一瞥する。申す少し早い時期に読んでいれば印象も違ったであろうが、読後感は冷ややかである。
 ある前途を嘱望された青年が、試みに「近代的な愛」とやらを試してみる。相手の子持ちの夫人が引き起こす拒否反応ゆえに愛は近づきがたいものとして存在する。相手に向けられた希求がそのうち演技であるのかどうか分からなくなる。夫の目を盗んでの密会と云うスタイルも、禁じられた愛と云う秘境性を演出したであろう。攻めに責めて相手を口説き落としたとき、この世の至福の極みとも思えた幸福感は、愛への隷属となる。
 ここで別れてしまえばよいものを、十歳も年齢が違う夫人の家庭も社会的地位も、そして子供たちをも捨てた決断ゆえに、ずるずると関係を続けることになる。それは義理堅いと云うよりも、近代的な愛の固有性と云う概念に忠実でありたいと云う、思想と云うか、信条と云うか、寧ろそれ以上の自尊心の技だったようなのである。ちなみに自尊心とは、虚栄心の別名である。
 身分も財産も超越した、自然な年齢差さへものともしない自由恋愛の行く末が、ドイツからフランス、フランスからポーランドを廻って、社会の白眼視と倫理的裁断を諸共に受けて実行される。ここまで尽くせば十分だと思える以上の献身を青年は年上の妻に奉げる。それは人妻が愛ゆえに捨て去った犠牲の重さに匹敵するほどの力の均衡を彼の虚栄心が要求していたからに他ならない。
 彼らの不毛な関係は数年の長きに渡って続いたのちに、祖国を遠く離れたポーランド破局を迎える。祖国では重きをなす父の知人がポーランドに滞在しており、彼の間接的な説得を抜け目なく利用しながら、またもや優柔不断さゆえに決断の時を後延ばしにしかかった頃、夫人は青年が父の知人にあてた往復書簡を強制的に読ませられる状況に置かれてしまう。夫人は狂気のなかに愛と青年を呪いながら息絶えてしまう。

 結局、どういうことだったのだろうか。青年が望んだのは、身分も環境も異なった知的な婦人との穏やかな交友関係であったのではないのか。愛は変質し、友情とか疑似的肉親愛擬きへと安定性を求めて変質し始めていた。社会的誇りも高く、知性と教養溢れる貴族階級の年配の夫人とそういう関係を維持出来たらよいと云うのは青年らしい望みだろう。まるでアクセサリーのように自らを飾り、或いは権威付けとして利用する、手前がったな男の論理である。対するに、社会的身分も家庭も二人いる子供たちすらも捨ててしまった夫人への代償として単なる男女間の「友情」では釣り合わないだろう。青年が尽くしても尽くしても、この「友情」ゆえに女は傷つく。女として、女性として飽きられて捨てられるのだけならまだよい。疑似友情の感情ゆえにずるずると関係を長引かせ、飼い殺し状態のなかで愛のいたぶりを受ける、そう云う期間が長年月の間に渡って続いたのである。
 この愛は、双方にとって何も得るところのない、不全感のみを残した。焼く捨てるようにと遺言された手紙には愛の呪いが込められていた。読まづにはいられなかった、とある。

 以上、コンスタンの『アドルフ』を恋か虚栄心か、愛か自尊心か、と云う観点から読んできたのである。
 アドルフの悲劇は、愛と自らの関わりに於いて、それをエゴイズムの層に於いて分析する青年の癖にある。愛は分析しようとすると、知らず「もの」へと変化し、変質する。当たり前のことではないか。愛とは「過程」であるのだから。小説のなかでもアドルフが言っているように、愛の不可思議さは言語では捉えることができない。とりわけ分析を旨とする言語では捉えることができない。
 それなら愛はどうあらねばならなかったのだろうか。そう、この小説のなかに描かれているように、夫人のように、人妻のように、あらゆるものを投げ捨て犠牲として奉げなければならなかった。彼女は狂気のなかで死ぬけれども、愛のなかで行きっとは言えるのである。愛を「もの」としてではなく、「過程」として生きたのである。これはそれなりの生き方なのであって、その代償を青年は返さなければならないのだが、それは返済が不可能なほど重たいものなのであった。

 青年がもっと不実な男であったなら、――例えば他のもっと魅力的な女性に乗り換えるとか――悲劇は起きなかったに違いない。夫人には最初から子持ちの亡命貴族の未亡人上がりと云う負い目がある。経済的な理由のみによって裕福な貴族と再婚したと云う冷たい世間の眼が前提条件としてある。彼女が社会のなかでやっと掴みかかっていた「普通人としての在り方」をれを、犠牲として投げ捨てて悔いがないほどのものだったのである、愛とは!
 青年は、そう云う夫人の愛を理解していなかったわけではない。愛の形式を理解したればこそ、死に至る夫人の道行きの忠実な同伴者として生きることを選択したのだから。ただその理解は、愛ゆえと云うよりも、彼の近代主義的な教養が身に付けさせた自尊心、――悪く言えば自分は他の男たちのようではないぞ!と云う虚栄心ゆえにであった。ただ彼の思い違いは、自らの同伴者としての愛を義理ゆえに理解している理性の範疇を超えて、愛を虚栄心と見誤った点にあるだろう。これが愛でなければ、この世のどこに愛はあると云うのだろうか。青年は本当の愛と出会いながら、その価値を知ることなく産湯と共に流してしまったのである。


(付記)
 たとえばアンドレ・ジッドの『狭き門』なども、この作がなければありえなかっただろう。『アドルフ』においける愛と虚栄心の問題は、ジッドの場合は愛と閉ざされた信仰的な世界と云うことになる。過剰な敬虔主義が虚栄心の変形に過ぎないこと、それが愛よりも尊いと思ったもの達の悲劇である。
 わが国の堀辰雄の『風立ちぬ』もそうである。ここでは信仰心ではなく、近代主義的な愛の概念と云う名の鎧に身を固めて病弱の恋人は従容として死んで逝く。一面、愛の至高性を描いたとみせながら、恋人を引き留めるための手段でもあった。『狭き門』と違うのは、愛の超越性と世俗との比重である。本場のジッドと堀の差はどこから生じるのだろうか。
 堀は、恋や愛が本来そうしたエゴイズムの変形と云う宿命を持ったものであるにしても、比較にならないほどの愛の優位性、絶対性を認めるのである。それは戦前に生きた堀にとって愛とは、彼が考える近代主義的な愛とは、土着のものではなく輸入されたものであるがゆえの、世俗を超越した絶対的な煌めきを保っていた。ジッドが伝統を踏まえる中で愛について考えざるを得ず、結局はモラリズムの伝統に屈したのとは異なって、堀は日本の伝統や世間から切り離されたところで自家発電機を持った山荘の管理人の如く世離れて生きていた。それは多くの日本人がそうでなかったという意味で、時代に抗し、古びることなく屹立した堀なりの愛の概念であった。最終章に「死の影の谷」と云う優れた省察があるが、人間であることの在り方を普通に既に辞めてしまった自身の寂寥に改めて語り手が感じ入る場面がある。そのとき軽井沢の雑木林を寂寥の風は吹いていたのか。もうすでに随分前から人間ではなかった自身のなかに、まるで自分自身の現身がそのまま小さな聖堂と化し、祭壇のなかに保存された秘められた過去帳をひも解くことなく鍵を抜き去る、まるで奇跡の祭壇の前で起きた物語であるかのように。言い換えれば、人間であることを止めることでしか記憶の中に愛の概念を救い上げることは叶わなかった。それが題名の由来である。いざ、いきめやも、ではないのである。命よりも大切なものがあると云うのである。
 堀辰雄の文学は、フランスの文化に学びながら、文化の伝統のないところで、土着日本的な風土のなかに屹立して咲いたあだ花の如きものであった。